三章

第十話 記憶の海をままかりは泳ぐ

 伏龍街十丁目。


 ハヤテは授業を話半分に聞きながら、ノートにメモを書いていた。歯ブラシ、石鹸、靴下。書いては頭を抱えている。


 来週ユキマサはアメリカで研究発表をすると言っていた。なら、大きい鞄やスーツケースなんかもいいかもしれない。でも歯磨き粉もなくなったと言っていたし──と、ハヤテの頭を様々な憶測が飛び交う。


 そのうちチャイムが鳴って、ばたばたと忙しない音を立てて一日が終わる。ハヤテは鞄にぴかぴかの教科書とプリントを入れ、たいして中身のない鞄を肩にかけた。


「ハヤテさん、帰ろう」


 サラがハヤテの席まで来てそう誘ってくる。ハヤテは言葉にならないくらいいい加減に返事をして、教室の出口へ向かった。


「今日はいつにも増して授業を聞いてなかったみたいだけど……」


 控えめにサラは言ってくるが、「いつにも増して」の部分にだいぶ毒が込められている。ハヤテは生返事をしながら、頭の中では別のことを考えていた。


「もう、なにか悩んでるなら言ってほしいよ」


 ふだん、サラは淡々と小さな声で話すが、その時ばかりは声をあげた。ハヤテは肩を跳ねあげて、わかったから、と宥める。


「あー……もうすぐユキマサの誕生日なんだ。一月二十一日」

「え、そうなの!」


 サラは声を朗らかに跳ねさせて、嬉しそうな反応を返した。なにか贈る気なのだろうか。

 サラは恥ずかしそうに咳払いをして、それでどうしたの、と続きを話すよう促した。


「あいつにプレゼントを渡したいんだが、どうも決まらなくて」

「なにその平和な理由……候補はあるの?」


 サラは苦笑いしつつも、ハヤテの相談に乗る姿勢を見せた。


 ハヤテは鞄から先程書き込んでいたノートを取りだし、プレゼントの候補を見せる。


「靴下、注射針、スコープ……え、なにこれ? 買い物のメモ?」

「プレゼント候補だ」

「こ……これで喜ぶの?」

「比較対象がないから何とも」


 サラは引きつった笑顔で質問を続ける。


「ハヤテさんって、ユキマサさんと付き合い長いんだよね?」

「ああ。あいつが生まれたときからの付き合いでな」


 そういえば母親だと言っていなかったな、と思いつつ、ハヤテは頷いた。


「それならなおさら、ユキマサさんが子供のときからそういう……その……必要があれば買うようなものばかり買ってたの?」

「いや、あいつが子どものころは鉛筆とか……」

「全然反論になってませんよぉ」


 サラは気が抜けると敬語に戻るのか、頬を膨らませて嘆いた。サラはそれしまって、とハヤテのノートを指さした。


 長く生きていると、自分が世間からズレていることを嫌でも思い知らされる時がある。ハヤテは今がそのときなのだと思って、しぶしぶノートを鞄にしまった。


「例えば何を送ればいいんだ」

「欲しいけど自分では買う気になれないもの……かな。オシャレなハンカチとか、ネクタイとか」


 ハンカチ、ネクタイときたか。ハヤテは心の中で唸った。


 ハヤテは男性物を選ぶセンスがない。自分が着る服を選ぶときは、"自分が着る"からこそいいものを選べるのだ。


「……サラ、一緒に選んでくれんか。私はどうもそういうのは苦手で」

「えっ、ゆ、ユキマサさんのプレゼントを選ぶの? わたしが?」

「嫌ならいいが」

「い、嫌じゃない嫌じゃない! 光栄の極み!」


 興奮のあまり口調が変になっている。面白いやつだと思いながら、じゃあ決まりか、とハヤテは微笑みを浮かべる。


 少しだけ方向を転換して、夕暮れが映える白いコンクリート造りの繁華街へ向かう。秩序なくぶら下がった看板のひとつには「雑貨」という二文字が日本語で書かれている。


「なんなら誕生日にうちに来るか? なんも出せんが、お誕生日おめでとうくらいは言えるだろ」

「え、あ、うん!」


 サラは明らかに嬉しそうに笑った。


「ところで、ユキマサさんは今年でいくつになるの?」

「二十六だ」

「思ってたより若いなあ。三十歳は超えてると思ってた」


 昔からユキマサは大人びて見えた。ユキマサが中学のころには、もうハヤテは「従妹」で通っていた。


 成長が早いと、親としては物足りない気がする。とはいえ、成長速度は共にいられる時間とは関係がないが。


 長く共にいられさえすればいいのだ。いくらユキマサが老いようが、息子であることには変わりないのだから。



 ハヤテは普段より少しばかり遅めに帰宅した。ユキマサはとくに意に介さず、真面目に仕事ばかりしていた。


 受付のテーブルに、資料の山があった。覗いてみると、英語で『死者蘇生の原理について』と書かれていた。ハヤテはどんなことが書いてあるのかと視線をやる。

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