第十二話 オールド・ファッションの憂鬱
壱
伏龍街五丁目。
四月に入り、周りの環境が少しずつ変わっていった。アスターは久しぶりにやってきた伏龍街を見上げた。
狭い建物の隙間から桜が申し訳なさそうに頭をもたげている。曇り空のせいで桜色が色あせている。
この国のほかの街では情緒たっぷりの桜が咲いているし、今頃アスターの祖国ではネモフィラが咲き始めているだろう。
でもこの街の桜もそれはそれでいいと思った。
アスターは五丁目の中心に建つウォルコット・カンパニー本社を前に、立ちすくんでいた。美しいルネサンス様式の建物は、通称「チョーク・パレス」と呼ばれる。
アスターはゆっくりと足を進め、入り口の扉を開ける。
大理石の床にシャンデリアの光が反射している。アスターはゆっくりと受付まで足を運ぶ。受付の女性に見覚えはない。少しだけ安堵する。
「華山デイリータイムズから参りました、記者のアスターと申します。本日は社長交代の件で取材に伺いました」
そう言うと、奥の会見室まで通される。緊張のあまり早く行き過ぎたのか、まだ会見室に記者はいない。アスターは先にいちばん前の席について、取材する内容を精査していた。
ウォルコット・カンパニーの社長が交代した。もとはアスターの母が社長を務めていたが、先日兄が社長になった。兄にはあまりいい思い出がない。
――できの悪い弟だ。
アスターは八年前に見た兄の顔を思い出しながら、憂鬱な気分で会見の開始を待った。しばらく待っていると、ほかの会社の記者たちが入ってきた。
「社長はまだ二十代だそうだ」「ウォルコット・カンパニーの他国への展開がどうなるかが重要」「伏龍街での事業展開も訊かなくては」
ほかの記者の話を盗み聞きしていると、いかに姉の存在が社会にとってどうでもいいかがわかる。八年前は「ウォルコット・カンパニーの社長令嬢が誘拐された」と話題になったが、これだけ時間が経つとそんな肩書は薄れてしまう。彼女の行方を尋ねようとする記者は誰もいなかった。いずれシオンの記憶が戻っても、彼女はここに連れてきたくないな、と思った。
アスターは懐中時計を盗み見た。もうすぐ会見が始まる。メモを取り出していると、扉が開いてふたりの人物が入ってきた。
最初にスーツを着た壮年女性が入ってくる。彼女は記者席には一瞥も投げず会見席に座る。彼女は先代社長のマーガレット・ウォルコットだ。
そのあとに続いて、正装を身に纏った美しい茶髪の青年が入ってくる。彼はアスターのほうを一瞬見た。ほかの記者にとっては意識も向かないほどわずかな視線の揺らぎだったが、アスターに恐怖を与えるには十分だった。
「本日はお集まりいただきありがとうございます」
青年が声を上げる。記憶にある兄の声と全く変わりはない。
「このたび弊社ウォルコット・カンパニーの社長に就任した、フェリシア・ウォルコットと申します。本日は今後の経営方針などの説明に参りました」
フェリシアは丁寧なあいさつから会見を始めた。社長交代の理由から先代の反省点を筋道立てて話し、つつがなく解説を進めていく。
彼らは、一度もシオンのことには触れなかった。
「私はウォルコット・カンパニーをより大きな会社にするため、今後は貿易商社と業務提携をして国外へ事業を広めていきます」
フェリシアは記者人に向けて堂々とそう宣言した。シャッター音が会見室に響き渡る。アスターも、周りの記者に合わせてフェリシアの誇らしげな顔を写真に収める。
「本日はお集まりいただきありがとうございました」
フェリシアとマーガレットが礼をして、会見はいったん終了した。
「以降は質疑応答へ移ります」
司会の男性がそう言うと、記者たちの空気が変わった。アスターが質疑応答用のメモを捲っている途中で、ほかの新聞会社の記者が手を上げる。
何人かの記者が質問を終え、アスターも挙手を始める。
「滝川新聞のものです。ウォルコット・カンパニーの最初の事業である葬儀事業の拡大は、考えていらっしゃいますか」
その中のひとりが、そんなことを訊いた。ウォルコット・カンパニーの始まりが葬儀会社だということは、多くの人間に伏せられている。
記者陣も知らない者が多いらしく、彼の周りから波状にざわめきが広がっていく。葬儀会社と言われるとイメージが悪くなる、と言って秘匿していたが、そもそもウォルコット家が伏龍街に進出したのは葬儀事業の拡大が目的だ。フェリシアは記者陣の動揺を気にも留めず、その質問に答えた。
「年々伏龍街での使徒顕現が多くなっていますので、私たちウォルコット・カンパニーも、この街を守るため葬儀場の増設などを行っております。今後も葬儀場の増設や警察との連携は強めていきますが、それ以外に事業を広げる意向はありません」
つまり葬儀事業に力を入れるつもりはないということだろう。伏龍街にはウォルコット・カンパニーのほかにも葬儀会社はある。それでも使徒の顕現数が減らないのは、ユキマサが蘇生させた死者の数が年々増えているからだ。
死者を助けるという目的は崇高だ。しかしそういうことを考えると、たしかに死者蘇生の技術は批判されるのも仕方がないことなのかもしれない。
質問を終えた記者はありがとうございますと言って席に着く。アスターはまた挙手をして質問権が回ってくるのを待つ。アスターがウォルコット・カンパニー関係者だと知らない司会者は、何のためらいもなくアスターを指した。
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