第141話

宰相の執務室に隊長がいた。離宮に出勤する前に寄ってほしいと宰相に声を掛けられていたからだ。呼び出されるような覚えのない隊長は姫様の事だろうと思いながら執務室に入る。




「お呼びでしょうか?」


身分的には隊長の方が上になるが、今は勤務中。国で上から2番目の人物に親し気な口調は使えない。隊長も公私の区別はしっかりしていた。この辺は父親の教育の賜物だろうか。


宰相もその辺はわきまえている、直属ではないが部下にあたる隊長だが身分の差は大きい、それなりの対応が必要となる。普段から丁寧な話し方をする宰相だ。こういう時はその事が役立つ事が多い。




「出勤前に申し訳ありません。先に話しておきたいことがあるのです」


「姫様の事でしょうか?何かありましたか?陛下が何か言われましたか?」


「ええ。そうなのです」


勘のいい、というよりも今の状況で話に上がるのは姫様の件しかないだろう。国内は安定している。今、この国に歯向かうほどの国力がある国もない。陛下の今までの苦労が実ったばかりだ。しばらくは大きな問題は起きないだろう。この国の現在は安定と繁栄に力を入れる時期になっている。陛下の考えとしては、そのために姫様を取り込みたいと思っているはずだ。隊長にもその考えは感じられていた。




あの陛下が姫様に構いすぎだ。いくら食事が美味しいからと言って、妃殿下のために作った離宮を使わせるはずがない。外交問題になるほどの問題を起こしてしまったお詫び、という事にしても行き過ぎだ。離宮は他にもあるのだ。姫様には申し訳ないが、あの国を相手にするのなら他の離宮でも問題はないだろう。自分たちに苦情を入れられるほどの力はあの国にはないのだから。陛下にもそのことは分かっているはずだ。その上でなお、妃殿下の離宮を使うように手配をしている。その意味は大きい。




あの離宮は特別だ。殿下もあの中には足を踏み入れたことは無い。陛下以外にあの離宮を使用した人間はいないのだ。亡くなられた妃殿下のための離宮。妃殿下を大切にされていた陛下だ。亡くなられても妃殿下を偲ばれて造られた。その離宮は陛下が、妃殿下を偲ぶときのみ使用される。今は亡き妃殿下がここを使われたなら、と思いを馳せているのだと聞いたことがある。その離宮を、殿下さえ足を踏み入れたことのない離宮を、姫様に使わせる。姦しい貴族たちが騒がないはずがない。そうまでして姫様の存在感を示したかったのだろう。陛下の本気度がうかがい知れる。




そこまでして、と思わないことも無い。確かに子供という事を除いても姫様は優秀なのだ。話をしていても子供を相手にするように手加減をして話す必要がない。10歳の子供を相手にありえない事だ。隊長自身も10歳の時、大人びていると言われてきたが、姫様はその比ではない。自分のあの頃を振り返ると恥ずかしいと思う事が多くあるし、手加減されていたと思う事も多くあるが、姫様にはその必要がないのだ。大人を相手にしているのと大差がない。時折、自分が手加減をされているのではないかと感じることさえある。だがそれだけが理由ではないはずだ。陛下が姫様を取り込みたいのは優秀という事だけではないのだ。


一番の理由は陛下に進言できるあの胆力だろう。今、陛下に進言できる人間は少ない。正確に言うと宰相閣下一人だ。現在は権力にすり寄る者ばかりで、首を縦に振る人間しかいないのだ。諫言できる人物がいない。その事は陛下の一番の悩みでもある。太鼓持ちは多くいるが、不興を買ってでも進言をしてくれる人物はいない。その事を憂いていた陛下に恐れることなく諫言する人物が現れた。それが姫様だ。当時9歳だったが、裁判をするべきだと進言したのだ。それに伴うメリットとデメリットを添えてだ。ありえなかった。始めは子供が大人の真似をしているのだろうと、渋って見せたようだ。そうすれば意見を取り下げると考えられたのだろう。しかし、被害者としての立場を使いながら交渉してのけたのだ。もちろん陛下がメリットを認めたから交渉は成立したのだが、あの立場が宰相閣下なら交渉はしなかっただろう。極刑なのだ。そのまま受け入れて終わりだ。しかし、姫様は庶民の立場に立って交渉を始めた。弱い立場の人間に代わり上に立つものと交渉する。国を治める立場の人間としては必要な観点だ。その点も取り込みたい理由の一つのようだ。でなければあの場で殿下の嫁になんて発言は考えられない。




その事を思うと隊長は陛下が姫様に無理を言ったのだろうと考えていた。今、宰相閣下に呼び出されたことも無関係ではないのだから。自分の思いにふけっている場合ではないはずだ。意識を宰相閣下に向ける。


「それで陛下はなんと?」


「実は」


宰相閣下に話を聞いた隊長は言葉がなかった。姫様を試すことも兼ねているのだろうが、面倒なことを。


正直な気持ちはその一言に尽きた。


姫様の近くにいるとメリットも多いが、今後は災難が付いて回りそうだ。


隊長は宰相閣下の前でありながらため息を隠すことは出来なかった。

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