弐
イソシマの店、「イソシマ珈琲」は、伏龍街の中心から少し外れたところにあった。そこでユキマサは、夕方メニューのカレーを頼んで食べていた。ハヤテは彼の横でブラックコーヒーを啜りながら、イソシマに向かい合っていた。
「あの、ニシナさん。いいですか?」
「あ、すみません、食べるのやめます……」
ユキマサがきまり悪そうにスプーンを置き、イソシマの話を聞く体勢に入る。
「ああ、いえ、少しショッキングな話になるので、お食事中は控えた方がいいかと思いまして」
「そういうことなら心配ない。こいつは今とんでもなく腹が減ってるんだ。食欲は減退しない」
ハヤテが助け舟を出すと、イソシマはわかりました、と頷いて話を始めた。ユキマサはこっそりとカレーをまた食べ始めた。
「私は殺されました。『スプランディッド』の店主、ワタナベに」
なるほどショッキングな話とはこういうことか。ハヤテが納得しつつ隣を見やると、ユキマサは変わらずカレーを食べていた。死に近い彼にとって、殺した殺されたは大した問題ではない。
「『スプランディッド』って、たしか一丁目に出来た洋食店だったよな。そこの店主がどうしてあんたを殺したんだ?」
ハヤテが訊くと、イソシマは顔を翳らせた。
「わかりません。競合他社を潰したいと見ていますが……」
そこでカレーを完食したユキマサが口を開いた。
「わかりました。我々が調査しましょう」
「まだ食べ足りないのか?」
ユキマサに頭をペしりと叩かれ、ハヤテは不満げに頬を膨らませる。しかし実際食べ足りないのだろう、そこからの行動は早かった。
「イソシマ珈琲」がある十二丁目から鉄道で移動して約一時間。ハヤテとユキマサは、一丁目の「スプレンディッド」までたどり着いた。
石造りの白い建物で、店はかなり大きい。白亜の洋館のようだ。その建物を埋めるように
「おおユキマサ。緑が多い店だな」
ハヤテが店構えを見てまず口にした言葉はそれだった。ユキマサははなにか考える仕草をしたあと、「そうだな」と頷いた。
「ハヤテ、今日は好きなものを食べていい」
「本当か、やったー!」
すっかり機嫌が良くなったハヤテは、踊るように入店する。
店内は感じのいい洋食店といった雰囲気で、どこからかバターのいい匂いが漂っている。給仕服を着たウェイトレスがふたりを出迎え、窓際の席に案内した。
「ご注文はいかがしますか?」
「鹿肉のボロネーゼとハンバーグステーキにBセット、それと食後にりんごジュースにパフェを」
食べっぷりに少し驚きつつ、ハヤテもオムライスとコーヒーを頼む。
やがて注文した料理が届く。オムライスは卵が半熟で、上には甘めのデミグラスソースがかかっている。
口に入れると卵が舌の上でとろりと溶け、中から塩辛いチキンライスが顔を出す。小さく切られたソーセージは肉厚で、噛むたびに肉汁が出てくる。グリーンピースに火が通っていて、甘く柔らかい後味がある。
ハヤテはそのオムライスに感動して、しばらく調査のことを忘れてひたすらオムライスを食べていた。それはユキマサも同様で、ふたりはしばらく食事を続けた。
ハヤテはオムライスを食べ終えると、辺りを見渡した。店に人は多い。しかしウェイター・ウェイトレスも多く、まるで店の奥にある何かを守っているかのような──。
「ハヤテ、何か変わったことは?」
「……店の中に人が多いな。不十分とも思えるほどに」
なるほど、と頷いて、ユキマサはBセットの白飯を食べ進める。
「カマをかけてみるか。……注文いいか、ウェイター」
ハヤテは近くを歩いていたウェイターを呼び止めて、追加注文をした。
「カフェオレを頼みたい。十二丁目の『イソシマ珈琲』で、ここのミルクが美味いと今日教えられてな」
ハヤテがそう言うと、ウェイターはあからさまに顔色を変えた。
「イソシマ……!」
「おっと、心当たりがあるようだ。店主を呼んでくれるか?」
ウェイターは狼狽え、店の奥に消えた。しばらく待つと、キッチン方面から朗らかな青年が出てきた。
「当店店主のワタナベです。なにか料理に問題でも?」
ハヤテは好機だ、とばかりに微笑んだ。
「料理は非常に美味しいんだ。イソシマの紹介だけあるな」
その名前を出すと、ワタナベは眉を顰めた。
「……そうですか。ありがとうございます」
「しかしなあ、しかし……」ハヤテはオムライスを指さし、残念そうに笑った。「これを作るのに、いったい何人の料理人を殺したんだ?」
その言葉に、店の空気が変わる。ワタナベは怒りをあらわにし、店の客は混乱して悲鳴をあげ、ある客は新聞の記事を指さしていた。
「ああ──巷じゃあこの事件に名前がついてるんだったな」
ハヤテは今日帰ってきたときに聞いたその名を口にする。
「『料理人失踪事件』……その犯人がお前なんじゃないかと、私は考えているんだが」
ハヤテは追い詰められたワタナベの
「何をでまかせを、俺は──」
ワタナベは言葉を続けようとしたが、突如店の外で響いた轟音にその先は遮られた。
ハヤテとユキマサは同時に椅子から立ち上がる。ユキマサは事態を察し、一万圓札を机に置いて走りだす。
「よかったなワタナベ。念願が叶ったらしいぞ」
ハヤテはごちそうさまでした、と手を合わせ、ユキマサの背を追って店の外へ飛び出した。
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