「姉さん、そろそろ居間に行こうよ」


 後ろからナツコがそう声をかけてきた。ハヤテは助かった、とでも言いたい気分だった。


「そうね。ごめんねハヤテちゃん、変な話しちゃって」


 ユウコは行こう、とハヤテの背を押す。居間につながる襖を開けて、三人は部屋を出る。


 居間にあるちゃぶ台には、大皿に盛られた料理がたくさん置いてあった。両手に茶碗を持ったセイジロウが、終わったの、とこちらに笑いかけてきた。


「似合ってるよ、キリガヤ君」

「いまさらそんな当然のことを言うな」


 ハヤテがきっぱりとそう言うと、セイジロウはきみらしいねえ、とへらりと笑ってみせた。ハヤテはちゃぶ台のほうへ視線を落とす。


「ユウコの料理か」

「私も少しは作ったんだよ。ユウコが地元の味付けがうまく出せないっていうから」

「お父さんはほんとに味付けだけでしょ」


 ええ、とセイジロウはへらへらと笑う。ふだんハヤテに見せてくる打算丸見えの笑顔とは全く違った。ユキマサの見るセイジロウがきっとこれなんだろうと思った。


「さ、キリガヤ君も座って。賑やかでいいね」


 セイジロウは緩んだ笑顔でハヤテと向き合った。あの不遜な態度は、彼なりの守りだったのだろう。ハヤテは渡された茶碗に白米を盛って、彼の言う通り席に着く。


「今日はやけにおとなしいじゃないか」

「そうか? ……着物のせいかもな」


 大人になってから、セイジロウは変わってしまったと思っていた。それを認めるのが嫌で、彼との関わりを避けていたのかもしれない。


 でも彼は変わっていなかった。根本は同じ人間なのだ。ハヤテの知る、臆病で気弱な彼はまだ生きていた。ハヤテはそのことに少しだけ安堵して、歩み寄る努力を始めた。


「じゃ、いただきます」


 ハヤテのその言葉を皮切りに、みなが料理に手を付ける。ハヤテはいちばん手前にあったブリ大根と近くにあったままかりを取り皿に盛る。


 自分用の割りばしに持ち替え、一口でままかり一匹を口に含む。ままかりはきっとセイジロウが作ったものなのだろう。懐かしい酸味と甘みが味覚を支配した。ぱりぱりとした魚の皮と骨の感触が心地いい。


「お父さん、これ何?」


 ユウコが横でままかりを持ち上げてセイジロウに訊いている。


「ちっちゃいニシンみたいな、ままかりっていう魚を漬けた料理でね。私の地元の料理なんだけど……」


 そうやって故郷のことを語るセイジロウは、ハヤテがよく見た表情を浮かべていた。ハヤテは少し寂しくなって、白米を口に入れてごまかした。


 ちゃぶ台いっぱいの大皿料理も、四人いればすぐに食べ終わった。いつも若い男に料理を作っているので、セイジロウの食べる量があまりに少ないことにハヤテは内心驚いていた。


「うん。うまかった、ご馳走様」


 ハヤテは空になった皿を前に手を合わせる。


「ハヤテちゃん、たくさん食べるのね」

「ユキマサ兄さんより食べてた」


 ユキマサは昔からヤマナシ家には遠慮がちなところがあった。まさかそんなことまで遠慮していたとは思わなかった。私と同じくらい食べるぞ、と暴露するのも性格が悪いので、ハヤテは何も言わず片付けを手伝った。


 ハヤテは着物を脱いで返そうとしたが、セイジロウが返却を受け付けようとしなかった。


「カヲリさんの形見の着物だ」


 セイジロウは少しだけ顔に陰りを見せた。こんな顔はもう二度と見ることはないと思っていた。


「そんなの、私が貰っていいのか」


 カヲリは小柄だったから、ハヤテの身体にも大きさはちょうどよかった。しかしたいして関わりのなかったハヤテが貰い受けるには気が引けた。


「いいんだ。カヲリさんが贈りたいって言っていたから」

「カヲリが?」


 セイジロウは強く頷いた。


「知ってる人の中で一番長生きしそうだからってさ」

「はは、それはたしかに」


 失われたくないものを託す相手なら、ハヤテ以上の適任はないだろう。


 ハヤテは小紋を見下ろした。亡くなってからの時間を鑑みると、状態はかなりいい。ハヤテがいつかヤマナシ邸に来る日を見越して、丁寧に手入れをしていたのだろう。


 愛というよりむしろ意地だな、と思った。


「じゃあ私はこのまま帰ろうか。思ったより楽しかったぞ」


 ナツコから来たときに着ていた制服を返される。空っぽの鞄に服を詰めて、ハヤテはすっかり日の沈んだ道を帰った。

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