第164話 閑話 配属の日まで

見習いは緊張したまま、部屋の整理を始めていた。2日前、離宮の正式な配属が決定したと連絡があったのだ。それと同時に住み込みの指示も受けていた。自分なんかが住み込みになる理由が分からなかったが、あんな騒動を起こしたから下手に通いにして目が届かなくなるよりも、住み込みで監視した方が安心なのだろうと、厨房の先輩から言われていた。




 姫様に始めて会ったあの日。姫様が離宮へ帰られた後、料理長や先輩から酷く叱られた。そして姫様の立場も教わった。自分は何も知らなかったのだと、後悔と罪の重さに身体が震えた。


 教わるまでは嫌な姫様だと勝手に思っていた。料理は料理長が作ったのが一番おいしくて、城下に広まるのも料理長が作ったものが広まるのが普通だと思っていた。そう決まっているのに、何も知らない姫様が勝手にいろんなことを広めたのだと思っていたのだ。


 お姫様はわがままで、勝手で自分の気に入らない事には直ぐに癇癪を起すものだと聞いていた。だから、嫌なお姫様に意地悪をしてやろうと思ったのだ。朝ごはんぐらい、食べなくても平気だろうし、食べるものは沢山持っているだろうから、平気だと思っていた。だから、毒見係に持って行く途中に自分が練習で作ったのものと、こっそり入れ替えたのだ。あんな騒動になるなんて思ってもなかった。




 異国から来た小さなお姫様は、殿下の婚約者候の一番目だと教えてもらった。それなのに自分なんか庇ったばっかりに婚約者になれなくなるらしい、と。それはお姫様にとってはとてもつらい事だと、自分のような下っ端にもわかる。自分がしたことがお姫様の立場を変えてしまったのだ理解した。




 そんな事を教えられ厨房から自分の部屋に帰った。見習いは他の仕事の見習いたちと大部屋で、6人で一部屋を使っている。いつもならがガヤガヤと騒々しい部屋の中が静かだった。いつもなら話しかけてくる隣のやつも話しかけてくる事はなかった。腫物を触る様に遠巻きに自分を見ている。当然だ。自分のしたことを思えば話しかけられないし、反対なら自分も話しかけない。分かっていてもそこにいるのが辛くて部屋を出る。どこに行っても変な目で見られる気がして、たまらないから、お気に入りの場所に行くことにした。秘密の場所だ。


 厨房の裏は林になっていて、そこを奥に進むと小さい池がある。どうしてこんな場所に池があるのかを聞いたら、戦や水不足の時に使えるように池があるのだと聞いた。その池は小さくても水は透明で魚が泳いでいる。どこからか水が流れ込んでいて、綺麗になっているそうだ。


 ここは人が滅多に来る場所ではなくて、いつも静かだった。先輩に怒られた時や家族に会いたいとき、一人になりたい時なんかに来る場所にしていた。そこの淵に一人座る。


 誰もいなくて静かな場所に池から聞こえる水音とは別の水音があった。見習いは声を殺しながら音を立てないように注意した。


 自分が悪くて誰も悪くない。お姫様は自分を庇ってくれてお嫁さんになれなくなってしまった。どうしよう。お姫様って嫌な子ばっかりだと思ってた。あんなお姫様がいるなんて知らなかった。どうしよう。なんであんなことしちゃったんだろう。




 見習いの頭の中はどうしよう、とグルグルしていた。どうすればいいのか分からず。家に帰ろうかとも思ったが、家に帰れない事は分かっていた。自分の下にも兄弟がいて生活が大変だから、自分は親戚を頼って見習いに出されたのだ。その時に気が付く、自分がこんな事をすればおばさんにも迷惑が掛かるんじゃないか?、と。見習いの仕事を始めるときにしつこいぐらいに言われていた。自分に迷惑をかけるような事はするな、と何度も何度も言われたのだ。その時、自分はしませんと返事をした。グルグル考える事柄の中におばさんの事も追加される。


 先に謝りに行った方が良いのだろうか? 


 自分では判断が出来なかった。いつもなら先輩たちが相談に乗ってくれるが今となってはそれもできない。自分がしたことの浅はかさに見習いはため息を付いた。取り返しはつかない。




 お姫様は仕事を頑張ったら厨房に戻してくれる。自分のしたことは許してくれるって言いていたから、許してもらえるように頑張ろう。


 見習いはそう決めるながら立ち上がる。周囲は薄暗くなっていた。誰にも心配されない事は分かっていたが、夕食時間に自分がいなければ同室者に迷惑が掛かる。全員いないと食事は始まらないのだ。その事を思い出し走って部屋に戻った。


 明日はお姫様の料理指導だ、自分もお姫様に使える立場になるから隅にいる様に言われていた。仕事はさせてもらえないがお姫様が何をするのかちゃんと見ておこうと思った。




 料理指導の朝、せめて掃除をしようと思ったが、それも先輩たちにしてはいけないと、言われてしまった。昨日の今日で問題を起こされてはたまらない、と言われた。信用されないのは当然で、俯いて謝る事しかできなかった。隅に行くように言われて移動する。何もさせてもらえず、先輩たちの仕事を眺めているとお姫様が来た。


 料理長を始め全員が並ぶ中、姫様はニコニコと笑いながら、今日はよろしくと言われていた。そんな事を言うお姫様がいるのかと驚いていると、指導が始まった。




 大事なことは楽しむ事だと言われていた。楽しくないと美味しいものは出来ないと、お姫様の言葉に驚いて見ていると、教えているだけなのに美味しそうな匂いが漂ってくる。味を見るようにと先輩たちがその美味しそうなものを食べて騒いでいた。厨房の中が騒がしいのは普通だけど、こんなに楽しそうな様子は始めて見た。


 小さくてもお姫様なのに、料理長や先輩たちにも偉そうなことを言ってはいないみたいだ。みんな感想を言っていで、楽しそうだ。


 自分よりも年下だと教えてもらったけど、10歳だって本当なのかな? いろんな事が頭の中を走っていったけど、一つだけ分かった事がある。


 自分を助けてくれたお姫様に、絶対に、絶対に迷惑はかけてはいけない、その事だけは忘れないようにしようと思った。




 楽しそうな料理指導の日の夕食はコロッケという料理で、その日の賄いだった。自分が食べてもいいのか不安だったけど、残すようなもったいない事もできなくて食べると、信じられないくらい美味しかった。




 自分のした事、仕事の事、みんなに迷惑をかけた事、家族やおばさんの事、いろんな事が浮かんでくる。ここで逃げたらもっと迷惑が掛かる事だけは分かる。怖いけど、それだけはしてはいけない事も分かっていて。お姫様に助けてもらったから自分が泣いてはいけない事も分かっていて。泣きたい気持ちをグッと我慢する。




 配属が決まるまで仕事は何もさせてもらえなかった。毎日、厨房の隅でみんなが仕事をしているのを眺めている毎日だった。嫌味もたくさん言われた。それも仕方のない事だと慰めてくれる先輩もいた。自分のしたことが大きなことになったのを再認識した。


 配属が決まったと聞いたその日の夜、料理長に呼び出された。たぶん、お姫様に迷惑を掛けないようにと言う話だと思う。




 頑張ろう、今までのようには戻れないけど、ありがとうって言ってもらえるぐらいにはなりたいと思う。




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