第九話 母親作唐揚げ定食
壱
伏龍街十丁目。
「ありえん。本当にありえん!」
ハヤテは憤りながら、学校前の大通りを歩いていた。学校も終わり、十二月らしく日もほとんど暮れていたが、彼女は帰る気はなかった。
ハヤテは、端的に言うと家出していた。
理由はユキマサとの喧嘩。彼らには割とよくあることだった。
「今日はどうするか。サラの家もいいが……ん?」
ハヤテは道沿いに歩いていくと、一抹の違和感を抱いた。
「やたらと……渋滞してるな」
ハヤテは道の先にある雑木林を見て、嫌な予感がした。その入口まで走るにつれ、焦ったような人の声が聞こえてきた。
「民間に被害を出すな!」「腹部に発砲!」「交通が滞っている! 迅速に対応しろ!」
使徒の応対を警察が行っているようだが、なかなか進んでいないらしい。無理からぬことだ、と思い、ハヤテは援助に走った。
人間は、使徒の核を視認することができない。
使徒はたいてい人間において急所に当たる部分が核に当たるが、それを正確に破壊するのは難しい。さらに正確に撃ち抜けないと、瞬時に傷が修復されてしまう。恐怖心に打ち
だいたい人型ではないのだ。羊の心臓を取り除けと言われているようなものだ。
ハヤテが現場に駆けつけると、そこには獅子型の使徒が座り込んでいた。
「発砲をやめろ!」
ハヤテはそう言いながら警察官をかき分け、獅子の顔を一撃、拳で殴った。その拳は深くめり込み、なにか硬い物に当たると、バキンと音がして、そのあと獅子が霧散する。
獅子──ライオンは、雄の容姿が生存戦略にも大きく関わっている。だから顔に核があるのかもしれない、とユキマサは言っていた。
ハヤテは地に落ちた使徒の核を拾い、近くにいた警察官に話しかける。
「分け前は」
よく見れば彼の階級は巡査らしい。話しかけられた警察官は「上に話してみないと」と言って右の方を伺った。
そこには男が立っていた。黒い髪に黒いコートを羽織った烏のような
「キリガヤ君、久しぶりじゃないか」
中年の男はハヤテの元にやってくると、にこやかに握手を求めた。ハヤテは一歩引いて、その握手を拒んだ。
「お前に会うなんて、今日の私は運が悪いらしいな」
「はは。ご挨拶だね」
ハヤテは朗らかに笑う男を睨みつけた。いつからか、この胡散臭くて嫌味ったらしい態度が嫌いになっていた。
「私のことを忘れていないだろうね」
彼はハヤテの生前と死後の両方を知っている。
死後すぐ会ったとき、従姉だと言って取り繕おうとしたが、すぐに見抜かれてしまった。彼は幸恵の弟たちの進退まで知っているのだから、考えてみれば通用するわけがない。
「忘れるわけがあるか」
「ならいいんだよ」
彼の名は
「きみの息子には世話になってる。いつも退治報酬を天引きして与えている側だし、今日くらいは会えたお礼に全額渡してもいいよ」
「……恩を売られているようで気に食わんが、まあ貰っておこう」
ハヤテは星神の核をポケットに収め、セイジロウの裏のある笑顔に向き合った。
「ユキマサ君は元気かな」
幸恵の死後、ユキマサは戸籍上彼の養子になった。
法的には「月見里行正」と登録されているが、ユキマサは未だに元父親の名字を名乗っている。ユキマサはセイジロウとどうやら相性が悪いらしいのだ。
ゆえに彼らは戸籍においては父子でも、現実では仕事相手止まりだ。
「ああ元気だ。お前は訊かなくても元気そうだが」
「そうだね。優子たちも会いたがっているし、また今度うちに来れば──」
「結構だ。ユキマサには恋人がいる。お前の悪趣味な仲立ちには付き合ってられん」
ハヤテがそう言うと、セイジロウは顔色を一気に変えた。にやにやと笑みを浮かべて、ハヤテにまとわりつく。
「え? なになに、恋バナ? おじさんにも教えてよ〜。どんな子?」
「おいそこの。事案発生だ。この馬鹿を署まで連行しろ」
ハヤテは近くにいた警官に声をかけ、セイジロウの襟首を掴んで地面に投げ捨てる。警官はだいぶ困っていたが、そんなことハヤテが知ったことではない。セイジロウは立ち上がってコートに付いた土埃を払うと、ハヤテにもう一度声をかけた。
「あ、あとさサチエ」
「その名前で呼ぶな! 何の用だ」
セイジロウは人好きのしない笑みを浮かべて、こう切り出した。
「先日、使徒研究の教団がやっと検挙されたじゃないか。あの、使徒を操る巫女だとかを使った……」
「ん、ああ」
シオンが捕らえられていた教団のことだとすぐに気づいた。ハヤテはセイジロウの口からその話が出るとは思わなかった。
「私ね、検挙者のリストを見てたんだけど、その中に一個見覚えのある名前があってね」
セイジロウはハヤテに近づいて、耳元で言った。
「タダシ・ニシナ、って書いてあったんだ」
ハヤテは銃弾で打たれたような衝撃を受けた。いや、実際に撃たれたことはあるが、これほどではなかった。心臓のところが重く響いてくる。
ユキマサの父──タダシは生きている。それは盆の時にわかっていた。しかし例の教団に加担しているとなると話は別だ。
「ニシナなんて、私の名字と違って滅多にないわけでもないし。ま、別の人かもね」
セイジロウはすぐに姿勢を正して、そんなことを言った。思ってもいないくせに、とハヤテは思った。
セイジロウと幸恵は同郷だ。タダシとはこの伏龍街──以前は別の呼び名だったが──に来たとき、セイジロウを通じて知り合った。セイジロウも友人が犯罪の片棒を担いでいると思いたくないのだろう。
「……はあ、ヤマナシ、お前は会う度に厄介事を持ってくるな」
「私が疫病神みたいな言い方やめてよ。君が自分で厄介事を起こしてることにそろそろ気づいたら?」
「殴るぞ」
「殴れば? それで君の気が済むなら」
久しぶりに説教をされたような気がした。不快になって、ハヤテは閉口した。
「……興ざめした。じゃあな」
「ねえどこ行くの? 自分ん家?」
セイジロウはハヤテのジャケットを掴んで動きを妨げる。泊めてくれ、というのはさすがに情けなかった。それ以前に、この男と同じ空間で寝泊まりしたくない。
ハヤテは腕でその制止を振り払い、大声で言った。
「……友達の家だ!」
セイジロウは面食らったように驚いた顔になった。ハヤテは内心やってやったとほくそ笑んでいた。
「おや、友達か。君は……変わったんだね、キリガヤ君」
セイジロウは、久しぶりに屈託のない笑みを浮かべた。しかしすぐさま普段の自慢げな笑顔に切り替わって、高々と演説をしはじめた。
「まあ私も変わったけどね! 君の死後私は見事警部の座に上り詰め、順風満帆な仕事人生を──」
「警部、もう撤退してください」
「まだ話の途中なのに……」
後ろから出てきた警官数名かに腕を掴まれ、セイジロウは雑木林を抜けていく。気づけば交通も復活していた。
「じゃあね、さっちゃん」
「いい加減その名前で呼ぶな! お前いくつだ!」
ハヤテは呆れて踵を返し、またあてもなく歩きだした。
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