弐
ふたりは騒ぎながら駅まで向かい、二十五丁目ゆきの電車に乗り込む。チヨはサブローとの思い出を、語って聞かせた。
「サブローはね、煮干しがすきなんだよ。ハヤテも煮干しすき? あげるよ」
チヨはハヤテの意見を全く聞かずに、何匹か煮干しを渡してきた。別に好きでも嫌いでもないので、それを口に含む。味はほぼないに等しい。とにかく出汁の味がする。
「あ! ハヤテ、見て見て! おいも売ってるよ、買って買って!」
今度は、線路沿いを売り歩く石焼き芋の屋台を指さして言った。
「うーん、次の駅まで時間がかかるから、二十五丁目に着いてから買ってやるよ」
「ハヤテのけち! そんなに待ったらお腹すいちゃうよ」
チヨの機嫌が少しだけ悪くなった。
子供の世話はこんなに難しいものだっただろうか、とハヤテは頭を抱える。ユキマサを育てていたのはもう二十年前のことだ。思い出が美化されているのか、彼が特別手のかからない子だったのかは、今ではもうわからない。
「あ、腹減ったならこれ食べろよ」
ハヤテが学校の鞄から取り出したのは、袋に入ったせんべいだった。
「おいもがいいの!」
この状態になるともう話を聞いてくれないな、とハヤテは悟った。そうか、と言いながら、そのせんべいの封を開ける。
「ハヤテそれ食べるの」
「ん、ああ。昼を食べていないから腹が減った」
「チヨに半分ちょうだい!」
また渡さないと機嫌が悪くなるのだろうな、と思って、ハヤテはせんべいを半分に割る。袋に入れた半分のせんべいを渡すと、チヨは嬉しそうに笑った。
「こうしてりゃあかわいいんだがな」
「なに? なんか言った?」
「いやなんでもない」
チヨは小さなせんべいをこれまた小さな口でちまちまと食べ、ハヤテの三倍以上の時間をかけて完食した。
「おいしかった! ハヤテありがと〜!」
礼が言えるのはいいことだ。彼女の親が、最低限の礼儀は教えこんであるのだろう。
「あ、そうだチヨ、母さんか父さんと一緒に来なかったのか……って寝てる」
はしゃいで疲れたのか、チヨはハヤテの隣で眠りについていた。そのあどけない寝姿を見てから、ハヤテは腕の中にある猫の死体に視線を移した。
猫は依然として死んでいる。チヨは、猫が死んだということ自体は理解しているのだろう。しかし、死んだことの重大さはわからない。他の病気と同じように、医者に連れて行って、適切な治療を受ければ治ると思っている。それはときに、少女を傷つけることもある。
「うーむ……まあ、いつかそういうことは自然とわかるだろう」
ハヤテはそう思って、サブローの亡骸をまたジャケットで包んだ。
二十五丁目に到着したのは、それから一時間ほどあとのことだ。ハヤテは三十二丁目に行く電車を見つける前に、どこかで昼飯を食べようと思っていた。
「ハヤテ! はやく飼い主探さないとでしょ!」
しかしチヨが許してはくれなかった。今日は肉の気分だったが、仕方なくぶっかけうどんで妥協する。ぶっかけうどん、ネギ・天かす付き、百十圓。汁の味が濃かった。
ハヤテはなんとなく心もとない食事を終えると、チヨに引っ張られるがままに電車に乗り込む。三十二丁目へ向かう電車はやはり空いている。
「サブローの飼い主、生き返らせていいよって言うかな」
ここまでずっとはしゃぎ通していたチヨが、突然そんなことを言った。
「ダメだって言ったら、どうするんだ」
チヨはうつむいて、しばらく黙りこくった。そして、ぽつりと漏らした。
「泣いちゃうかも」
その声色は、今にも泣きそうなほどに震えていた。
「……どうしてサブローをそこまでして蘇生させたいんだ?」
ずっと一緒に遊びたいから、とか幼稚な答えが返ってくるかと思ったが、彼女は思ったより大人だった。
「だって、死ぬのは誰だって嫌でしょ」
当たり前でしょ、とでも言うような口ぶりだった。この歳で、もう死について考えているのかと、ハヤテは感心した。サブローを生き返らせたいと願う心も、「子供特有の死生観」で片付けてはいけないものなのかもしれない。
「あ、ねえハヤテ」
チヨがふと、視線を外へやった。あれほどまで粗雑に立ち並んでいた街並みは見る影もなく、代わりにあるのは畑だけだった。
その奥に、うっすらと霞んだ山のシルエットが見える。三十二丁目が見えてきている。
「チヨ、あの山の近くに住んでるんだよ」
「へえ。遊びに行ったりはするのか?」
「んー……お姉に妖怪が出るから行っちゃダメって言われてるの」
どこどこにはお化けが出るから、といった迷信系の文句は、子供には効果が高い。チヨの姉はきっと相当賢い。
「姉ちゃんがいるのか」
「うん。ユキマサのこと教えてくれたのもお姉だよ!」
なるほどそれではるばる八丁目まで来たのか、とハヤテのずっと思っていた疑問が解決した。
「姉ちゃんはユキマサのことをなんて言ってた?」
「えっとね、人を生き返らせてくれるすごいお医者さんって言ってた」
その言い方は確かに印象的だ。
死者蘇生が倫理的にどうこう以前に、その技術は革命的で、だからこそ意見が分かれていた。そんなことに今更気づかされる。
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