弐
「……ああは言ってしまったが、……サラ、泊めてくれるだろうか」
ハヤテは歩きながら、雑木林の中に視線をやる。
ふと、集まっていたマスコミのひとりと目が合う。
「あ、どうも……」
黒髪に七三の青年。アスター・ウォルコットだった。アスターはカメラを首からかけ、三脚を肩にかけて、気まずそうにこちらを見てきた。
「……及第点!」
「何がですか!?」
ハヤテは人だかりの中からアスターを引きずり出し、向き合って説得する。
「頼む、泊めてくれ……」
「何ですか何が起きてるんですかお母様!」
「お母様と呼ぶな!」
「すみませんお母様!」
アスターは目に見えて困惑している。冷静に話をつけるため、ハヤテはアスターを連れて雑木林から出た。
「えーっと……色々あって家出してるんだが……」
「喧嘩ですか?」
「喧嘩じゃなくてユキマサの一方的な言いがかりだ。私は一切悪くない」
「先輩そんなことしないでしょ。喧嘩ですね」
反駁したかったが、立場上何も言い出せなかった。
「だから泊めてくれ」
「構いませんが、さっき話していた警部さんとかに頼めば……」
さっき話していた警部さん──セイジロウのことだ。ハヤテは気乗りしないながらも彼の話をした。
「あいつは……私の初恋相手だ。そういうことを頼む気になれん」
「えっ……えっ?」
「もう昔の話だから関係ないが、それを抜きにしてもどうも気に食わん男だからな」
「お母様って人間関係わりと拗らせてますよね」
拗らせているというか、勝手に拗れたというか。長く生きていると、ゼロかイチかで決着をつけるのがナンセンスなように思えてくるのだ。
アスターは、それなら仕方ないですね、と渋々要求を受けいれた。
「ボクは七丁目のホテルに泊まっています。そこまでお付き合いください」
「え? 五丁目のウォルコット・ホテルとかじゃないのか」
ハヤテは気軽にそう訊いた。たしか彼は現社長の息子だ。実家でなくともグループのホテルなら、優遇が受けられることもあるのではないかと思ったのだ。
すると、アスターは見たこともないほど顔を歪めた。
「ボクも家出中です」
まさかのところにタブーが潜んでいた。ハヤテは以前彼に社長子息か尋ねたとき、「一応そうです」と返ってきたことを思い出した。はなから彼は会社を継ぐ気なんてないのだ。
「伝手は残しているんですが、どうしても姉上以外の家族に会いたくなくて」
「どうして?」
「嫌いだからに決まってんでしょうが!」
アスターは急に声を荒げた。
「ボク以外の家族は、姉上が失踪したとき、誰も手を貸そうとしませんでした。だからボクは家出して記者になり、ひとりで姉上を探しました」
アスターは姉・シオンを盲目的なまでに愛している。確かにそんなことをされれば、彼からしたら許し難いだろう。
「じゃ、誰が跡を継ぐんだ?」
「愚兄が継ぎます。ボクには兄と弟と妹がそれぞれひとりずついるので、跡継ぎには困りませんよ」
ハヤテはどこか、勝手にふたり兄妹だと思っていた節があった。そんなに家族がいるのに、ひとりしか愛さなかったのも変な話だ。
「本当は、ボクは兄弟が嫌いだったわけじゃないんです。でも、姉上の件で、どうしても受け入れられなくて」
そう思っていたら、アスターはそんな本音を吐露した。彼は首からかけたカメラを触りながら、捨てた過去への執着を少しだけ見せた。
家族の話は居心地が悪いのか、彼はいつもの笑顔に戻って、将来の話をしだした。
「ボクは、結果的に記者になってよかったと思っています。姉上……もう姉上ではないですが、彼女に美しい景色や知らないものを見せられるので」
アスターの表情は知っているどの表情よりもずっと幼くて、普段の彼の姿は背伸びしているのだと知った。
「それと先輩の醜聞も集められますし」
今度は悪戯っ子のような表情になる。
「君にとってのユキマサは何なんだよ」
「尊敬しているんですが、醜態を晒してほしいとも思っています」
「よりわからん」
話を聞くと、別に嫌いではないし姉が悲しむので不幸になってほしくはないが、姉を奪われるのは許しがたいとのこと。だから姉を幻滅させるような行動を取って、自然に別れてほしいらしい。
「難儀だな君は」
「知能派と言ってください」
「それだけは絶対にない」
アスターと話すのは楽しいが、かなり疲れる。そういえば会ったばかりのときもそうだった。
「そういえば、ユキマサは何の『先輩』なんだ?」
「ご存知ありませんでしたか。高校時代の弓道部の先輩です」
「あー、そうかそうか、なるほど」
ユキマサが弓道部に所属していたことは知っていた。
高校二年生の夏、突然部活に入っていることを明かされた。ユキマサがハヤテを作り出して以来初めて自分から話しかけたのが、高校二年生の春のこと。それからほどなくして、彼は日常会話をわずかにだが自分からするようになった。
そして高校を卒業する一週間前、彼はシオンのことを話した。
『俺、好きな人がいるんだ』
そう言って指輪を見せてきた。彼がひとりで悩んだ結果、導き出した答えだった。
シオンはその一週間後、ある教団に誘拐される。
思えば、ハヤテは弁当を作る以外、親らしいことを全くしてこなかった。今更気づいてもどうしようもないことだが。
「先輩は弓道部の部長でエースで、すごく信頼されていました」
「……私よりあいつに詳しいんじゃないか?」
親としての自分が急に情けなく思えてきて、そんなことが口から滑り出た。さっきまで喧嘩して考えたくもないほどだったのに。
「詳しければ関係が深いわけでもないですよ。お母様は、ボクから見れば立派なお母様ですから」
アスターの言葉は慰めでもなんでもなく、むしろ捨ててきた母親への恨み言のようだった。
「それで、なんで喧嘩したんですか?」
「喧嘩じゃない。あいつの言いがかりだ」
「うーん、お母様も難儀ですねえ。またお話は後で詳しくお聞きしましょうか」
ふたりは道に沿って、十丁目の駅まで歩いていく。
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