店の外には、山羊を象った頭部を持ち、その下に人の体を持つ巨大なモヤが現れていた。その姿は悪魔に似ている。店の周りから人影は消え、唯一カメラを持った新聞記者だけが、そこに集まっていた。


 この星に宿る神──星神の使徒だ。


「おお、こりゃ相当気合い入れて準備したんだな」


 死者蘇生を禁止する理由は、ふたつある。


 ひとつは命の価値を保つため。


 そしてもうひとつは──星神の使徒の襲撃を防ぐため。


 星神の使徒は死者を排除するため、自然物をなかだちにしてこの世界に形を得る。死者は形がなくなるまで食べ尽くされ、その際に邪魔をする人間や建物も全て食べる。


 "死者の排除"という目的はありながら、その実態はほぼ、無秩序な暴力だった。


 ハヤテは店先で異様な数の欅の木を見たときから、店主の思惑を察していた。この店のすべては使徒の召喚のために存在している。


「ユキマサ、準備いいか?」


 ハヤテがユキマサに声をかけると、彼は十字架を投げて渡した。


「ああ。頼んだ、ハヤテ」


 言われるがまま、ハヤテはその悪魔型の使徒に向かって走る。


「あ、おい、アイツ、何考えてんだ!」


 通常使徒の対応は、訓練された街の憲兵が担う。しかしハヤテには、その憲兵にも匹敵するほどの力があった。


「大丈夫です。アイツはやれるので」


 そう言うとユキマサは、電話を貸してくれないか、と言って店の中へ消えた。


 ハヤテはユキマサから受けとった十字架を構え、近くの雑居ビルの壁を蹴って上昇する。手を伸ばし、使徒の背中に張り付いた。背中に十字架を指し、身体の奥まで抉っていく。


 使徒が攻撃の手を緩める。このまま倒せるか、と誰もが思ったところで、ハヤテはその背から振り落とされた。


 地上約十メートルから落ちた少女の身体は、為す術なく地上に落ちた。見ていた店の客からは悲鳴が上がる。その声に反応したのか、店からユキマサが顔を出した。


「……言わんこっちゃない」


 ワタナベはユキマサに悪態をつくが、彼にとくに意に介す様子もない。


「いや、まだ終わっていません」


 至って冷静に、彼は落下地点へ走った。


 少女の身体はひどく損傷している。見たところ背中の骨は折れ、内臓は破裂しているのか吐血している。誰がどう見ても、ハヤテ・キリガヤは死んでいた。


「三十秒あれば足りるか」


 ユキマサは白衣の内側から注射器を取りだし、彼女の首筋に刺した。透明な薬液を注入しおえると、彼は後ろを振り向いて、左脇のホルスターから拳銃を取りだした。


 振り向きざまに目に一発。怯んだところにもう一発。正確に天突──両鎖骨のつなぎ目あたり──を狙った一撃は、使徒の威勢を見るからに削いだ。しかし拳銃では威力が足りない。


 最後にもう一度、今度は鳩尾みぞおちを狙って撃つと、ユキマサは一歩退いた。


「行け、ハヤテ」


 彼の背を軽く飛び越えて、少女が前線に出る。少女は血だらけの制服を纏いながらも、しなやかな動きで使徒の急所を直に殴った。


 使徒の身体が霧となって消えていく。全て消え去ると、最後に宝石のような輝きを持つ石がいくつか落ちた。


 ハヤテはその石を拾うと、ワタナベに向かって見せつけた。欅の葉の形をしている。


「お前が欲しかったのはこれだろ?」


 光り輝く石は、星神の使徒の核と言われるものだ。使徒はこれに攻撃を加えることで弱体化し、割れると現世での姿を失う。ハヤテが持つ数の核は欠けているが、彼女が見せつけているのはまだ割れていないものだった。


 核は貨幣の材料に使われており、高値で売れる。ワタナベの愚行はこの儲けを狙ってのものだった。


「世界星神条約第二条違反で警察に報告しました。しかるべき処置が行政からなされると思いますので、しばらくお待ちください」


 ユキマサは淡々と告げる。ハヤテが戦闘を始めた直後に離脱したのは、警察に連絡を入れるためだった。


「まさか、お前、ユキマサって……!」


 ワタナベが言葉にならない言葉で叫ぶ。ユキマサは再び、感情のない瞳で告げた。


「私は仁科行正。父から技術を受け継ぎ、この街を


 死者蘇生は、ユキマサの父が編み出した技術だが、星神の使徒の件がありなかなか実行に移すことができなかった。


 それを実現したのが彼だった。彼は十歳のころハヤテを作り出し、それからもたくさんの人間を蘇生した。この街は多くの死者とも見えぬ死者を抱え、ユキマサが十五のとき、星神の使徒の攻撃に最も晒された最も危うい街──伏龍街の名が付いた。


「しかし残念だ……貴方が殺した人間は、時間が経ちすぎています。もう蘇生は叶いません」


 店の客、街の人間、新聞記者、ワタナベまでもが、彼を蔑むような目で見た。ハヤテは彼の腕を咄嗟に引いて、鉄道の駅の方まで走り出した。


「ばっ、かお前! 波風立てるなって!」

「いやだって事実だろ……引っ張んじゃねえよ」

「お前徹夜明けでいらいらしてるだろ! 帰るぞ!」


 蘇生の力を手にするユキマサを神のように崇拝する人間がいる一方、蘇生に本能的な嫌悪感を持つ人間はまだ多い。背後から飛んでくる罵声から逃げるように、ハヤテたちは街を駆け抜けた。


 駅に到達すると、ちょうど八丁目行きの特急列車が停まっていた。ふたりがその便に乗り込むと、すぐ背後で扉が閉まった。


「あー……あの店二度と行けないな」

「どうせあの店主は捕まるから閉店だろ」

「うん、まあそうだな、そうだけどな!」


 顔には出さないが相当頭にきたのか、ユキマサは白衣から煙草を取りだして吸い始めた。電車に他の客はいない。ハヤテは横目で彼を見ながら、これは相当参ってるな、と思った。


「ユキマサ、明日はなんかいいもの食べよう」


 ユキマサは憤っていた。自分の利益のために人を殺める店主の精神性に。


 同時に悲しんでもいた。自分の手の届かないところで人がもう二度と帰らなくなってしまった事実に。


「蘇生云々はお前のせいじゃない。この世界の仕組みが悪いんだ」


 ハヤテは流れる街並みを見ながら、その歪さに改めて驚いていた。ハヤテがこの街に来たころは、なんの変哲もない東洋の街だった。いつの間にこんなに世界は狭くなったのだろうか。


 きっと、それもユキマサのせいだ。


「私が代わってやれればよかったのに」


 ふとハヤテが隣を見ると、ユキマサは悄然と彼女を見返してきた。


「おまえが俺の立場なら、俺を蘇生したか?」


 ハヤテは破れた制服を見下ろしながら、考えた。ユキマサに何度も死ぬような苦難を味わわせたくはなかった。


 彼女はそんなふうに考えて首を振った。彼女の意思が伝わったか定かではない。ユキマサはまた煙草の煙を吐いた。

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