弐
そのあとハヤテは文化祭に向け、練習を重ねた。楽だと思っていたナレーターも案外楽ではなく、やれ感情を込めろだの、やれ声を張れだの、やたらと演出役の生徒からけちをつけられてうんざりした。
しかし、いちばん大変なのは、むろん主役のオースティンだ。
「今のところ、もう少し声を高く」「背筋張って」「衣装、なにか要望はある?」
四方八方から飛んでくる声に対して、彼女がくるくると応じるさまは少し滑稽だった。たまに生徒の隙間を縫って手を振れば、憎たらしげな
口には出さないが──オースティンは確実にいい方向へ変わっていっている。新しいものに首を突っ込み、自ら辛酸を舐め、ときには屈託のない笑顔を見せる。もともと快活な性格ではあったのだろう。今の方が楽しそうだ。
ハヤテが日々変わりゆくオースティンの様子を眺めること約一ヶ月。ついに文化祭の前日まで日付が迫っていた。
「あなたの声をまた聞けたなら、と願ってしまうのです。……」
オースティンは天を見上げて叫ぶ。彼女はこの一ヶ月の間で、すっかり役に入り込んでいた。ハヤテはリハーサルが終わると、すぐにオースティンのもとへ駆け寄った。
「オースティン!」
「あ、キリガヤさん。お疲れ様です」
ハヤテの姿を見ると、彼女はふいに緩んだ笑みを浮かべる。わずかに疲れの色が浮かんでいる。
「腹減ってないか?」
「え、あ、はい。お腹は空いていますが」
しばらく練習をぶっ通しでやってきたのだ。腹が減っていないわけがない、と思って、ハヤテは持ってきていた包みを見せた。
赤いチェックのバンダナで、ランチボックスを包んでいる。
「こ、これは」
「カツサンドだ。ユキマサに好評でな。作ってみた」
オースティンの顔色が変わる。疲れが吹き飛んだかのように爛漫とした表情を浮かべている。
「えっ、いただいていいんですか、これ」
「まあいらなきゃ私が食べるだけだが」
「い、いります! 嬉しいです! ありがとうございます!」
オースティンは目を輝かせながらそれを受け取ると、近くの椅子に腰かけてランチボックスを開けた。中から細長く切られたカツサンドをひとつ取りだすと、そこで思い出したかのように「いただきます」と口に出した。
オースティンははじめに、小さく口を開けてカツサンドを食べようとした。しかしカツが厚くて滑るのか、不満足そうな顔をして断面を見つめた。
そこでふと周りを見渡して、あたりに人が少ないのを確認すると、今度は思い切り口を開けてカツサンドにかぶりついた。ざく、という音が傍観者にも聞こえてきた。満面の笑みでそれを咀嚼し
「キリガヤさん、美味しいです、これ!」
「そうか良かったな。ソース付いてるけど」
どこですか、と薬指でソースの場所を探す。こうして見ると彼女は年相応の少女だと思わされる。
オースティンは四個入っていたカツサンドをぺろりと平らげ、ごちそうさまでした、と手を合わせる。
すると彼女はハヤテの方を見上げ、口を開いた。
「……わたし、学校のクラスメイトからなにかを貰ったの、はじめてなんです」
先程から反応が大袈裟だと思ったが──そういえばいじめられていたのだったな、と思い出した。まったく心当たりはないが、ハヤテはそこから助け出してくれた恩人なのだそうだ。
「ありがとうございます、キリガヤさん」
オースティンはそう言って、口角を上げてみせる。こんなに感謝されたのは随分と久しぶりだった。
「私もクラスメイトからものを貰ったことはないがな」
ちなみにこの学校に来てからの話だ。ハヤテは卒業するごとに高校を変えているので、前の学校ではそういうことがあった。
「それは違いますよ。ハヤテさんに見合うプレゼントとなると外車二千台とかになるので……誰も出資できないんですよ」
「業者か?」
ハヤテはそこで、ちら、と時計へ目線をやる。
「もういい時間だから、帰るな。じゃ──」
ハヤテが立ち去ろうとしたところ、オースティンにあの、と声を上げて引きとめられる。
「明日、吹奏楽部のコンサート、一緒に行きませんか」
文化祭ではクラスごとの発表のほかに、部活単位での発表もある。中でも吹奏楽部はその目玉で、毎年多くの生徒が集まる。
「ん、すまん、ユキマサと一緒に行く約束をしてるんだ」
「えっ、ユキマサさんが!」
オースティンはユキマサの名を聞くと突如立ち上がり、ハヤテに迫った。
「もしかして劇もご覧になるんですか?」
「ああ。むしろそっちの方が本題だな」
オースティンはそれを聞くと顔を青くして、うそ、と声を漏らした。
「こっ、ここ、心の準備が!」
「いらんだろそんなの」
「いります! 半端なものはお見せできません!」
オースティンは拳を作って鼻息を荒くしている。知り合いに変なところを見られたくないのだろう。これもまた思春期の少女らしい。
「君、プロ意識がやたらと高いな」
「あとやっぱりコンサートはご一緒させてください!」
「ああ、わかったわかった。ユキマサに言っておく。あいつも断らんだろうし」
とは口では言いつつも、パーティのときの反応を見ていると少し不安だった。それでもまあ無理なら無理で何とか誤魔化せるだろう、と考えられるほどにはハヤテは楽観主義で生きている。
「じゃ、明日頑張れよ」
「はい! 頑張ります!」
オースティンは深く礼をして、ハヤテを送り出した。なんだか似たようなのをこの間も見た気がする。
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