オースティンの部屋に差し込む日差しが一切なくなった頃、部屋のドアがノックされた。


「お嬢様、お父様とお母様がお帰りです」

「本当ですか。今行きます」


 オースティンは立ち上がって、ハヤテに言った。


「ハヤテさん、お待ちかねの晩御飯だよ」

「なにっ、それは楽しみだ」


 ハヤテは手に持っていたシャーペンを投げ捨てて、オースティンの後に続いた。


 階段を降り、右側へ向かうと、大きな食堂があった。その奥にはいくつか人の姿が見える。


 オースティンの父と母、それと数人の侍女だ。ハヤテは彼らにゆっくりと近づいていく。


「キリガヤさん。ようこそいらっしゃいました」


 父親がにこやかにお辞儀をしてくる。日本文化だ、と意外に思っていると、そのあと出てきた料理も懐石料理だった。


「こちらは華山街から取り寄せた抹茶です」


 ハヤテのそばに立っていた侍女が、抹茶の載った盆を机に置いてそう言った。


「すごいな……私でさえ初めて飲むぞ……」


 ハヤテがそう言いながら抹茶を啜ると、オースティンの母親が驚いてこちらを覗いてきた。


「そうなんですか? 失礼しました、日本の文化にまだあまり詳しくないもので……」

「ユキマサさんには何をお出しすればいいでしょうか?」


 父親も一緒になってハヤテの顔を覗いてきた。


 湯呑みを盆に置くと、脇から腕が伸びてきて、盆ごと回収される。間を置かず少量の白米と味噌汁、そして海老の刺身が出てくる。


 その間にユキマサの好きな物について考えていた。基本的に出されたものは美味いと言ってなんでも食べるが、特に好きなものもあまりない。しかし以前、口に出して気に入ったと言った料理があった。


「牛のステーキかな。あとは米と味噌汁があれば完璧」

「なるほど……お味噌汁の好きな具などはありますか?」


 なぜ自分がアンケートを受けているんだろう、と思いながら、ハヤテは答える。


「豆腐とネギのやつが好きだな。なめこはあまり好きじゃないらしい。あとご飯に乗せる納豆もあんまり」


 侍女たちも耳をそばだててハヤテの発言を聞いていた。わかりました、とオースティンの母親は言って、彼女も出された抹茶を飲んだ。


 ハヤテは白米を食べながら刺身を食べ、昔父に教えられた懐石料理の作法を思い出していた。たしか米は少し残すのがマナーだった気がする。これがどこまで正式なマナーに基づいた催しなのか不明だが。


 海老は外国製のものを使っているのか、記憶よりも大きかった。三口に分けて食べると、出汁の味が海老の肉の隙間からじゅわりと飛び出してくる。


「うまいな」


 ハヤテの小さな呟きに反応して、オースティンは顔色を明るくする。


「父上、母上、美味しいって!」

「本当か。やったー!」


 一族総出で喜ぶオースティン一家を見て、ハヤテはなんだか恥ずかしい気持ちになる。


「……勉強に来ただけだからな」


 楽しんでやろうという気持ちがないわけでもなかったが、ここまで楽しまれると勢いが削がれる。


 ハヤテは何事もなく一汁三菜を食し、湯の子を飲み干す。


 もっとトンデモ日本食みたいなものが出てくると思っていたが、昔食べた懐石料理と特に違いはなかった。礼をしようと相当前から計画を練っていたのだろう。


 ハヤテは食後に抹茶を飲みながら、オースティンの父母の会話を聞いていた。


「今日の取引相手はドイツの会社で──」

「もう少し経理担当を増やしたほうがいいかもしれないわね。最近では圓も値上がりしていることだし──」


 どうやらオースティンの会社は貿易関係のことを取り扱っているらしい。ユキマサがパーティで話していた会社もちらほら出ているが、死者蘇生については一切出てこない。中立派とはこういうことなのか、とハヤテは密かに思った。


「ハヤテさん、今日のお洋服お洒落だね。自分で選んでるの?」


 ハヤテが気まずくて黙っていると勘違いしたオースティンが、ハヤテに話しかけてくる。


「ああ。ユキマサに服は任せられないからな」

「へえ意外。ユキマサさん、センス良さそうなのに」


 昔は洒落た服を着ていた気がするが、大人になってからはずっと同じ服だ。きっと面倒なだけなのだろう。


「まあ私のセンスには及ばないということだな」


 オースティンはどうなんだ、と尋ねると、これはメイドさんに選んでもらったんだよ、と言われる。格がまるで違うことに気づいた。


 ハヤテは湯呑みを盆に置くと、オースティンの父親がそれに勘づく。


「あ……申し訳ありません、仕事の話を食卓に持ち込むなんて無作法でしたよね」


「構わん。私の家ではいつもそうだ。そろそろお開きにするか?」


 オースティンの父親は妻と娘に目配せをすると、ハヤテの言葉に大きく頷いた。


「はい、ではお開きにいたしましょう」


 そう言うと、オースティン親子は一斉に十字を切り、ごちそうさまでした、と口にする。ハヤテは慌てて合掌して、合わせてごちそうさま、と告げる。



 オースティンとハヤテは部屋に戻ると、すぐに部屋で就寝の準備を始めた。ハヤテは修学旅行気分になって浮かれていた。


 ハヤテは白い長襦袢ながじゅばんを寝間着として着た。対してオースティンは、裾の長いネグリジェという寝間着を着ている。ネグリジェのデザインが洒落ているので、今度買ってみようかとハヤテは計画する。


「ハヤテさん、客間は廊下の突き当たりにあるからそこで寝てね」

「一緒に寝るんじゃないのか」

「えっ」


 ハヤテは天蓋付きのベッドを指さした。明らかにハヤテの家の布団の三倍ほどの面積がある。


「それと、まだ私への恩とやらの話を教えてもらっていない。まさかうやむやにしようとか思ってないよな」


 オースティンは図星のようで、うぐ、と呻き声を上げた。覚悟したのか、部屋の電気を落とした。


「……わかった。話すね。わたしの、秘密を」


 ハヤテさんは壁側に行って、とオースティンは指示を出す。落ちないか不安なのだろう。


 大人しく壁際に収まり、ふかふかの布団を被る。さぞ薔薇の匂いやらが香るかと思いきや、清潔感のある洗剤の匂いが鼻腔をついた。金持ちの享楽にも色々こだわりがあるらしい。

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