参
ハヤテが家に帰るころには、研究所は受付を終了していた。裏口から入ってそのまま二階に上ると、ユキマサが白衣のまま仰向けになっていた。
「……何してるんだ」
「天井のシミ数えてた」
「娯楽を知らないのかお前は」
ラジオでも聞けばいいのに、とハヤテはため息をつく。ユキマサはいつも寝るか起きているのかよく分からない姿勢で時間を浪費している。
「金はあるんだから、なにか買えばいいだろ。カラーテレビがオススメ。買ってくれ」
「狭いから嫌だ」
「お前のスカスカの部屋に置くから平気」
ハヤテは制服のジャケットを脱ぎ、部屋に投げ捨てると、夕飯の支度を始める。炊飯ジャーを取りだして、そこへご飯を一合入れる。
「そうだ、今日オースティンにお前が来ることを話したら、吹奏楽部のコンサートに一緒に行きたいって言ってたぞ」
「オースティン……ああ、パーティのときの。サラ・オースティンさんだな。顔が出てこないが」
「やはりか」
ユキマサは昔から人の顔や名前を覚えるのが苦手だった。人と接する職業としては致命的だと自覚はしているのか、代わりに名簿を作って名前を徹底的に覚えるなどの努力をしている。
ゆえにバカBやらマヌケFやら咄嗟に付けたようなハヤテのあだ名たちは、かなり覚えにくいそうだ。ハヤテは改善する気はないが。
「俺が加わって、気まずくないか?」
米を研ぎながら、ハヤテは答える。
「私とオースティンはかまわん。オースティン家が死者蘇生について中立派だから気にしてるのか?」
背後で衣擦れの音がした。ユキマサが起き上がったのだろう。
「いや、……オースティン家の運営している会社の方針が、死者蘇生について中立だって話だ。必ずしも個人の意見とは合致しない」
「じゃあ来るってことでいいか?」
「ああ、いいけど……」
ユキマサは言うか言わまいか迷ったのか、しばらく黙っていた。そしておもむろに言った。
「おまえ、本当にサラさんを助けた件、覚えてないのか」
ハヤテはあまりにも突然のことだったので、驚いて振り向いた。
「なんでそんなこと訊くんだ?」
「おまえって昔から人のことを覚えるのは得意だろ。それで覚えてないって、おかしくないか?」
確かにそれは、ハヤテも気になっていた。本当に記憶が間違っているのか、それともオースティンが嘘をついているのか。全くわからないのだ。
「おかしいが、覚えてないことは覚えてない」
「一年前のことだろ、一年前……」
ユキマサは独り言のように呟いて、何かを思い出したのか、あ、と漏らした。
「どうした?」
「……いや、なんでもない」
やけに歯切れが悪いので、ハヤテは思わず食ってかかる。
「オースティンについて、なにか隠してることがあるのか」
ユキマサは無言で首を振った。
「おまえには関係ない」
「はあ? なんだその言い方は? 何でもなくないじゃないか。じゃあオースティンにはなにか関係あるのか?」
彼は焦りが明らかに顔に出ていた。昔から父親に似て、隠し事は苦手だった。
「……なあ、いいだろこの話は」
そして、都合が悪くなると誤魔化そうとするところも。
「よくない。お前が私に隠し事をしているのが気に食わないんだ」
「今まで隠し事なんていっぱいしてきただろ」
ユキマサはもともと口数が少ない。そこは父親に似なかった。そして、そのぶん伝わりきらないこともある。きっと彼はハヤテの知らないところで色々な経験をしてきたのだろうな、とは思っている。
しかしそれとこれとは話が違う。今度は自分の領域に関わることなのだ。
「それはどうせくだらんことだろ。気になるんだ、私とオースティンはと……」
友達だから、と言いかけて、ふと、オースティンの言葉を思い出す。
── わたし、学校のクラスメイトからなにかを貰ったの、はじめてなんです。
そう、彼女とはあくまで、いちクラスメイトの関係でしかない。少なくとも彼女の中では。
オースティンは一年前の夏、ハヤテの学校に編入学した。彼女の父親の話では、学校に編入したてのころいじめがあったとのこと。もしかしたらもう彼女は、この学校で友達を作る気はないのかもしれない。たとえその相手が、自分を苦境から救いだした恩人だとしても。
「と?」
ユキマサがつっかえた言葉の先を要求する。恩情と友情は違う。彼女の知らないところで、彼女を誤解してはいけない。
「と、とてもお前のことを気にかけている、から……」
ユキマサはハヤテをじとりと見つめる。自分だって人のことを言えないじゃないか、とでも言いたげだ。
仕方ないだろ、確信が持てないんだから。
「……友達だから、じゃないのか?」
──と思っていたら、ユキマサから反撃を食らった。思わず、え、と声が漏れる。
「じゃないと、おまえがそんなに人のことを気にかける理由がない」
「い、いや、でも向こうがどう思ってるかわからないし」
「おまえはそんな空気を読む人間だったか?」
ユキマサは少しばかり笑ってみせた。
思えば、こんなことで悩むのは自分らしくない。
「それもそうだ。友達だから気になるんだ。教えてくれないか」
ユキマサは逡巡ののち、口を開いた。
「それはだめだ。俺ひとりの一存で言うか否かを決められる話じゃないから」
ユキマサはきっぱりと言い放った。知りたいのならサラさんに直接聞いて、とも言った。ふたりの間でなにか隠し事をしているというのは気分のいい話ではなかったが、このまま無理やり吐かせるのも無粋だと思った。
「そうか……わかった」
ハヤテは小さく頷いて、また米を研ぎはじめた。
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