七丁目の外れ、整備された道のそばに、アスターが泊まるホテルはあった。小さいが手入れはされているようだ。


「ボク、ここの常連なんですよ。お母様の泊まる部屋があるか訊いてみますね」

「いやべつに、君と同じ部屋でも……」

「いくらお母様でもダメですよ」


 そう言い残して、アスターは受け付けの方へ歩いていく。ハヤテはふらふらと入口すぐのホールへ向かい、そこのソファに腰かけた。


 目の前にはカラーテレビがあった。ハヤテはそこに映る青空を見ていた。夏のニュースの映像だ。


「今年は激動の時代でございましたが、来年はより多くの変化が起こると予想されています」


 ニュースキャスターは、来年の万博の話をしていた。伏龍街に新しい技術がやってくる。楽しみだが、同時に暗雲も立ちこめていた。


 もし。

 もしも、忠が新しい技術でも携えてやってきたら。


 その時は、どんな顔をして会えばいいのだろうか。


「おや、万博ですか」


 戻ってきたアスターが、急に後ろから声をかけた。


「先程チェックアウトしたばかりの部屋が一部屋あるそうです。清掃に時間がかかるとのことなので、ボクも一緒に待ちますよ」


 そう言って、アスターはハヤテの隣に腰かけた。


「万博……君は行くのか?」

「そりゃそうですよ。仕事があるので」

「……そうか」


 アスターは無遠慮にハヤテの顔を覗き込んでくる。


「なんだかお母様、元気ないですね」


 いかがなさいましたか、とアスターはいつもの調子で心配してくる。


「……万博に、元夫が来るかもしれない」

「元夫となると、先輩のお父様ですか?」

「そうだ。知人の話によると、あいつはシオンを誘拐した教団に関わっていたらしい」


 そう言うと、アスターの顔色が変わった。いつもの温厚な雰囲気はどこかへ消えて、かわりに忠への疑念が浮かんでいた。


「あいつは私がこうして過ごしていることは知らない。まして教団が誘拐した人間がユキマサの恋人だなんて、知る由もない」


 テレビは万博の予想図を流している。紙吹雪が舞い、時代の先を往く技術たちが集まる。そんな華やかな景色に争いは似合わない。


「それに、あいつに何かを言っても無駄だ。それで以前のシオンが戻るわけでもないし」

「なんだ。そういうことでしたか」


 アスターはわざとらしくため息をついてみせる。


「ボクはてっきり、お父様を倒すための武器でも相談されるのかと」

「前から思ってたが、君殺意高いよな!」


 えへへ、とアスターは自分の後頭部を撫でる。褒めてない。


「まあこれは冗談として。お母様、あんまり考え込むの得意じゃないでしょう?」


 言われてはっとする。考え込みすぎて思考が固まりすぎていた。


「先輩みたいな人はひとりで答えを出せます。自分の答えに納得できます。でも、ボクやお母様はそれじゃ納得できない。だから家出なんかするんです」


 アスターはまだ万博について話しているテレビを見て、拳を固めた。


「ボクは、何かが起きてから行動しても遅くないと思いますよ」


 きっとアスターは、忠を見た瞬間鉄拳をぶち込むだろう。ハヤテは彼と共に回し蹴りをするかもしれないし、呆然と立ち尽くすだけかもしれない。


 でもそれは、まだ可能性の話でしかない。


「アスターと私が同列に語られているのが納得いかんが、それもまあ一理あるな」


 人生は長い。そのぶん考え込んでいたら、あっという間に終わってしまう。そう思うと先程までの時間がもったいない気がした。


「そうだな。殴ればなんとかなるし」


 なんとかならなければ、それはまたその時に考えればいい。ハヤテはそこでふとセイジロウのことを思い出して、内心腹が立った。彼は単に、そんなハヤテの性質をからかっているだけだ。頭を振って、脳にこびりついた彼の声を振り払う。


「歪んで解釈されているようですが、まあいいでしょう」


 アスターは浮かせていた腰をソファに沈めて、腕を組んだ。


「ところで、なぜ家出したんですか?」

「言わなきゃならないか」


 ええ、とアスターは呆れながら言う。ハヤテはテレビを横目で見ながら、なるべく小さな声で言った。


「朝、唐揚げを作る準備をしてたのに、あいつがビーフシチューの気分だとか言い出したんだ」

「あー……それは確かに先輩が悪いですね」

「だから金的を蹴りあげた。そしたらすごい怒られて、腹が立ったから家出した」

「お母様、行き当たりばったりが過ぎますよ……」


 先ほど「考えすぎですよ」とか言った人間とは思えない。しかし発言自体に関しては同意している。


「でも先輩もひどいですね。お母様がせっかく料理を作ってくださるというのに」


 アスターは怒ったような口調で言った。


「ボクの母はボクに夕食を作ったことなんて、一度もないですよ。羨ましいなあ」


 当たり前だと思っていることは、実は傍から見れば当たり前ではない。

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