第八話 和牛ステーキの晩餐

 伏龍街十丁目。


 十月に入り、ハヤテの学校では修学旅行の準備を始めていた。ハヤテはどうせ参加出来ない行事なので、準備にも身が入らない。


「それじゃ、今年の修学旅行の行先、華山かさん街について調べろ」


 ハヤテが図書室の隅で地図をぼーっと眺めているうちに、班員の女子生徒がせっせと参考文献を持ってくる。パンフレット、歴史資料、はたまたバスの時刻表まで。


「キリガヤさん、どの寺院に行きたい?」


 女子生徒のひとりが、ハヤテにそう尋ねた。班員全員の視線が、ハヤテの顔に集まる。面倒なことになった。


 とりあえずハヤテは生前行ったことのある名所の名前を並び立てた。どこの班も行くであろう陳腐な名所だ。しかし班員はハヤテの提案を褒めちぎり、全て行き先リストに書き込んだ。


「やって欲しいことがあればなんでも言ってね」


「お、おう……」


 正直に行かないと言ってしまえばこの時間は楽なのだろうが、その場合理由を聞かれる。全身全霊を以て、踏み込めるだけ踏み込んでくる。


 それもそれで面倒なので、ハヤテは当たり障りのない名所をリストアップしていく。これまで何度か修学旅行を経験する機会はあったが、結局いつも巻き込まれていた。


「じゃあここのお守りを買おう。学業の神を祀っているらしい」


「いいね! じゃあここは二日目の最初で……」


 出席番号順で班を決められたので、オースティンとは班が分かれている。なんとなく彼女は張り切っているような気がして、ハヤテは話半分にオースティンを探した。


 彼女は、班員から少し離れたところに立っていた。話していないが、班に馴染めなかったという訳でもないらしい。文化祭の一件以来彼女はずいぶんとクラスに馴染んでおり、たまに女子生徒に話しかけられている。


 しかしオースティンの顔色は暗い。班がどうとか以前の問題があるように見受けられた。


「ハヤテさん、どうかな」


 女子生徒の声で意識が引き戻される。正直言って話は一切聞いていない。


「あー……いいんじゃないか。最高!」


「やった〜! じゃあこの案にしよ、決定決定!」


 独裁者がいる国が産業発展しやすいのはこういうことなのか、とハヤテは感じた。多数決で決めかねているほかの班よりもずっと計画立案が早い。


「じゃあ一日目の伊潟いがた湾の寒中水泳で泳ぐ種目決めよっか?」


「待て何の話だ」


 伊潟湾の海鮮が美味いという話はしたが、どうやら地名だけ聞き取られて捻じ曲げられている。


「すまない、最初からまた話してくれないか」


 このままだととんでもないことをやらされそうだ。ハヤテは面倒がりながら、もう一度日程を聞いた。



 結局全てのスケジュールをハヤテが立て直して、修学旅行の日程はまとまった。


 ちなみに当初の予定だと、寒中水泳をして狩ってきたキノコで昼食、鹿と五時間遊んで一日目終了。二日目は神社でお守りを買い、釣った魚を食べて昼食、最後には滝に打たれて自由行動終了──という計画だった。


 どうすればこんなに何度も死にそうな日程を立てられるのか。ハヤテは呆れて声も出なかった。


 一日の最後の授業が終わり教室に真っ先に戻ると、その次に戻ってきたのはオースティンだった。


「……あ、オースティン」


「え、あ、はいっ! サラ・オースティンです!」


 オースティンは敬礼し、同時に手に持っていた資料を全部床に落とす。焦りながらそれを拾い集め、また腕で抱える。


「ななな、なにかごよ、ご、御用ですか」


「とりあえず落ち着けよ……君、修学旅行にあまり乗り気じゃないみたいだが」


 オースティンは不意を突かれたように黙り、その場に立ち尽くした。目を伏せ、言葉に詰まる。


「えっと……あ、の……」


 息を吸い込んで、何かを言おうとしている。しかし形にならず、やがて肩を落とした。


「なんでもないです。ただちょっと、寝不足なだけで……」


「なんだよ。昨日は面白い本でも読んでたのか?」


 ハヤテは遠慮気味に笑うオースティンをからかう。オースティンはあ、いえ、と安堵した面持ちで答える。


「もうすぐテストなので。勉強してたんです」


「え」


 今度はこちらが不意を突かれた。テストなんて全く心当たりがない。


「テスト? え? いつ?」


「え? ちょうど二日後ですが」


 ハヤテは内心焦りながら、走馬灯のようにこれまでのことを思い出していた。



「おまえマジなの? マジでやってこの点なの? 嘘だろ?」


 ユキマサが大学に進んでから最初のテストを見せたときの反応。警察官になるくらいだから生前、それなりに勉強はできたが、どんな刀も研がないと切れ味は鈍る。


「キリガヤさん先生に怒られてたけど……何があったの?」


 レイアにも言われたことがある。何があったかといえば赤点を取っただけだ。それがどうしたと思っていた。


「キリガヤさん、次全教科赤点を取ったら留年です」


 最後に思い出したのは担任からの言葉。確かこのセリフは前回のテストのとき言われた言葉で、ということはつまり──。



「待ッ!」


「キリガヤさん!?」


 急に膝から崩れ落ちたハヤテを見て、オースティンは困惑を見せる。ハヤテは四つん這いになって、とんでもないことを思い出してしまったと後悔した。


「ヤバい……ヤバいんだオースティン……」


「まさか、忘れてました?」


 ハヤテは顔を上げて、オースティンの質問に対し頷いた。オースティンはハヤテほどではないが慌てはじめた。


「ど……どうしましょう。えーっと、今からできること……」


 オースティンは、少なくとも自分のために動こうとしている。ならば、と思って、ハヤテは立ち上がった。


「名案を思いついたぞオースティン!」


「は、はい。お願いします」


 ハヤテはオースティンに近づいていき、その手を握る。


「君の家で勉強しよう!」


 オースティンはあまりの緊張に目を回していた。


「え、それ、は……キリガヤさんがわたしの家にいらっしゃるということですか?」


「そうだ」


 彼女は握った手をぱっと離し、勢いよく後ずさりして壁に背をぶつける。


「いいいいやいやいやそんな! 大した家でもないですし……!」


「私の家の方が狭いし汚いし、ユキマサがいる」


「じゃ、じゃあ、どうせいらっしゃるなら、ユキマサさんもお呼びしませんか。父と母もお礼を申し上げたいようですし、なにかご馳走しますよ」


 ハヤテはユキマサに言われたことを思い出す。今日は午後の診療が入っているが、明日なら空いていた気がする。


「ユキマサは明日は空いていると言っていた。明日は日曜で休みだし、このまま泊まって、日曜の昼あたりに帰るのはどうだ?」


「泊ま……? これは夢ですか……?」


「しっかりしろ夢じゃない」


 オースティンは頭を抱えて悩んでいる。やはり無理な話だっただろうか。


「オースティン、べつに無理なら無理と……」


「違います! 憧れのキリガヤさんが家に泊まるという一大ビックバンを頭の中で整理しているんです」


「……? よくわからんがいいのか」


「もちろんです」


 オースティンは手元の紙の束から一枚取り出して、家の住所を書き留めてハヤテに渡した。そして駆け足で自分の座席まで戻り、鞄を背負い、ハヤテの方をくるりと向いた。


「わたし、先に帰って準備をします。お先に失礼します。さようなら!」


「お、おう、じゃあな」


 オースティンは礼をして走り去る。彼女の足音が消えたころ、ほかのクラスメイトがクラスに入ってくる。


「……喧嘩?」


「いや違う違う!」


 オースティンの奥底に渦巻く、ハヤテたちへの執着心。その正体も暴けたら、と思いながら、ハヤテは鞄を肩にかけた。

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