「わたしは、一年と少し前、電車の事故で死んだ」


 オースティンの話は、そんな告白で始まった。


 一年前、オースティンが転校前の高校に入学したばかりのころのことだ。主席で学校に入学した、金持ちで弱気な女子生徒。彼女はすぐにいじめの対象になった。


 生活は疲弊したが、しかし、忙しい父母を頼るつもりもなかった。


「ある日、わたしは踏切のない帰り道を通った。ぼーっとして歩いていると、気づいたら電車が目の前まで迫っていて」


 オースティンは電車から逃げようと走ろうとしたが、線路につまづいて転んだ。そこで視界の端に映ったのが、──ユキマサと買い出しに出ていた、ハヤテだった。


「わたしは意味がないとわかっていながら、レール向かいのあなたに手を伸ばした。そうしたらあなたは線路に飛び込んできて、わたしのことを抱えて、逃げようとしたんだよ」


 でも──間に合わなかった。ハヤテとオースティンはもろとも電車に轢かれ、そこで命は絶えた。


 しかしオースティンは、そのあとニシナ医療研究所で目を覚ました。


『おはようございます。貴女はハヤテ・キリガヤの知り合いですか?』


 ベッドの側で、無愛想な男──ユキマサがそう尋ねたという。彼女はそこで、自分のために命を投げ捨てた少女の名を知る。


『知りませんが、……あの人は無事なんですか』


 ユキマサは、いたって冷静に告げた。


『死にました』


「わたしはそう言われたとき、なんてことをしてしまったんだ、と後悔した。けど、あなたが生き返ると知ったとき、わたしは、この恩を返せる、と思ってほっとした」


『貴女もあの事故で、死んでいます』


 彼は厳然と事実を突きつけたが、こうも言った。


『しかし、人格や記憶を担う脳がまるきり無事なままで済んだのは、ハヤテが貴女を守ったからです』


 ハヤテは脳のコピーがあるから、傷つけられても大丈夫だったとユキマサは語った。オースティンは本当に運が良かった。


 それでも、ユキマサはオースティンの気持ちを無下にはしなかった。


『勝手に蘇生して申し訳ありません。費用は請求しません。ハヤテが身を賭して守るほどの存在ならば、と思い、自己判断で蘇生手術を行いました』


 ユキマサは全てを話し、深く頭を下げた。愛想はないが、誠実な人だとオースティンは思った。彼女はお金は払いますから、とユキマサに言って、領収書を出すように言った。


『お名前は?』


 サラ・オースティンです、と答えようとして、言葉に詰まる。家の名前を出せば、自分が死んだことを親が知ってしまう。オースティンは咄嗟に出た偽名で、その領収書を書かせた。


『ちなみに、わたしの死因は……』

『はい。ショック死です』


 ユキマサはこともなげに告げた。電車事故に遭ったと脳が誤解して死んだそうだ。


「そんなに蘇生に手間もかかならなかったらしいから、ユキマサさんの記憶に残らなかった。べつに隠してたわけじゃないんだと思うよ」


 ユキマサは人の顔を覚えるのが苦手だ。その上名前も聞いていなかったから、彼女の記憶はいつの間にか埋没してしまったのだろう。そして最近になってようやく思い出したが、言い出すタイミングを見失っていた──という認識でよさそうだ。


「……ともあれ、そういうことなら辻褄が合う。最近ユキマサの様子がおかしかったからな」


 疑念が解けてよかったよ、とハヤテは笑う。オースティンは彼女の横顔を見て、神妙な顔になる。


「ハヤテさんは、将来何になりたいの」


 オースティンが、突然そんなことを訊いてきた。ハヤテの顔から笑顔が消える。


 ハヤテには、将来がない。


 ユキマサは、死者に通常と同じように歳をとり、ある一定の年齢になれば通常の死因で死ぬよう調整している。しかし、ハヤテだけにはその機能がない。


 いわく、先に死なれたら助手の役割が果たせないから、らしいが──死なれるのが怖いだけだろう。


「私は今と同じようにユキマサを手伝うかな。今の生活、気に入ってるんだ」

「そう、なんだ。わたしは会社を継ぐよ。それでユキマサさんと、業務提携したいんだ」


 にこり、とオースティンは笑いかける。少し強ばった笑みだった。ハヤテはオースティンがそんなことを言うとは思わなかった。一瞬言葉が理解できなくて、聞き返してしまった。


「業務提携して……どうするんだ」

「この世界全てを、この街みたいにするよ。人の死なない世界。素敵だと思わない?」


 オースティンはハヤテの目を見る。薄い茶色の髪の隙間から見えるのは、完全に商売人の顔だった。


「死への恐怖は、克服しがたいから。ユキマサさんの技術はきっと、すぐに広がるよ」


 賛成派の中には、こんな考えの人間もいるのだろうか。ハヤテは少しだけ、悲しくなった。


「……多分あいつは、イエスとは言わない。この街を作ったことも、あいつは悔やんでいるんだ」


 天蓋の中に、しばらく冷たい沈黙が流れた。オースティンは何度か瞬きをして、ハヤテの発言を吞み込んだ。うっすらと差し込んだ灯りの中で、オースティンは静かに笑った。


「迷惑?」

「というか、多分あいつは取り合ってくれない」


 そっか、じゃあやめるね、とオースティンは小さく呟いた。


「初めてだった。命を捨ててわたしを助けてくれたのも、カツサンドをくれたのも、友達だと言ってくれたのも。だから、お礼がしたかっただけなの」


 オースティンはハヤテのほうへ手を伸ばしてきた。その手はやけに冷たかった。


「わたしは、あなたたちに助けられた人生を、あなたたちのために使いたいから」

「オースティン」


 彼女はハヤテに名前を呼ばれると、裁きを待つ被告人のように口を真一文字に結んだ。


「ユキマサは、君にそんなことを望んでない」


 オースティンは驚きに目を見開いて、じゃあどうすれば、と尋ねてきた。


「私たちは、生き返らせた人が幸せならそれでいい」


 ハヤテがそう言うと、オースティンは頬を緩めた。


「それならもう叶ってるよ」


 ハヤテは、蘇生の意義をまたひとつ知った。


 たとえ修学旅行に行けなくても、青空の元で暮らせなくても、この世にありさえすれば新しく知れることがある。


 そんなことを、サラ・オースティンに教えられた。


「ハヤテさん、わたし明日、父上と母上に蘇生されたことを話そうと思うの」


 彼女の中でも何か変わったのか、一歩を踏み出そうとしていた。


「いいんじゃないか」


 ハヤテはそう言って、壁に寝返りを打った。

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