肆
「わたしは、一年と少し前、電車の事故で死んだ」
オースティンの話は、そんな告白で始まった。
一年前、オースティンが転校前の高校に入学したばかりのころのことだ。主席で学校に入学した、金持ちで弱気な女子生徒。彼女はすぐにいじめの対象になった。
生活は疲弊したが、しかし、忙しい父母を頼るつもりもなかった。
「ある日、わたしは踏切のない帰り道を通った。ぼーっとして歩いていると、気づいたら電車が目の前まで迫っていて」
オースティンは電車から逃げようと走ろうとしたが、線路につまづいて転んだ。そこで視界の端に映ったのが、──ユキマサと買い出しに出ていた、ハヤテだった。
「わたしは意味がないとわかっていながら、レール向かいのあなたに手を伸ばした。そうしたらあなたは線路に飛び込んできて、わたしのことを抱えて、逃げようとしたんだよ」
でも──間に合わなかった。ハヤテとオースティンはもろとも電車に轢かれ、そこで命は絶えた。
しかしオースティンは、そのあとニシナ医療研究所で目を覚ました。
『おはようございます。貴女はハヤテ・キリガヤの知り合いですか?』
ベッドの側で、無愛想な男──ユキマサがそう尋ねたという。彼女はそこで、自分のために命を投げ捨てた少女の名を知る。
『知りませんが、……あの人は無事なんですか』
ユキマサは、いたって冷静に告げた。
『死にました』
「わたしはそう言われたとき、なんてことをしてしまったんだ、と後悔した。けど、あなたが生き返ると知ったとき、わたしは、この恩を返せる、と思ってほっとした」
『貴女もあの事故で、死んでいます』
彼は厳然と事実を突きつけたが、こうも言った。
『しかし、人格や記憶を担う脳がまるきり無事なままで済んだのは、ハヤテが貴女を守ったからです』
ハヤテは脳のコピーがあるから、傷つけられても大丈夫だったとユキマサは語った。オースティンは本当に運が良かった。
それでも、ユキマサはオースティンの気持ちを無下にはしなかった。
『勝手に蘇生して申し訳ありません。費用は請求しません。ハヤテが身を賭して守るほどの存在ならば、と思い、自己判断で蘇生手術を行いました』
ユキマサは全てを話し、深く頭を下げた。愛想はないが、誠実な人だとオースティンは思った。彼女はお金は払いますから、とユキマサに言って、領収書を出すように言った。
『お名前は?』
サラ・オースティンです、と答えようとして、言葉に詰まる。家の名前を出せば、自分が死んだことを親が知ってしまう。オースティンは咄嗟に出た偽名で、その領収書を書かせた。
『ちなみに、わたしの死因は……』
『はい。ショック死です』
ユキマサはこともなげに告げた。電車事故に遭ったと脳が誤解して死んだそうだ。
「そんなに蘇生に手間もかかならなかったらしいから、ユキマサさんの記憶に残らなかった。べつに隠してたわけじゃないんだと思うよ」
ユキマサは人の顔を覚えるのが苦手だ。その上名前も聞いていなかったから、彼女の記憶はいつの間にか埋没してしまったのだろう。そして最近になってようやく思い出したが、言い出すタイミングを見失っていた──という認識でよさそうだ。
「……ともあれ、そういうことなら辻褄が合う。最近ユキマサの様子がおかしかったからな」
疑念が解けてよかったよ、とハヤテは笑う。オースティンは彼女の横顔を見て、神妙な顔になる。
「ハヤテさんは、将来何になりたいの」
オースティンが、突然そんなことを訊いてきた。ハヤテの顔から笑顔が消える。
ハヤテには、将来がない。
ユキマサは、死者に通常と同じように歳をとり、ある一定の年齢になれば通常の死因で死ぬよう調整している。しかし、ハヤテだけにはその機能がない。
いわく、先に死なれたら助手の役割が果たせないから、らしいが──死なれるのが怖いだけだろう。
「私は今と同じようにユキマサを手伝うかな。今の生活、気に入ってるんだ」
「そう、なんだ。わたしは会社を継ぐよ。それでユキマサさんと、業務提携したいんだ」
にこり、とオースティンは笑いかける。少し強ばった笑みだった。ハヤテはオースティンがそんなことを言うとは思わなかった。一瞬言葉が理解できなくて、聞き返してしまった。
「業務提携して……どうするんだ」
「この世界全てを、この街みたいにするよ。人の死なない世界。素敵だと思わない?」
オースティンはハヤテの目を見る。薄い茶色の髪の隙間から見えるのは、完全に商売人の顔だった。
「死への恐怖は、克服しがたいから。ユキマサさんの技術はきっと、すぐに広がるよ」
賛成派の中には、こんな考えの人間もいるのだろうか。ハヤテは少しだけ、悲しくなった。
「……多分あいつは、イエスとは言わない。この街を作ったことも、あいつは悔やんでいるんだ」
天蓋の中に、しばらく冷たい沈黙が流れた。オースティンは何度か瞬きをして、ハヤテの発言を吞み込んだ。うっすらと差し込んだ灯りの中で、オースティンは静かに笑った。
「迷惑?」
「というか、多分あいつは取り合ってくれない」
そっか、じゃあやめるね、とオースティンは小さく呟いた。
「初めてだった。命を捨ててわたしを助けてくれたのも、カツサンドをくれたのも、友達だと言ってくれたのも。だから、お礼がしたかっただけなの」
オースティンはハヤテのほうへ手を伸ばしてきた。その手はやけに冷たかった。
「わたしは、あなたたちに助けられた人生を、あなたたちのために使いたいから」
「オースティン」
彼女はハヤテに名前を呼ばれると、裁きを待つ被告人のように口を真一文字に結んだ。
「ユキマサは、君にそんなことを望んでない」
オースティンは驚きに目を見開いて、じゃあどうすれば、と尋ねてきた。
「私たちは、生き返らせた人が幸せならそれでいい」
ハヤテがそう言うと、オースティンは頬を緩めた。
「それならもう叶ってるよ」
ハヤテは、蘇生の意義をまたひとつ知った。
たとえ修学旅行に行けなくても、青空の元で暮らせなくても、この世にありさえすれば新しく知れることがある。
そんなことを、サラ・オースティンに教えられた。
「ハヤテさん、わたし明日、父上と母上に蘇生されたことを話そうと思うの」
彼女の中でも何か変わったのか、一歩を踏み出そうとしていた。
「いいんじゃないか」
ハヤテはそう言って、壁に寝返りを打った。
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