肆
西の方の住民に聞き込みを行う。
「平日の昼間はよく歩いてたよ」「一ヶ月くらい前から夜もよく歩いてたみたいだけど」「こないだ商店街で魚盗んでたみたいね」
聞き込みの内容から分かるのは、もうサブローは飼い猫ではないかもしれない、ということだった。
サブローは、捨てられてしまったのかもしれない。ハヤテはその推測をチヨに伝える勇気はなかった。
「サブロー、魚盗んでたんだね」
「ままあることだが、まあ、駄目なことだな」
ハヤテはサブローに釘を刺しつつ、次の家まで歩いていく。家の前で、三人の女性が立ち話をしているのが見えた。
「だんだん分かることが多くなったじゃないか。このまま続けていれば案外、この家くらいで──」
女性の話し声がとみに耳に入る。ハヤテは口を閉じてそれを聞いた。
「最近見ないわね、ハシモトさん」
「ああ、もう歳だったから、息子のところにでも行ったんじゃない?」
チヨもその話し声が聞こえていたのか、女性たちに大きな声で話しかけた。
「ハシモトさんって誰?」
話しかけられた彼女は驚いた様子だったが、その声の主がチヨだとわかるとたちまち笑顔になった。
「あらチヨちゃん」
「ハシモトさんはね、ずっと西の方に住んでるおじいさんよ。でも私たちもあんまりその人について知らないのよ」
「そうそう、たまに商店街にいるのを見る程度で……ちょうど一ヶ月くらい前からかしら。ぱったり見なくなったの」
女性たちはどんどん情報を落としていく。一か月前──サブローが夜にひとり歩きするようになったころと一致する。ハシモトはサブローの飼い主かもしれない。そう思って、ハヤテはチヨの背後から一歩踏み出した。
「すまない、ハシモトの家を教えてくれないか?」
ハヤテに問われた女性たちは狼狽して、チヨに助けを求める。
「チヨちゃん、誰なのこのキレイな女の子」
「ハヤテだよ。サブローの飼い主を探すのを手伝ってくれてるの」
「サブローって、あの黒猫? なんで飼い主を探してるの?」
女性がそう聞き返すと、チヨはハヤテの腕の中に抱えられたジャケットを指さした。
「あー……私が見たいと言ったんだ。チヨからよく話を聞いていたから」
「まあそうなのね。かわいらしい猫ちゃんよ、かわいがってあげて」
「そうねえ……ハシモトさんの家は、あっちのほうよ。西にあの畑をずっと進んだところ」
そう言って女性のひとりが西のほうを示した。五百メートルほど先に、ぽつんと家があるのが見える。
「わかった。チヨ、行こうか」
「うん。ばいばい、おばちゃん」
チヨはハヤテの手を握って、西へ歩き始めた。サブローはこの街で、ずいぶんと愛されていたようだ。
「ハヤテ」
「なんだ」
「あんた、嘘つき?」
チヨは疑いの目をこちらに向けていた。女性たちにサブローの死を隠したことについて、糾明されているのだ。
「サブローを今から生き返らせるためにここに来たんだろ。言う必要はない」
「ある!」
チヨは突然大声で叫んだ。どうしたのかと思えば、チヨは顔を真っ赤にして怒っていた。
「あるよ、言わなきゃだめ! 知らないうちに死んじゃったら嫌だよ!」
ああそうか、とハヤテはその態度が腑に落ちた。チヨは、死を隠された経験があるのだ。おそらく両親の死を、一度。そして今も、姉の死を隠されている。
「チヨ、でも、そんなこと突然言われたら驚くだろ?」
「そしたらあのおばちゃんたちは、サブローが死んだことをいつ知るの? 生き返ったことをいつ知るの?」
チヨは泣きそうな声でまくしたてる。
「チヨ……私はそう急かなくていいと言っているだけなんだ。飼い主に生き返らせてはダメだと言われたら、その時に彼女たちに言えばいい」
「いいよって言って、サブローが生き返ったら?」
「それなら、サブローはまた前と同じように生きるだけだ」
「なんで死んで生き返ったよって言わないの」
そのとき遠くの空でカラスが、カア、と乾いた鳴き声をあげた。もうそんな時間か、と頭の端でぼんやりと思う。ハヤテは夕焼けのせいか怒りのせいか、赤く染まったチヨの顔を見た。
「死んだと伝えられるのは、悲しいことだ。大声で軽々と言うことじゃない。だから私は、もう生き返らないなら死んだと言って、生き返ったのならそのまま生きていると言ったほうが、悲しませないと思ったんだ」
チヨの顔に宿った感情は、怒りから悲しみへと変わっていった。ようやくサブローの死の重みを理解したのだ。
「……うん。わかった。そうするよ」
チヨは小さく頷いて、ぽつぽつとサブローとの思い出話をした。
「サブローはね、ボールで遊ぶのが好きだったよ。チヨがピンクのゴムボールを投げると取りに行くの。ワンちゃんみたいだったよ」
ハヤテはそうか、と相槌を打ちながら、田舎道を進んでいく。子供時代、凶暴な犬を飼っている友達がいて、犬にはあまりいい思い出がないなあと追憶する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます