第2話 移転と在地剰余

 かつて十字軍の遠征にも利用されたエバンズの街は長い城壁に囲まれた城塞都市で、海に面した大きな港には大小様々な船が行き交い交易の拠点となっている。


 メインゲートを入った正面の大広場にはかつての英雄の像が威風堂々とした姿を見せており、広場の周りは酒場や商店がひしめき合い連日賑わいを見せている。


 この大広場の東側にリディアが商会長を務めるスペンサー商会の本店は移転してきた。



「漸く落ち着いたわね」

「はい。急な移転だったのにあの短期間で良くここを見つけられたと感心しています」

 執事役も兼ねている秘書のセオはゆるいウェーブのかかった金髪を後ろでむすんでいる。端正な顔立ちと穏やかな性格で商会員達の中で一番の人気者だが本人は全く気付いていない。



「元々この町に支店を出すつもりだったからある程度下調べは済んでいたの。

でもこの場所が空き店舗になったのはラッキーだったわ」


「支店の引き上げも順調に進んでいるようです」

 営業と郊外折衝担当のイーサンは自衛の為と称して毎日の筋トレを欠かさない。やや強面のイーサンは部下からかなり恐れられているが、その反面困った時には一番頼りになると言われている。



「引越しできない従業員の再就職先も何とかなりました」

 事務と経理担当のルーカスは気難しそうにいつも眉間に皺を寄せ少し肩ぐるしい話し方をするのが特徴。三人の中で一番記憶力が良く暗算も得意で商会の頭脳だと商会員からの信頼が厚い。



「イーサン? お得意様への連絡はどうなってるのかしら?」


「引っ越しと同時にお手紙をお送りしました。

暫くの間連絡は全てヴェンナの支店経由で行います」

「ロスタイムが出てお得意様にご迷惑をかけないよう気を付けてね」

「畏まりました」





 リディア・ポーレット伯爵令嬢が12歳で興した商会の名前はスペンサー商会。表向きの商会長の名前は、父であるライリー・ポーレット伯爵となっている。


 当時伯爵領は貧困を極め伯爵家存続の危機に陥っていた。


「螺馬を育てたらどうかしら?

馬より体力があって病気にも強いって聞いたし粗食でも良いのですって」


 リディアは領内で交配した螺馬を農耕馬の代わりに使用した。力強く従順な螺馬は農作業の効率化や農産物の輸送に力を発揮して伯爵領を窮地から救った。


「まあ、貴族令嬢が交配だなんて。貴方達のせいですよ」

と苦言を口にしていた義母もこの頃になると何も言わなくなっていた。



 有能な螺馬の噂は近隣の貴族から王都まで瞬く間に広がっていった。取引の打診が後を経たずリディアは伯爵領内に広大な飼育場を建設し、現在の伯爵領は国内唯一の螺馬生産地となっている。


 螺馬の価格は馬の数倍だが、繁殖能力がない為定期的な取引が見込める。螺馬の育成・販売による利益で輸送用に街道整備を行い低所得者の雇用を拡大する事に成功した。

 王都や貴族への販売ルートの確保も迅速に行いスペンサー商会は瞬く間に王都一の商会に成り上がった。



 そうなると必ず振って湧いてくるのが、


「うちの息子はどうかしら?」

「あら、うちの方が年齢的にちょうど良くてよ」

「うちの三男は経営学を学んでいてね」


 山のような贈り物と共に精一杯着飾った絵姿付きの釣書が届けられるようになった。その中でもファルマス公爵からの求婚は強引で長男のロバートとリディアの婚約が結ばれた。





 引っ越しの済んだ本店は、磨き上げられた広いカウンターの横に真新しい地図や商品見本などが置かれている。革製の接客用のソファとコーヒーテーブルはアンティークの一点物だが、左手の重厚なドアを入るとさらに豪華な応接室が準備されている。


 リディアは新しい事務所で仲間と共に紅茶を飲んでいた。一人用のソファにリディアが腰かけ、セオとイーサンが並んで座っている前にルーカスがメモ用紙を持って座っている。


「河川を使った交易ですか? 引っ越しの荷物が漸く片付いたとこなのに随分また急な話ですね」

 セオが苦笑いしている。


「リディアは人使い荒すぎです。労働環境を見直すべきですね」

 ルーカスが眼鏡の位置を直しながら言う。


「ロバート子爵の事は良いんすか?」

 イーサンがリディアを揶揄う。



「ロバート様の件は、放っておいて良いんじゃないかしら? 今頃ミリアーナと仲良く暮らしてるかもしれないし」


「そんな都合の良い話はないと思われますが?」ルーカス。

「うん、絶対ないわー」イーサン。

「公爵家って商会狙いだよね?」セオ。


「でも、ミリアーナが気に入ったからまあ良いかってなってるかも」


「希望的観測としか思えませんね」

「願わくば、我に自由と平和を! ってやつか?」

「空想とか?」



 散々な3人の意見にリディアは無理やり話しだした。


「とっとにかく、螺馬の売買で知り合った領主の方々から聞いた話なの。“在地剰余” で悩んでるって」


「「「在地剰余?」」」


「出来すぎた生産物が領地に溜まってるからそれをなんとかしたいって」


「それで河川ですか」

 優しいセオはリディアの話に乗ってくれたが、イーサンとルーカスは眉間にしわを寄せて考え込んでいる。



「螺馬を使って運ぶだけじゃいくら隊商を組んでも時間がかかり過ぎるでしょう?

河川まで螺馬で運んでそこから船を使うの。

幾つかの貴族と連携すればかなり効率よく輸送できると思うの」


「もしかしてもうある程度の構想は練ってあるとか?」

 セオが聞いてきた。


「調査しなくちゃいけないことがあり過ぎてあまり進んでないの」



「イーサン、ロレンヌ川の利用状況なんかを調べてくれる?

商業ギルドへの問い合わせと川の近隣の方への聞き込み、あと実際に船を持って川を利用している人を探して欲しいの。

特に気になる所には地図に印をつけておいたわ」


 リディアの字であちこち書き込みされた地図を手渡した。


「了解。エリアを区切って人海戦術だな、結構人数がいりそうだからよろしく」



「ルーカスは船の調査を。

ハルク船とコグ船の価格や積載量、納入までの期間とかを詳しく調べて来て欲しいの」


「造船業者に当たってみます。商会の名前はまだ出さない方が良さそうですね」


「うん、今売り込みに来られても困るし」

 リディアはギリギリまで話を広げたくないようだ。



「セオは今回の計画に賛同しそうな貴族の洗い出しと各地の特産品の調査をお願い」


「都市商人は放っておいて良いんですか?」

「うーん、まだいいかな。あの人達は後でも大丈夫だと思う」


「ロレンヌ川辺りだと穀物や羊毛、毛織物なんかになりそうですね」

「結構嵩張りそうでしょ?

でも、もし上手くいけば陸路よりうんと早く沢山運べると思うの。

帰り道にはバザールで輸入品の購入をしてきたら一石二鳥だしね?」



「領主達は売り上げを上げて、その売り上げを商会に巻き上げられると言う訳ですね。恐れ入りました」

「このまま、婚期逃したりしてな」

「まだ儲けるつもりとは」



 散々な言われようのリディアだった。


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