終章
エピローグ カレーライス
壱
かつて伏龍街と呼ばれた都市。
再生医療の父、仁科行正はこの街で生まれ、この街で生涯を終えた。
父親から受け継いだ死者蘇生の技術を実用化させ、数多くの人間を助けた。彼の名は、死者蘇生の実用化から半世紀以上経った今でも、再生医療の教科書の第一行に載る。
線の細い黒髪の少年が、かつての伏龍街を歩いていた。つば付きの黒いキャップ。清潔感溢れる水色の半袖シャツ。高校生にしては少し幼い。
「仁科行正さんについて、訊きたいことがあるんですけど」
少年が彼の名を出すと、人々は様々な顔を見せた。
拝むように尊敬した人もいたし、笑ってみせた人もいる。一番多かったのは嫌そうな顔。「その男の名を出すな」とも言われたが、よく聞いてみれば彼の全てを嫌っているわけではないようだ。
「死にたくない奴を生かしたのはあのひとよ。でも、結局病も老も解消してない。あのひとの野望は、この世界を危険に晒してまで果たす偉業だったのかしら」
旧五丁目にあるホテルの支配人は、そう語った。
仁科行正の主な業績は、死者蘇生。
しかし制約が多く、病状が全身に回るような病気や老衰による死は乗り越えられなかった。……いや、乗り越えようとしなかったのかもしれない。
彼は結局、人に殺される人を減らしたにすぎない。そして殺人の恐怖から世界を救った彼は、世界に星神と共に生きる道を強要した。
──あまり、聖人として語られる人ではない。
「仁科行正は結婚後、死者蘇生の研究をやめましたよね。細胞レベルで再生医療を研究して、晩年はノーベル賞を二回も受賞した」
こんなのはインターネットを見れば好きなだけ手に入る情報で、少年が知りたかった情報ではない。
「救えるものって、手術された人たちだけですか?」
少年が知りたいのは、彼が生きた道だ。
年老いた女支配人は驚いた顔をした。よく知ってるわね、と言った。
「……あのひとは、思ったより多くを救ったのかもね」
「あの、支配人さん、さっきから思ってたんですけど、……仁科行正とお知り合いですか?」
少年がそう尋ねると、支配人はえ、と声を漏らした。次にいやあ、と首を捻ったことから見るに、あまりいい関係ではなかったようだ。
「嫌な人でした?」
「いや、嫌な奴じゃないわ。誠実な奴だった。あたしが結婚の挨拶くらいはしなさいって言ったら、意地悪な兄がいるのにうちに挨拶に来たし」
少年は貴重な情報が得られる気がして、身体を乗り出した。
「挨拶?」
「うーん、なんて言うか……養子に出された奥さんの本元? みたいなとこなの、うちは。言うなればあたしの……まあ義理の兄ね、あのひとは」
「か、家名は」
支配人は近くにあった看板を指さして、無愛想に告げた。
「ウォルコット」少し考えたあと言った。「あたしのことはダリアって呼んで」
少年はスマホのメモにその名前を書き留めた。ウォルコットのスペルがわからなくてあわあわしていると、ダリアが手伝ってくれた。この人も、嫌な人ではないらしい。
「ありがとうございました、ダリアさん。貴重な情報をいただけて嬉しいです」
少年がその場を去ろうとすると、ダリアは声を上げて引き止めた。
「お嬢さんは?」
「え?」
「お嬢さんは、ユキマサ・ニシナとどんな関係なのかしら?」
ぼくはお嬢さんに見えるのか。少年はショックを受けたが、話がややこしくなりそうなのでとりあえずその質問に答えた。
「孫です。彼の孫」
そう言うと彼女はひどく驚いた。そうか、ぼくはこの人の親戚にあたるのか、と少年も驚いた。
「え? じゃ、なんであのひとのことを訊くのよ?」
ダリアはひどく狼狽した様子で少年の肩を掴んだ。弱々しい骨ばった手は、案外力強い。もともと強気な人なのだろう。年老いても全身をばっちり着飾っているところからも伺える。
「祖父はこの街でずっと暮らしていました。ぼくは会ったことがないんです」
少年は鞄の中から一通の手紙を取りだした。「仁科紬さまへ」と下手な宛名が書かれた手紙だ。
「ぼくは祖父の葬式に来ました」
ダリアはその手紙を忌々しいものでも見るかのように見つめてきた。死を悼んでいるのだろうか。
「祖父のしたことは祖父の友人の……ハヤテさんから聞いてます。でも、祖父の性格については何も教えてくれなかった」
ハヤテの名を出すと、ダリアは目を見張った。
「ハヤテ?」
「ええ。金髪の、かわいい女の子……もう大人ですかね。小さいときにしか、会ったことがないんです」
「女の子……女の子、なの?」
何故そこを強調するのかわからなかったが、ダリアの次の言葉で少年は全てを察した。
「あのひとが挨拶に来たとき、その子もついてきた。あのひとが若い頃の話になるから、もう五十年くらい前の……」
彼女の話が本当だとすれば、ハヤテは五十年以上ユキマサのそばに居たことになる。
──ユキマサの初めての蘇生は、外国から来た少女だ。
少年は、幼いころよく子守りをしてくれた少女を思い出していた。ハヤテの髪は小麦色で、目は青空の色で、一生色褪せないかのように鮮やかな色だった。
──お前に会いたがっているのは事実だ。でも、少なくとも死ぬまでは、仕事を必死でしたいらしい。
少年は小さいころ、それを都合のいい方便だと思っていた。
でも、違う。今なら違うとわかる。彼女はユキマサの大事な人で、半身だった。だから彼の元に、彼女を送り込んだのだ。
「えっと、どうしたの?」
自分のことを愛していないと思っていた祖父は、ずっと間接的な方法で少年に手を伸ばしてきていた。
「あー……もう、あたしは慰めるのは苦手なのに……」
触れたことのない温かい手が、背中に触れていた。大きくて、肉厚の、ダリアの手とは全く違う手が。少年の心臓の裏を掴んでいた。
「だって、もう、会えないんですよ」
「……そうね、会えない……うん、会えないわね」
もうその熱い手は、冷たくなっている。そして肉厚の手は、少年の目の前で高熱に晒されて骨になる。
「てを、手を握って、ください」
「あー、はいはい……なんか兄弟のことを思い出すわね……」
ダリアは少年の手を握った。冷たい手だった。
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