伍
舞台に出た瞬間、ユキマサと目が合った。彼は拍手をしながら、ハヤテの姿を見て微笑んだ。
オースティンが入場し、次に相手役の男子生徒、セヤマが入ってくる。ハヤテは、ナレーションの第一文を読み上げる。
「時は、二十世紀の初め。戦争の時代まで遡ります。クロエは恋人のヴィクトとともに、小さな小屋で暮らしていました」
オースティンが前へ出る。エンパイアドレスの薄い記事が、スポットライトを受けてきらきらと輝く。
「ヴィクト、今日の配達は何時からなの?」
相手役の男子生徒に、髪をかきあげながら尋ねる。その動きがあまりにも自然で、思わず息を呑む。オースティンの顔をした誰かがそこにいた。
「今日は八時から。日が沈んだら帰ってくるさ」
「じゃああなたの好きなパンを焼いて待ってるわね」
彼女は恥じらいも見せず踊るように舞台の中心まで歩く。そこでくるりとターンをしてみせた。
オースティン演じるクロエは、戦争をどこか遠くに感じていた。一方戦争は日ましに
「昨夜未明、隣国が空襲を行いました」
「頭を守れるくらいの鍋をちょうだい」
街には戦争の様子を報道した新聞が舞い、空襲に備えて鍋などを買い込む主婦たちが街に満ちている。
「ヴィクトは……」
ふと、クロエが空を見上げる。そこにあるのは教室の天井だが、ハヤテには青い空が見えた。視線がつ、と左に移動する。彼女は見えない飛行機を追っている。
彼女は毎日ヴィクトの帰りを待っていた。彼は心配する彼女をよそに毎日帰ってきた。
ある日の朝──ヴィクトは空軍に招集された。操縦士がどうしても欲しいという要請が下ったのだ。
ヴィクトは、国から届いた軍服を着ていた。
「ヴィクト、どうしても行かなくちゃダメなの?」
彼は頷いて、諦めたように笑う。
「ああ。国からの要請だから」
ヴィクトはドアを開けて、家から去った。申し訳程度の貴重品と、日記を持って。
彼は帰ってこなかった。骨さえも、戻ってこなかった。墓を建てようと親戚たちがはやし立てるが、クロエは耳を貸さなかった。
「ヴィクトは……帰ってくるのよ」
連絡が来ないだけで、彼はどこかで生きていると。
きっとどこかで自分に会いに行こうとしていると。
彼女はそう信じて疑わなかった。
──しかし、そのまま戦争は終わった。
ヴィクトは、ついに帰ってこなかった。
最後、教会のシーンに移る。
「あの人は死んでしまった」
クロエは喪服のような真っ黒のドレスを着て、ステンドグラスに向き合った。
「なら、……」
右手でナイフを持って、首にぴたりと当てる。
「わたしも……」
す、とナイフの刃を引く。クロエの体から力が抜け、膝から崩れ落ちる。
どさ、という硬質な音だけが、教室に響いた。
「……以上で二年七組の発表を終わりにいたします」
ハヤテの声を合図にして、教室に拍手の音が響く。舞台から退場する際、ちらりとユキマサの表情を伺った。彼は拍手もせず、呆然とどこかを見ていた。
……たしかに、恋人に送る手紙にしては重い内容だったかもしれない。ハヤテは後悔を僅かに抱きながら、奥へ消えた。
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