第163話

 料理長は料理教室の後、見習いを呼び出していた。隊長から身辺確認終了後、離宮への配属となることが正式に決定したと連絡があったのだ。身辺確認にはそう時間は取られないだろう。王宮に入る時点で確認は済んでいるのだ。長くて2~3日程だろうか。そうなればこの見習いは離宮に配属になる。離宮の使用人たちは厳選されていると聞く。こんな騒動を起こしたからには見習いはつらい立場になるはずだ。これ以上自分たちは手伝うことは出来ないし、姫様の過剰な庇い立てがあれば、さらに立場を悪くするはず。あの賢い姫様がその事に気が付いていないはずがない。そこを理解させ姫様のお役に立てるよう、言い含めなけれならない。料理長はそれが自分の役目だと思っていた。


そう考えているとノックの音がする。


 「失礼します」


 緊張しているのか硬い表情の見習いが入ってきた。




 宰相は陛下の執務室で昨夜の報告をしていた。下手に隠し立てをするのは悪手だ。隠すから問題になるのであって、始めから反対だと報告するのが一番だと思っている。


 「陛下。昨夜、姫様とお話をさせていただきました」


 「そうか。どうだった?」


 「ええ。なかなか、楽しい時間でした」


 「随分と楽かったようだ。私は聞かない方が良さそうだ。問題が無い様ならお前の判断に任せよう」




 宰相のあまりに楽しそうな様子に陛下の危機管理能力が警報を鳴らしていた。自分に不利な話と悟ったのである。君子危うきに近寄らず、地で行く陛下である。だが宰相も逃がす気はなかった。


 「いえ。ぜひとも報告させていただきます」


 楽し気な宰相はそのまま報告を始めてしまった。逃げ損ねたと思うが聞かないわけにもいかず、大人しく報告を受ける。


 「見習いの配属は離宮にしたいと思います。姫様が強硬に転属を希望された理由は、貴族達の噂が原因でした」


 「噂? 婚約者候補の話か?」


 「はい。詳しくは知らないと言われてましたが、把握はされているのでしょう。その噂の鎮静化のために見習いを離宮に欲しいと言われてしまいました」


 「つまり、候補から外れるように逆の噂を流そうと言う訳か」


 「恐らくは。強引に見習いを手のうちに囲えば、良くて我儘、悪ければ子飼いを増やしたと思われるでしょう。本来なら見習い程度では子飼いには値しませんが、理由が欲しい貴族たちには十分な理由です。そうなれば貴族たちの反発は、考えなくても想像できます」


 「お前は分かっていて、それを了承したというわけか?」


 「私は姫様が候補に入るのは反対だと思っておりますので」


 宰相は涼しい顔で反対の立場を崩さない。


 陛下は宰相の有能さも忠誠心も疑った事はない。自分に反対するときも、こそこそする事はせず、いつでも正面から反対だと言ってのける。だからこそ自分の右腕となりうるのだ。




 珍しく陛下の唇からため息が漏れる。宰相は優秀なだけに味方になると何の不安もないが、反対となると意見を翻させるのに骨が折れるのだ。もちろん命令となれば従いはするが、実行しながら延々とデメリットを述べる。それに助けられてはいるが、あまり気分は良くないものであることは間違いない。


 この一件に関してもそうなる未来が想像できた。だが、陛下の中に姫が候補から外れるという選択肢なかった。自分への悪意を目的のために利用し、反感を持っているであろう厨房の取り込み。貴族たちへの噂を操作する。10歳の子供のする事ではない。少なくとも自分の息子にはできない事だ。


 「息子を呼べ」


 陛下は姫のエスコートを命ずることにしたのだ。


 陛下の真意を理解した宰相が今度はため息を付いていた。諦めない頑固な陛下へのため息だ。お互いに引く気がないのが理解できた瞬間である。




 15歳の子供が陛下の執務室へと向かっていた。動作はキビキビとしており若者らしい、と言うよりはまだ子供らしさを残した感じである。その子供は自分が執務室へ呼ばれる理由が分からなかった。仕事中に呼ばれるなど初めての経験だ。


 取次を頼むをそのまま執務室へ通される。


 「お呼びでしょうか? 父上」


 「私は執務中だ」


 「すいません。陛下」


 開口一番、息子の不出来な態度にため息が出る陛下である。


 公私の別がつかず、礼儀も満足にできないとは。嘆かわしい、と思うしかなった。学校に何を学びに行っているのだろうかと、姫と比べ落差に嘆きが出ようというもの。今日は何回ため息を付くことになるのだろうか? そう考えずにはいられない陛下である。




 「礼儀を学んでいるのか?講師は問題ではない。お前の不出来を問題にしている」


 「申し訳ございません」


 殿下は小さくなって謝ってきた。


 指摘されなければ気が付くこともできないとは、嘆かわしいという態度も崩さず、陛下は自分の息子を見る。どうしてこんなに浅はかなのだろう、と思わずにはいられない陛下だが、妻の忘れ形見と思うと無下にもできず、更なるため息が出た。   




 殿下は自分と会うときにため息しか出さない陛下に戦々恐々としていた。自分の行動の何が問題で陛下の、父親のため息の原因になるのか理解できないでいる。父親に褒められたいと思うが、褒められたことは無い殿下は自分に自信を無くしていた。小さくなりつつ陛下の言葉を待っていると、思ってもいない事を告げられた。




 「お前は離宮の姫を知っているか?」


 「はい。母上の離宮に入ったと聞いています。小国の姫だと」


 「そうだ。姫は今年デビューをする。そのエスコートをするように」


 「自分がですか?」


 「他に誰がいる? 私の前にはお前しかいないが?」


 「小国の姫だと聞きました。自分でなくても」


 「私は、お前に命じたのだ。他に理由が必要か? 断る理由があるのならその理由を納得できるように話しなさい」


 殿下は俯き理由を口にすることは無かった。それを承諾と捉えた陛下は、下がる様に言いつけようとすると思わぬ援軍が横から入る。


 「殿下、どなたかとお約束が?」


 「ある。侯爵家の令嬢と約束している」


 「私は許可していないが?」


 「陛下。今までエスコートを命じられたことはないので、殿下がお約束をしてしまったのは無理はないかと」


 宰相はにこやかに殿下の味方をする。だが、引くつもりのない陛下は改めて姫のエスコートを命じた。




 殿下も離宮の姫の事は聞いていた。陛下のお気に入りと聞いている。自分は褒められたこともないのに、その姫は父親と食事をしたり歓談する事もあると。その上、自分では足を踏み入れたことのない、頼んでも許可を得られた事のない離宮に居しているだけでも不愉快なのに、更にエスコートを命じられるとは思ってもいなかった。侯爵家の姫との約束も断れという事だろうか? 毎年デビューの年からずっとエスコートをしてきた令嬢だ。断るなんてしたくはなかった。こうなると殿下の中で姫の印象は悪くなるだけだった。


 なぜ、自分が。


 自分との対応の違いからも反発しか出てこない。その反発から唇を強く噛む。




 絶対にエスコートなんかしない、そう心に決めた殿下だった。

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