第二話 ローストビーフと葬儀

 伏龍街八丁目十二。


「ニシナ医療研究所」と書かれた二階建ての建物。そこに暮らす女子高生、ハヤテ・キリガヤの朝は早い。


 午前六時。起きて食パンを口にし、歯磨きをして制服に着替える。今日はよく晴れていて、朝だというのにじんわりと暑い。昨晩かけておいた洗濯物を干し、軽くリビングの掃除をする。


 午前六時半。弁当作りを始める。アルミの安い弁当箱に昨日の残り物の筑前煮を詰め、卵焼きを詰めて冷やす。


 午前七時。一階で眠るユキマサを起こす。入院患者がいない時はふたつあるベッドのどちらかで、ベッドが埋まっているときは適当にそこら辺で寝ている。


 今日は手術台で血だらけになりながら寝ていた。揺すり起こし、着替えるように言って、ユキマサを二階まで連れていく。


 午前七時十五分。ユキマサに朝食を食べさせる。食パンにベーコンと目玉焼きを乗せたものだ。ユキマサは食べ終わると目が覚めたのか活発に動きだす。


 そのとき、電話がかかってきた。ベルの音が居間に響きわたり、ユキマサの身体がびくりと跳ねる。ユキマサは電話の音が苦手だった。


「おいユキマサ、出ろ」


 驚いて眠気が覚めたのか、わかったよ、と渋々立ち上がって電話に出る。


「はい、もしもし、ニシナ医療研究所ですが──あ、アスターか。久しぶりだな」


 友達だったようで、ユキマサの声がとたんに柔らかくなる。口元にも笑みが浮かんでいる。


「うん、二週間後? 暇だけど……」


 なにか重要なことを聞いたのか、次の瞬間ユキマサの顔から笑みが消える。


「うん、ああ、わかった……ありがとう。じゃあ」


 ユキマサは受話器を置いて、ハヤテの方を振り返って告げた。


「二週間後、飯はひとりで食べてくれ」

「ああわかった。友達と食べに行くのか?」


 まあそんなところだ、とユキマサは曖昧な返事をした。しかしその顔つきは、どう見ても友人同士の食事だなんて気楽なものだとは思えなかった。


 午前七時半。学校へ向けて家を出る。駅まで歩き、そこから二十分ほどかけて鉄道で移動する。


 午前八時。学校に到着。校門に群がる女子生徒のひとりに鞄を預け、特に考えもせず相槌を打つ。


「キリガヤさん、昨日も西の方で戦ったとか……」

「ああ、大した相手じゃなかったな」


 その一声で、きゃあ、とハヤテの周りで黄色い声が上がる。ハヤテが通う高校は男女共学だが、ハヤテはどの男子よりも女子生徒にもてた。


 とにかくどこにいてもハヤテ・キリガヤという女子生徒は目立つ。ミステリアスで退廃的な彼女は、その年代の人々を引き付けてやまない。


 しかし彼女が死者だということは、誰にも明かされていない。ゆえにほかの生徒がどれだけ彼女と親しくしていようとも、ハヤテがその正体を自ら見せることはなかった。


 ハヤテは午前四時間の授業を終え、一番楽しみにしていた昼休みを迎える。彼女が鞄から弁当箱を取り出すと、彼女は屋上へ向かった。


「……ふう。もうここくらいしか人のいない場所はないな」


 夏の始まりを予感させる生ぬるい風が屋上を吹き抜ける。ここが唯一、ハヤテがくつろいで昼食を食べられる場所だった。彼女以外、ここの屋上に繋がる扉には鍵がかかっていると信じて疑わないからだ。


「昼飯くらいひとりで食わせてほしいもんだ──っと」


 ハヤテは臙脂えんじ色の包みを広げ、弁当箱を取り出す。今朝作ったばかりにもかかわらず、弁当箱を開けるときには独特の高揚感が伴う。


 今日の弁当は筑前煮に卵焼き、それにほうれん草のおひたしをおかずにした日の丸弁当だ。だいたいいつも弁当はこのようなラインナップで、たまに洋食が入ることもある。


 ハヤテはまず、筑前煮に手を伸ばす。皮のついた鳥もも肉をさといもと椎茸で挟み、一気に口に入れる。自家製の梅干しを崩しながら米をかきこみ、ゆっくりと咀嚼そしゃくする。甘いみりんと醤油の匂いが鼻から抜けて、思わず顔がほころんだ。


 口をサッパリさせるためにおひたしを食べ、次は卵焼きに手を伸ばす。我ながらうまいなと独りごちながら、ハヤテは箸を進めた。


 見上げるとくすんだ青空が広がっている。遠くにうっすらと積乱雲が見えた。


「今日は寄り道せずに帰るか……」


 夕立でせっかく干した洗濯物が干し直しになるのは避けたい。加えて以前ユキマサに雨が降ったら取り込むよう言い置いたときは洗濯物を全て道路に落とされたので、人に任せるわけにもいかない。


「あいつも家事ができるようになるといいんだけどなあ、無理かなあ……」


 答えは明確だった。ユキマサは本当に医療以外のことはまったくできない。前の家はユキマサが目玉焼きをしようとしたら全焼した。


「……ま、私がアイツが死ぬまで面倒見ればいいだけの話か」


 ハヤテは立ち上がって伸びをする。

 死体は歳を取らない。ハヤテはユキマサが十歳の頃から、ずっと女子高生のままだ。

 取り巻きに見つからないようこっそりと教室に戻ると、クラスは別の生徒の話題で盛り上がっていた。


「オースティンさん、ウォルコットのパーティに出るの?」


 ハヤテは教室の前で腕組みをしながらそれを盗み聞いていた。伏龍街でウォルコットといえばウォルコット・カンパニーだ。街の中心地、五丁目に居を構えるその会社は、世界でも五本の指に入るほどの大企業。その実態は多岐にわたり、本当は何をする会社なのか、民衆に対しては明らかにされていない。


 しかし、ハヤテはユキマサから聞かされていた。


 ──あの会社は元は葬儀会社だ。


 この世界では、葬儀が重要視されている。星神の使徒が狙うのは、正確には死体ではない。、だ。


 ゆえに死と生の境界をはっきりさせる葬儀は、この世界にとって重要だ。しかし葬儀と言われると本能的に身がすくんでしまうものなので、ウォルコット・カンパニーは実態を隠しているのだ。


 オースティン、というのは同じクラスの女子生徒だ。

 フルネームはサラ・オースティン。西洋人の家系で、容姿端麗、成績優秀、家のパイプも太い。性格は大人しく優等生タイプだが、ハヤテをどこか怖がっている節がある。


「うん。わたしはただの父上の付き添いなんだけど……」

「ええ、でもすごいよ。いいなあ、お土産話聞かせてね」

「えっ、でもまだ二週間も先だし……」


 内気なオースティンは、周りの女子生徒の矢継ぎ早な質問に対して臆しているようだった。ハヤテは頃合を見ながら、飛び込もうと思っていたが。


「やっぱり美味しいもの出るの?」

「あ、ええと、いつもああいうパーティには外国からシェフが来てくれたり、する、けど……」


 シェフ。外国から。


 その言葉を聞いた瞬間、ハヤテは色々なことがどうでも良くなった。今帰ってきたふうを装いながら、彼女は教室に入る。すぐさま視線が集まり、オースティンはハヤテを見ると縮こまった。


「オースティン」

「ひゃいっ!」


 目を閉じ頭を隠しながら、オースティンはハヤテの方を向く。


「ステーキは出るのか?」


 その質問に、思わずオースティンは目を見開く。ハヤテは昼を食べ終えたばかりだというのに、目が輝いていた。

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