それからアスターは仕事をやめて、尊敬していた先輩の話とやらを文字に起こした。ほかにもやりたいことがあるらしく、仕事をしていたときよりも忙しそうだった。


 アスターがいつまでも若々しいのは、きっと目標があるからだと少年は思った。


 アスターがその話を書き終えるころ、出版社からその話を本にしませんかと依頼が来た。少年は嬉々としてそのメッセージをアスターに見せようとした、が。


「……急性心不全?」


 彼のいる伏龍街を訪ねたころには、もう遅かった。息絶えるときまで、彼は文字を書いていた。



   □□□



「そうか、今日アスターの三回忌か。うーむ、生きてたら七十八歳になるんだな」


 献本を手にした青年は、また伏龍街を訪れていた。計算すると、彼は彼の祖父が"死んだ"ときと同じ年齢になっていた。


 この街は、何も変わらない。変わったのは旧五丁目にあるホテルの支配人くらいだ。


「すみません、えっと……」


 支配人を呼ぶと、前の管理人よりふた周りほど若い男性が出てきた。会ったことのない人だ。


「ここ、ぼくの親戚の家だって聞いて。献本、余っちゃったのであげます」


 男性は怪訝けげんそうにその本を受けとったが、著者名を見て驚いた。


「アスター……ウォルコット?」

「あ、え、違いますか? えと、本当はフカザワっていうんですけど」

「いや、違う……僕がすごい小さいときに、会ったことがあるそうなんだよ。アスターさんに」


 アスターは生涯伴侶はいなかったらしいから、あるとすれば彼の甥だろうか。青年はなぜか、少し誇らしかった。


「彼は元気?」

「あ、それが、亡くなってて。ちょうど三年前に」

「ふうん、そう……」


 特に反応はなかった。生家との縁は切れてしまったようだ。アスターは生家のことを語りたがらなかったから、彼と生家との繋がりは、もうこの本と青年しかなかった。


「まあいいよ。ありがとう、お姉さん。お姉さんは孫かなにか?」


 親子そろって同じ間違い方をするので、青年は思わず吹き出してしまった。間違いに怒る気もなかった。


「な、なに……?」

「あはは、いや、お母さんそっくりですね!」

「おふくろがどうしたんだよ……」


 ひとしきり笑ったあと、青年は失礼、と言って咳払いをした。


「いえ、こちらの話ですよ」


 男性は青年の顔を不思議そうに見ていたが、あ、そう、と言ったきり何も干渉してこなかった。


「ここで会ったのも何かの縁だし、カレーでも食べていく? 僕のおごりで」

「えっ、いいんですか。ありがとうございます。タダなら食べたいです」

「一言余計だなあ……」


 男性は青年をレストランに連れていく。少年はこのホテルの自慢だという牛フィレカレーを頼んだ。


 右手でスプーンを持ちながら、少年はアスターの本を読みはじめた。何度も読んだものだが、それを読んでいるかぎり祖父たちが味方をしてくれる気がする。



 この街では死者蘇生が許されていた。

 しかし今では、その技術は失われた。


 彼岸花が、ゆらゆらと揺れている。

 彼らの記憶はこの街で生きている。

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