第140話

陛下のサロンには男性が3人いた。


二人は当然陛下と宰相だ。もう一人は先ほど呼び出された料理長だ。料理長は、自分が呼び出された理由がわからなかった。料理のリクエストは侍従や侍女から伝えられるし、晩餐会の予定なら典礼部から来るだろう。陛下自身から連絡が来ることなどありえないのだ。そのことを知っているだけに、料理長は不思議でならなかった。膝をつき陛下に挨拶の口上を述べる。


「お召しにより伺いました」


「ああ、急に呼び出したのはそなたに頼みたいことがあってな」


陛下の頼みという事は事実上の命令だ。料理長に反論の余地はない。無言で受け入れるだけだ。


会話を続けるためだけの質問を返す。その応えに満足そうな陛下はにこやかに続きを語りだす。


「どのような事でしょうか?」


「離宮の姫の事だ。そなたも知っているだろう?」


「もちろんです。厨房より品物を届けさせていただいております」


「ああ、その姫の料理の事を知っているか?城下でも流行っているようだが。食べたことはあるか?」


「ございます。城下の店でいくつか口にしました」


「そうか。どうだ?なかなかの味だろう?」


陛下の言葉を否定することはできない。しかし美味しいとも思えないものを認めることは出来なかった料理長は、沈黙を選ぶ。それ以外の道はなかった。陛下は料理長の沈黙を同意ととらえ、本題に入る。


料理長の表情は下を向いていて見えず、苦い顔を気が付かれる事はなかった。


「わたしは姫の料理を気に入っている。今後も定期的に食べたくてな。そなたたちに姫の料理を覚えてもらいたい。姫に依頼はしていないが、近いうちに厨房で料理をしてもらおうと思う。その時に覚えてもらいたい」


「わたくし共が、覚えるのですか?」


「ああ、子供の姫ができるのだ。そなたたちなら簡単だろう」


陛下はなんて事のない様子で料理長に依頼する。形は依頼だが実質的な命令だ。


料理長は言葉が出ない。だがいくら陛下の命令でも、この命令は受け入れたくはなかった。なんとか断る道はないのか。料理長は思考を巡らせるが、答えは出てこない。


陛下は料理長の苦悩など関係なく、着々と話を進めていく。


「これから姫はデビューや学校の支度が始まるから忙しくなる。その前に覚えてもらいたい。頼んだぞ」


料理長が悩んでいる間に話が終わってしまった。口を挟む暇もなかった。料理長は唇を嚙むしかない。そんな料理長に救いの手が伸ばされた。宰相閣下だ。




「料理長。大丈夫ですか?厨房の日程はわかりませんが、何か予定がありましたか?」


「いくつか気になることがございます。よろしいでしょうか?」


「もちろんです。私に答えられることなら」


宰相は料理長の不安や不満を解消できるよう注意を払っていた。なるべく聞きやすい雰囲気を作るべく穏やかな表情を保つ。厨房に大きな力はないが、城内の安定はなるべく保ちたいという宰相閣下の考えがある。


宰相の対応をありがたく思った料理長は、素直に不安を述べ、不満を滲ませる。


「姫様の料理は一般的ではありません。皆様のお口には合わないかと」


「私の味覚に問題があると言いたいのか?」


料理長の言葉に宰相よりも早く陛下が反応する。料理長は言葉を誤った。先程、陛下が気に入ったと口にしたのだ。その言葉を否定したことになることに初めて気が付いた。料理長は慌てたが今さら口にした言葉は返ってこない。冷汗が流れる。とりなしたのは宰相だ。


「陛下、お待ちください。料理長は姫様ご自身の料理を口にしたことは無いはずです。城下とでは出来上がりが違う可能性があります」


「そうか?レシピが同じなら同じ味になるだろう?」


料理人以外の考えそうな事を陛下は口にした。


レシピが同じでも同じ味にはならない。味覚が違う事の原因の一つだが、調理工程や下処理の違い、味付けの順番が違うこと味も大きく変わっていく理由の一つだ。


しかし失言をしたばかりの料理長は、陛下の言葉を訂正しにくかった。


宰相自身も料理をしないので、確かにと頷くしかない。料理長は四面楚歌だ。


ひたすら冷や汗を流している。背中の汗が冷たく流れた。


レシピが同じなら味は同じ、最高権力者たちはその答えに行き着いてしまった。当然料理長の考えを確認することはない。


その後、話はトントン拍子に進み、姫様は厨房に料理を教えに行く事になってしまった。


サロンからの帰り道。料理長はきつく両手を握りしめている。




姫様が厨房に来ることになった。


子供の10歳の姫君に料理を教わる。


これほど屈辱的なことはない。


料理長は唇を噛みしめる。


陛下の命令だ。拒否権はない。それは姫様も同じことだ。姫様も陛下の依頼を断ることはできないだろう。姫様は悪くない。料理長もそれはわかっていた。しかし心は穏やかではいられない。理解する事と納得できる事は別物なのだ。




厨房へと帰りながら、部下たちにどう話そうか、決めることは出来なかった。

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