肆
翌日、文化祭当日。
ハヤテはユキマサを起こして、普段より早く学校へ向かった。
昨日見たときは未完成だった校門のゲートも、今では色とりどりの花紙で飾られている。横に「第二十回文化祭」と書かれている看板が立てかけられているのを見ると、新鮮な高揚感に襲われる。これだから高校生はいい。
「おはようございます、キリガヤさん」
校門の前でハヤテの登校を待っていた女子生徒のなかに、オースティンがいた。ほかの生徒の視線が彼女に向かないよう、悪いとは思いつつも、返事は手を振るだけにとどめた。ハヤテは周りの女子生徒と一方的な会話を交わしながら、二年生の教室まで向かった。
教室に着くと、そのあとを申し訳なさそうにオースティンが追ってきた。
「よおオースティン。さっきは悪かったな。おはよう」
「あっ、大丈夫です。おはようございます!」
オースティンは顔を真っ赤にしながらお辞儀をする。相変わらず朝から元気だ。
教室の中は、道具のセッティングで忙しそうだ。ハヤテは荷物を端のほうへ置いて、オースティンのほうを向く。
「第一回の劇は九時三十分からだったか。教室の準備が終わるまで、外で読み合わせでもするか」
「ぜひ、お願いしたいです」
オースティンは鞄からぼろぼろになった台本を取りだして、ハヤテの手を引いた。ハヤテも台本を手に取ると、教室の外へふたりで出た。
「では、三ページ最初のナレーションからお願いします」
「はいはい……『ヴィクトは手紙を届ける飛行士の仕事をしていた。クロエは彼の飛行機を追うのが日課だった』」
「今日は北のほうへ向かうのね。今日中に帰ってこられるかしら」
オースティンは、ハヤテの予想に反して落ち着いていた。もう少し緊張しているだろうかと予想していたが、想像よりずっと落ち着いていて、時には笑顔さえ見せた。これなら余程のことがなければ失敗はしないだろう。ふたりは二回ほど通しで練習をした。
最後のナレーションを読み終わったあと、ハヤテは窓から教室を覗く。もうほとんど準備は終わっていた。
「よし。時間もそろそろだし、教室に戻るか」
「はい。今向かいま──あっ、」
ハヤテを追いかけるオースティンが、廊下の床の凹みに引っかかって大胆に転んだ。
「おい、大丈夫か」
「は、はい……あ」
立ち上がろうとして、硬直した。
「……捻りました」
そして、申し訳なさそうに、その事実を告げた。
「立てるか」
ハヤテが差し出した手を掴んで、オースティンは立ち上がる。右足を庇いつつ、教室へ入る。
「おい、だれか湿布かなにか持ってないか」
ハヤテの声を聞いて振り向いたクラスメイトは、肩にオースティンを担いでいるのを見て皆驚いた。
「えっ、どうしたの? 怪我?」「オースティン、舞台に出られるか?」
ハヤテの周囲に、質問する声と、ばたばたと慌ただしく教室中を駆け回る音が満ちた。駆け寄るクラスメイトをかき分けながら、ハヤテはいちばん近くにあった椅子にオースティンを座らせる。
「え、えっと、大丈夫だから……」
彼女はたくさんの人に見られて困惑していた。役に入っているときは平気らしいが、やはりこういう場面ではフォローが必要らしい。
「こいつはこれまでこの日のため心血を注いできた。だからなるべく出させてやりたい」
ハヤテの言葉に、オースティンはこくこくと頷く。
「わ、わたしも、出たいです」
「異存はあるか?」
ハヤテにそう問われて意見できる者はほとんどいない。皆黙ってオースティンの言葉に同意した。
「よし、じゃあ変わらず準備を続けよう」
ハヤテのその声が号令のごとく教室に響き、集まっていたクラスメイトはゆっくりと元の持ち場へ戻っていく。
ハヤテは誰かが持ってきた湿布を受け取り、オースティンの上靴と靴下を脱がせる。その足首に湿布を貼り付けると、足の指がぴくりと動いた。
「キリガヤさん……ありがとうございます」
「気にしなくていい。友達なら当然のことだ」
ハヤテがそう言うと、オースティンは驚いてハヤテを見た。
「と、も……」
「迷惑だったか?」
「いえ、そんな……」
そう言ったきり、オースティンは黙り込んでしまった。靴下を履き、上靴を履くと、立ち上がってハヤテの元から去った。
この反応は、どういうことなのだろうか。
時刻が九時を回ると、一般入場が始まった。ハヤテは廊下の窓から身体を乗り出して、ユキマサの姿を探していた。
ハヤテの周りで女子たちの歓声が上がる。概ね母親か父親かを探しているのだろう。口ではなんとでも言えるが、彼女たちはまだ子供だ。
「キリガヤさんは従兄さん、見つかった?」
「あ、いた。あそこだ」
白衣を着た長身の青年が、人混みに押されながら前へ歩いていく。休日くらいめかし込めばいいのに、とは思うが、多分そこら辺の感覚が彼と違う。
「ええ、どんな人?」「キリガヤさんの従兄さんだから、やっぱりかっこいいのかしら」
周りの女子生徒がユキマサの姿も見ていないのに騒ぎだす。その従兄とやらが汚れてほつれた白衣を纏っているのを見て、彼女らは何を言うだろうか。
彼にとって、服は享楽でなくスイッチだ。金かシオンが関係していないと、ちゃんとした服を着ない。
ハヤテは慌てて教室へ戻る。教室にはもう何人か観客が入っていた。
ハヤテは奥の入口から教室へ入り、舞台裏にいたオースティンに話しかけた。
「オースティン、あとどれくらいで始まる」
「あと十分です」
「足は平気か」
オースティンは足元を見て、はい、と答えた。
「もう大丈夫です。キリガヤさんのおかげです」
「そうか、それならよかった」
どこからかオースティンを呼ぶ声がして、彼女はそちらへ行ってしまった。その歩き方は、もうすっかり治っているかのようだった。
ハヤテが端の椅子に腰かけて台本を読もうとすると、数人の男子生徒のひとりから話しかけられた。
「キリガヤ、前からあんなにオースティンと仲良かったか?」
彼の顔には、不信感が浮かんでいた。オースティンは、いまだに教室の隅にいる。席順の話でなく、立ち位置の話だ。声も小さいし、口数も少ない。そんな女子生徒がクラスの中心に立つハヤテと毎日話しているのは、たしかに変な話かもしれない。
「あいつ、意外と面白いぞ。仲良くなったのは最近だが」
「そうか?」
「ああ。君たちが思っているほど気弱じゃないし、見かけほど控えめでもない。最初の一歩が踏み出せないだけだ」
「へえ。そういうもんか」
ハヤテはそのまま、開始までその男子生徒たちと話した。しばらく話していると、男子たちの隙間からオースティンが覗き込んで、
「もうすぐ始まりますよ」
と声をかけてきた。
隙間から、ちらりとオースティンの服が見える。細かいレースを付けたエンパイアドレスが、彼女の細い体のラインを際立たせている。
一瞬男子生徒たちの視線が彼女に集まったが、彼女は視線に気づくとすぐさまぺこりと礼をして去っていった。
「わりとかわいいな……」
「わりと、だと? ずいぶん上から目線だな」
ハヤテは椅子から立ち、台本を手にしたままステージの方へ向かった。
「見てろ。彼女は君たちが思っているよりずっと魅力的だからな」
そう言い残して、ハヤテは舞台へ出た。
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