参
翌朝、熱がだいぶ下がったユキマサは、ハヤテより早く起きた。額の上に載っていた手拭いをどかして身体を起こす。
「ハヤテ、ハヤテ、起きてくれ」
自分の枕元に寄り添って眠る少女の小さな肩を、規則的に揺らす。果たして彼女はこんなに小さかっただろうか。ユキマサはしばらく考えたあと、自分が大きくなっただけだと結論づけた。
「ん、なんだユキマサ。珍しいな。トイレか?」
「違う、朝だ。おはよう」
ハヤテはシワになったワンピースを残念そうに見下ろす。そして、ユキマサの額に柔らかい手のひらを当てた。
「熱は……うん、だいぶ下がってる。まだ少し熱いみたいだが。お前やっぱり丈夫だな」
「まだ身体はだるいけど……でも、墓参りくらいは行ける」
「そうか。よかったよかった」
ハヤテは珍しく泣きそうな顔をしていた。そんな顔は見たくなかった。
「ああ、いや……気にしないでくれ。お前が、ずっと大きくなってて。驚いただけだ」
どうやら同じ夢を見ていたらしい。ユキマサは重い身体を起こし、なんとか立ち上がった。窓の外では、ミンミンゼミがもう鳴いていた。
三十六丁目までは鉄道で約二時間。青い空は決して見えないが、小旅行とも言える道のりだ。
ハヤテは大荷物を携えていたが、ユキマサは必要最低限のものしか持っていかなかった。手桶と柄杓、そして白菊。手に持っているものはそれだけだ。
「着いたー! このクソド田舎も一年ぶりだなあ」
「お前それ来るたび言ってるな」
三十六丁目に到着する頃にはもう既に昼時だった。
駅から伸びた道の脇には、畑が広がっている。キャベツ畑だろうか。ハヤテは久しぶりに見た自然に相好を崩した。
「先に昼飯を食べるか?」
「いや、墓参りの方が先だ」
ユキマサはずかずかと最寄り駅から歩みを進める。なるほど自分が感じていた焦燥感の正体はこんなものだったのかと、ハヤテはひとり納得していた。
近くの川で桶に水を汲んでから、街外れにある小さな寺院へ向かう。木陰のそばにある小さな墓に、「桐ヶ谷家之墓」と刻まれている。ハヤテは麦わら帽子のつばを上げてその墓を見やる。
墓前には、菊の花と、幸恵が生前好きだったキャラメルが一箱、置かれていた。
「誰だ? 叔父さん達か?」
「いいや、これはあいつのだ。不器用なんだよ、あいつ、昔から」
ユキマサは母の「あいつ」は、いつも特定の人物を指していたことを思い出す。父・仁科忠だ。会ったことも、見た事もない父親だが、医術書を通して対話をしたことはあった。
「ハヤテ、俺、母親の夢を見たんだ」
そうか、とハヤテは答える。まるで他人事だ。
「なんで、母さんは親父と別れたんだ?」
ハヤテは麦わら帽子の隙間からユキマサの表情を伺う。今年の夏は、初めて悲しさを表に出していなかった。たぶん彼の中で、何かが吹っ切れたのだろう。
「はは、簡単な話だ」
ハヤテは麦わら帽子の浮いた隙間から、青い瞳でユキマサを覗いた。
「死後に蘇生させられるのが嫌だったんだよ、私」
幸恵は幼いころに母を亡くし、優しい祖父と父、それに自分を慕う弟たちの中で育った。
父は一等優しかったが、しかしひとつ、譲らないことがあった。
──死んだ人間は蘇らない。
母の遺影を見て泣く幸恵への、励ましの言葉のつもりだったのだろう。
しかし彼女が大人になって出会った仁科忠という男は違った。
──僕は実際に蘇生をやってのける。
彼はある日突然、そううそぶいた。行正が三歳の時だ。
幸恵は恐ろしい、と思った。本能的な嫌悪も感じた。もうこの人とはいられないと思って、息子を引き取ってひとりになった。
あの人は、最後まで笑っていた。あのときの自分は馬鹿だったと嘲笑うかのように。
「はあ、まさかこんなことになるとは。縁は異なもの味なもの、だな」
ハヤテは悪くないなと思いながら――いや、悪くないものだと自分に言い聞かせながら、そう言った。実際、蘇生して悪いことなんて何もなかった。自分があの時死んだままだったら、息子は自分の弟の家に引き取られ、弱音も吐けない大人に育ったはずだ。
そんな人生を、息子に歩ませるわけにはいなかない。
「やっぱり嫌だったか、なら俺が──」
「嫌じゃないって」
ハヤテは供えられていたキャラメルの箱を取って、ユキマサのほうを向いた。
「私、やりたいことがまだいっぱいあるんだ。人生もそのぶん長くなきゃ、不平等ってもんだろ?」
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