人魔戦後歴二十四年 世界が羽ばたき巣立った日



 さらに月日が流れ、セロは二十三歳、ソフィアは十三歳となりました。

 わたくし達家族は街での借家住まいを切り上げ、再びわたくし達の故郷とも呼べる村へと戻っていました。


 そうして村の皆様と再び過ごし、癒しを欲する方を治療し、街で渡りを着けてきたお医者様の往診とそれに対する報酬等を村長夫妻と話し合い……。


 わたくし達家族は、身の回りの整理を丁寧に、時間を掛けて行いました。

 村の子供達に施していた簡単な教育も後任へと託し、わたくし達家族が個人的に所有していた書物なども村へと寄贈させていただきました。


 このように身辺の整理を行っていた理由は、そう……



「さて、忘れ物はありませんね? ダルタフォレス、お願いします」


「うむ。出すぞ」



 村の入場口から進み始める、我が家の愛用の幌馬車。

 その荷台にはわたくしとセロが。御者席にはダルタフォレスとソフィアが。


 そう。わたくし達一家は、今日を限りにこの村から立ち去るのです。


 半生を過ごしたわたくしや、ダルタフォレスにとっての第二の故郷。

 この村で生を受けた、セロやソフィアにとっての生まれ故郷。


 そんなこの村に背を向け、わたくし達はもはや帰ることのない旅路へと就きました。



「母様、本当に良かったのですか? みんな見送ってくれるって言ってたのに」


「良いのですよセロ。お見送りなどされてしまっては、わたくしは涙を堪えきれませんもの。そんなことでは、今は亡き村長夫人に叱られてしまいますからね。『目出度い門出になに泣いてんだい!』と、きっと怒られてしまいます」


「はは。あの人なら確かに言いそうですね」


「そうでしょう? ですから、これで良いのです」



 身重であったわたくしとダルタフォレスを、どこの誰とも知れぬというのに受け入れて下さった、愛しい村。

 冬は寒く、隙間風の入り込む我が家も。危険も多かったですが恵みも与えてくれた山々も。村の皆でお勉強をしたりお祭りをしたりで集まっていた、御神木の広場も。


 何もかもを、閉じた瞳の裏に鮮明に描き出せるほどに。それほど愛着が湧くほどに過ごし暮らしたあの村とも、これでもうお別れです。

 セロやソフィアはまだ里帰りをすることもあるかもしれませんが、わたくしは本当に、これが今生の別れとなるでしょう。


 本当に、この村は数え切れないほどの様々なものを、わたくしに与えて下さいました。

 今までのすべてのことを思い描き、そうして、お別れと感謝のお祈りを捧げるわたくしを揺らして。


 家族を乗せた幌馬車は、カタリコトリと。

 街道を街に向けて進んでいくのでした。





 そうして、ソフィアも含め一家四人で、一年ほどを過ごしたあの街へと辿り着きました。



「ここからなら、王都への馬車も出ています。セロも、そしてソフィアも。後悔の無いよう、精一杯励んで下さいね」



 街の入場口の列から少し離れた所で馬車を停めたわたくし達家族は、馬車から降りて抱擁を交わしていました。


 この街で今日、この子達はわたくしの元から羽ばたいて……巣立って行くのです。



「母様……今までありがとうございました」



 セロは王都へと赴き、本格的に冒険者の高みを目指すために。


 この一年ですでに上級冒険者の資格を得てはいるものの、それでも今の彼は未だ、辺境の名も無き勇士の一人でしかありません。

 名実共に父であるダルタフォレスを超えるため、彼は自身の立ち位置を高めるために、より本格的に名を売り、腕を磨き続けることにしたのです。そのために、ギルドの本部が置かれる王都へと所属を変えるのです。



「セロ。あなたは誰より優しく、そして強い立派な子です。その優しさを持ち続け、困っている人を分け隔てなく助けてあげてください。強さをおごらず、力に溺れず、誇り高く居続けてくださいね。いつも……小さな頃からずっと、今に至るまで……あなたはわたくしの誇りでした」


「私とエルジーンの自慢の息子よ。其方そなたであれば、誰よりも何者よりも高き頂きへと昇り詰めることができるであろう。私を超える唯一人の戦士、セロよ。弛まず励み、研鑽を重ねよ。其方の活躍が轟き、私達の元まで届く日を期待しているぞ」


「はい……! 父様、母様……いってきます!」



 首に黒いお守りを下げ、腰には父から受け継いだ宝剣をいて。

 精悍な顔付きの青年へと成長したセロの左右で違う色の目には……涙が溜まっていました。しかしそれを溢れさすまいと懸命に耐えているその姿はとてもいじましく、彼はもう今後会えないであろうことを理解しているのだと、わたくしへと伝えてきていました。


 ――――胸が、酷く痛みます。



「ソフィア――――」

「ママ!!」



 次いで娘にも声を掛けようとするも、胸に飛び込んできたその本人に遮られてしまいました。

 兄とは違い泣くことも躊躇ためらわず、わたくしの胸を涙で濡らすその愛娘の頭を、そっと撫でかします。


 彼女は冒険者になるのではなく、王都の魔法学園へと通います。

 この数年で勉学に励み、父からは魔法を、わたくしからは神聖術の手解きを受けて、入学が可能となる十三歳になったのを機に受験に挑戦するのです。

 学費などは、元々上級の冒険者であるダルタフォレスと、飛ぶ鳥を落とす勢いのセロの二人に掛かればすぐに貯まりましたしね。


 全寮制の学園へと通い、魔法と神聖術に磨きを掛け、わたくしの次代の【聖女】になるのだと息巻く愛娘へと、わたくしはゆっくりと語り掛けます。



「ソフィア。賢くて可愛い、わたくしの娘。その笑顔に母は、一体何度救われたことでしょう。あなたの朗らかさはまるでお日様のようで、わたくしの胸をいつも温めてくれました。どうか、その明るさで沢山の人を照らしてあげてください。誰よりも賢く、美しく羽ばたいてくださいね」


「愛しい娘よ。兄ほどに長く見てやれず、すまなかった。成長した其方はきっと、母様のようにとても美しくなっただろうに。そばで見守ってやれない父を許してほしい。だが、これだけは断言できる。其方は必ずや、誰からも愛される女性へと成長するであろう。今までと同じようにただ自由に、其方の心の赴くままに、健やかに歩むことを願っているぞ」



 わたくしの胸の中で、父と母からの言葉を受け取るソフィア。

 その肩は震え、耳も真っ赤にして。それでもその耳を塞ぐことなく、わたくし達の言葉を聴いてくれていました。


 そうして少しの間、母の胸で泣いていたソフィアは。



「ママ……パパ……。あたし、二人の娘で良かったよ。ママはとても美人で、最高の聖女で、世界を救った英雄だもの。パパは誰よりもカッコ良くて、強くて、ママを大事にしてくれる最高のパパだった。あたし、頑張るからね。魔法も神聖術もうんとお勉強して、ママよりもイイ女になって、パパよりもカッコイイ旦那様を見付けるからね!」



 兄とは反対の純白のお守りを下げ、腰まで届くほどに伸ばした父と母の色合いを混ぜた髪。兄と同じく左右で違う色の瞳は、先程まで流していた涙で濡れ、それでも輝かんばかりの希望ひかりに満ちていました。



「あらあら……。ふふっ、そうですねソフィア。あなたならきっとできます。頑張れば、あなたは何だってできますものね」


「エルジーンよりも良い女に……か。ならば頑張らねばな、娘よ。息子よ、それまではソフィアをしっかまもってやるのだぞ?」


「任せてください、父様。絶対にソフィアに、悪い虫は寄らせませんからっ」



 あらあら。父も父なら、兄も兄ですね。

 貴方達が審査をしては、誰一人ソフィアの伴侶になどなれないでしょうに。



「お兄ちゃん! パパも、もぉ~っ! あたしを一生結婚させない気なの!?」


「気にせずとも良いのですよソフィア。あなたが心から選んだ殿方であれば、母は反対しませんからね」


「ママ……うんっ! あたしも絶対にママみたいな、素敵なお母さんになるからね!!」


「ふふっ、楽しみですね」



 本当に、なんて楽しみなのでしょう。

 王都で暮らせば、そして学園に通えば、今まで以上に沢山の出逢いや別れを経験することになるでしょう。


 その総てがこの子にとって、良き糧となることを願ってやみません。そして同じく王都を拠点とするセロにも、いつか良き出逢いが訪れることを切に願います。


 何も異性に限ったことではなく。

 良き友とも、良き好敵手ライバルとも出逢い、様々な経験をしてほしいのです。


 学友と競い合ったり、恋敵と駆け引きをしたりでも良いのです。

 時には疎まれ、妬まれもするでしょう。あらぬ疑いや言い掛かりを付けられることもあるでしょう。


 ですがそれら総てを糧として、楽しんでほしいと。

 そう、母は強く願います。願い続けます。


 その願いはあの日語った通りに。

 セロに、ソフィアに真実を告げた時に話した通りに。


 たとえ世界が息子を、娘を敵と見定めようとも。

 たとえ天秤が傾き、魔に見初められようとも。


 わたくしとダルタフォレスだけは、あなた達の味方であり続けます。

 わたくしとダルタフォレスのその願いおもいだけは、誰にも否定はさせません。


 愛する息子と娘の幸せを願っています。

 これだけは、この一点だけは。たとえ我が神メイジェルフォニアの御言葉であろうとも覆させない、と心に決めて生きてきました。



「愛しています、セロ。愛しています、ソフィア。わたくしとダルタフォレスの愛しい子。自慢の息子と娘。あなた達の門出に、往く道に、多くの祝福があらんことを祈っています」



 わたくし達家族は他人ひとの目もはばからず、むしろ家族の愛を見せ付けるかのようにいつまでも。


 いつまでも、四人で固抱き合っていたのでした――――




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