陸
数日後、アメリカから帰ってきたユキマサはいつもより静かだった。ハヤテの姿を見ると、安心したように硬い表情がほぐれた。
「おかえり。疲れたのか?」
「……いや。それより、セイジロウさんが家に来ただろ。どうだった」
ユキマサは肩に掛けていたボストンバッグを自室に下ろし、その中から着替えのシャツを取り出して洗濯機に入れた。ハヤテはその背中に文句を投げつける。
「強制連行されたぞ」
「やっぱりか。でも悪くはなかっただろ?」
ハヤテは返答を考えたが、結局「ああ」としか答えられなかった。
「それより、カヲリが亡くなったって……聞いてないんだが」
「ああ、そうだな。そのくらいにいろんなことが重なって……おまえには結局言えてなかった。すまない」
ユキマサは洗濯機の洗濯ボタンを押して洗濯を開始した。
「謝罪が聞きたいわけじゃないんだ。カヲリが死んだときの事件について聞きたくて」
ユキマサはハヤテの言葉を聞いて、すぐさま振り向いた。
「サナトリウム強襲事件か」
ユキマサは洗面所から出て、ちゃぶ台を挟んでハヤテと向き合うように座った。
「セイジロウさんはあの一件をかなり引きずっている。使徒対策課に所属したのも、その件を受けてのことだ」
ハヤテは幸恵の死後、すぐに警察からの使徒討伐依頼で生計を立て始めた。担当だった使徒対策課の警部が、ある日突然セイジロウに代わった。
「あいつ自身はユキマサの研究対象について知りたいと言ってたが――」
ハヤテは彼が担当に代わってから、対策課との取引はユキマサに任せていた。
シオンが行方不明になって一年ほどの間、ユキマサはふさぎ込んでいたから、その間セイジロウと向き合っていたらもっと早くカヲリの死を知れたのだろうか。
ユキマサはハヤテの発言に苦笑いした。
「……まあそれもあるかもしれないが、主にあるのは罪償いだな」
「罪償い?」
ユキマサは無言で自室に行き、一冊のノートを手に戻ってきた。パラパラとページをめくり、ある一ページを見せた。
そこにはヤマナシ邸で見た記事が貼られている。ほかの新聞会社の記事も数枚あるが、どれもサナトリウム強襲事件について書かれていた。次のページには、びっしりと文字が書かれている。
「三十丁目のサナトリウムを使徒が強襲」「原因となった死体の身元はサナトリウムの患者」「亡くなった患者は適切な葬儀が行われなかった」「関係者である警部は何をしていたのか」「サナトリウムと警察の責任が問われる大事件」――とにかく様々な見解が飛び交っていた。
「セイジロウさんは、立てこもり事件で伏龍街の外へ出張していたんだ。カヲリさんが亡くなったとき、ユウコさんやナツコさんは幼く、決定権があるとみなされなかった」
使徒の出現条件はみっつ。死者が「死者」として認められていること。葬儀などの死者を弔う儀式が行われていないこと。周りに自然物があること。
山間にあるサナトリウムでは、このみっつの条件は容易に満たされる。ゆえに使徒の襲撃が激化するにつれ、年々そういうサナトリウムは減っている。とくにこの事件以降は急減したに違いない。
「セイジロウさんが駆け付けるまで、丸一日かかった。運悪く使徒が出現して、これまた運悪くセイジロウさんは出現に立ち会った」
ユキマサは記事のページをめくり、文字がびっしりと書かれたページを見せた。よく見るとそこには、『
「セイジロウさんは警察官として、きっと使徒対策部隊を呼ぶことを期待されていたのだろう。しかしあの人は、カヲリさんの亡骸を抱えて逃げた。サナトリウムは使徒に
該当部分を指さし、タイムテーブルまで割れたセイジロウの行動を説明していく。
「そして公務より私情を優先させた警察として、あの人は批判された。……胸糞悪い話だろう?」
ユキマサは世の中を蔑むように鼻で笑った。使徒はこの街にとって身近な天災のようなものだ。天災はふつう責任を託ける先のないものだが、その原因に人為が関わってくると、その人物は一気にやり玉に挙げられる。生贄がセイジロウだったというだけだ。
「だから俺は、あの人を見捨てられない。セイジロウさんはきっと死者を蘇生させて星神と共存する世界なんて嫌いだろうけど、それでも俺はあの人に寄り添いたい」
セイジロウとは性格が合わなかったけれど、彼なりに適合しようと努力しているようだ。ハヤテは過去の
「……いろいろ知らないことがあったんだな。この十数年の間に」
「十数年はかなり長いからな。おまえは俺と時間感覚がだいぶ違うから、あっという間だったかもしれないが、時はずいぶん経ったんだ」
そう言って、ユキマサは席を立とうとする。ハヤテはふと彼の態度を思い出して、とっさに引き留めた。
「ユキマサ、アメリカで何かあったのか?」
ユキマサはあっけにとられた顔を向けたまま足を止めた。いや、と言いかけたが、しばらく考えて答えた。
「父さんを知る人が研究発表をしていた」
タダシの話をするユキマサはどこか嬉しそうだった。
「しばらくは海外の研究所に所属していたそうだが、八年前から連絡がつかないそうだ。父さんが去年の夏、突然供え物をしたのと関係があるのかもしれない」
ユキマサは懐かしそうに、ふと笑った。
「父さんは、世界のどこかで研究を続けているんだろうな。……」
セイジロウの発言が蘇る。タダシがシオンを誘った教団の一員である可能性を言うべきか、言わないべきか。ためらったが、ハヤテは結局言うことを決意した。
「これはセイジロウから聞いた話なんだが――その八年は、シオンを攫った教団に所属していたらしいんだ」
ユキマサの口角が下がり、彼は悲痛な目をハヤテに向ける。
「……そうか」
ユキマサはノートを片付けるために立ち上がり、去り際に呟いた。
「でもあの人が、この技術を授けてくれた父であることに変わりはないから。真実を知るまでは、俺は彼を信じ続けるよ」
「私にはそんなこと言ったこともないだろ。ずっと一緒に生きてきた私より、顔も覚えてない男を信頼するのか」
ユキマサはノートを押し入れに入れると、寂しそうに言った。
「顔も覚えてないから、信じることくらいしかできないんだよ」
彼は白衣の下にしまった「死者復活の書」を、存在を確認するように抱きしめた。
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