人魔戦後歴二十三年 世界の天秤が歩み出した日



「そこは前回覚えた数式の応用ですよ」


「あ、そっか! これがこうして……できた! できたよママ!」


「ええ、良くできましたね。算術も随分と形になってきていますよ」


「えへへ~♪」



 十二歳となったソフィアのお勉強を見て、足りない所を指導して正答を導き出したことを褒めます。読み書きや算術、歴史に地理と、昨年から娘は随分と勉学に積極的になったように思います。

 兄であるセロの背中を追っているのか、鍛練にも精を出すようにもなりましたし、魔法の腕もメキメキと上達してきています。神聖術に関してはセロよりも適性があったのか、すでに彼よりも上手なほどです。ただ、剣術への適性はあまり無かったらしく、護身術を修める程度で根を上げてしまいましたが。



「これだけお勉強ができれば、王都の学園にも問題なく入学できるでしょうね」


「ほんとに!? じゃあこれで、もっともっと魔法が勉強できるんだね!」


「ええ。受験資格は十三歳からですから、まだ一年もありますしね。油断せずにこのままお勉強を続ければ、ちゃんと合格できるでしょう。それでは次は魔法の訓練ですね」


「うん! パパに声掛けてくるね!」



 勉学が終われば、次は魔法の授業です。魔族の王である父親……ダルタフォレスが直々に教鞭を振るっているのですから、そちらに関しても懸念はあり得ませんね。むしろやり過ぎないように注意せねばいけません。


 現在わたくし達は、村と取引のある街で借家暮らしをしています。一年前にこの街に遊びに来た際に娘のソフィアが大層気に入って、そしてセロと違って旅に連れ出してやれなかった負い目もあったことから、彼女のために一時的にこちらで生活するようになったのです。

 ただ単に栄えた街が気に入っただけでなく、しっかりとした目的があったという点も、この決断の後押しとなりましたが。



「王都魔法学園に入学したい……ですか」



 教示を受けるため父を呼びに部屋を出ていくソフィアを見送りながら、一年前の事を思い出します。

 この街に訪れ、兄であるセロの目標ねがいを聞いてから、彼女は明確に変わったのです。


 好奇心に溢れ、持ち前の素直さや茶目っ気でもって人付き合いの上手な彼女は、実は人一倍寂しがりでした。わたくしが兄妹に願いを――自立してほしいと伝えた後にも、得心がいかずセロに心情を吐露したと聞いています。

 その思いを聞かされて胸が締め付けられましたが、それでもわたくしのためにと奮ってくれたあの子には、感謝の気持ちでいっぱいです。


 それからというもの、以前よりもより甘えてくることが増えましたが、それ以上にわたくしを気遣ってくれていました。そして昨年、セロの『父を超える』という目標を聞いてから、ソフィアは。



『あたし、ママよりももっと凄い聖女になる! 女神様の加護がママから引き継げられるように、お勉強も魔法も神聖術も、今よりもっと頑張るね!』



 そう言って、満面の笑みを見せてくれたのです。


 わたくしは八歳になる前に加護を受け、それから直接教団へと引き取られて教育もそこで施されましたが、わたくしに加護が残されている以上教団へは聖女としては受け入れてもらえません。そこでソフィアは学園に通いたいと、そう希望を伝えてきたのです。


 最も先端的な学術を学ぶのであれば、この国の王都にある学園が最適でしょう。かつての戦友であった【勇者】たる王子殿下――今は国王陛下でしたね――や【賢者】アルネティウス様も、その学園に通っていた過去があります。

 貴族子弟や子女、その徒弟が主な就学生ですが、平民であっても試験に合格さえすれば入学することは可能です。むしろそうして平民へと門戸を開き、将来的に有益となり得る人材を囲い込み、卒業後の進路を誘導するために奨学制度までも導入しています。これもまた、先代国王陛下の政策の一つでしたね。


 実際にそこで見出され、稀代の天才と称されたアルネティウス様。増長しその後の努力を惜しんでしまいましたが、彼も元々は平民身分であったと聞いたことがあります。

 在学中は身分の違いに随分と悩まされたようですが、実力を示して一目置かれるようになってからは、そういった差別意識も気にならないほどに減っていたそうです。


 そうであるならば、ソフィアにとって何の問題も無いでしょう。あの子の実力は折り紙付きですし、何よりもその高い素質を開花させるのであれば、わたくしのにわか知識では不十分です。

 わたくしもそれなりの教育を受けたとはいえ、戦時中の突貫工事のような指導訓練でしたしね。しっかりとした教授様方から教えを受けた方が、彼女の成長には間違いなく良いはずですから。


 そして実力と知識をしっかりと身に付けた暁には、彼女はきっと誰よりも立派な聖女候補となれるでしょう。



「あの子の自立を願ったわたくしが寂しいと思うのは、やはり強欲が過ぎますね……」



 今代の聖女を探すべく、教団が血眼になって候補を募っていることは知っています。各地から神聖術への適性を持つ子を集め、教育を施しているそうです。そうしている以上無下にはされないはずですが、それでもなお学園で才能を伸ばす選択をしたソフィアには……どうやら教団の庇護を受けるつもりは無いようにも見受けられます。

 しかし、すでに冒険者として自立しているセロであれば問題は無いと言い切れますが、まだまだ成長期で伸び盛りのソフィアに関してはやはり、少し心配になってしまいますね。



「願わくば、選んだ道がソフィアあの子にとって明るく、祝福に満ちていることを……」



 最近は手隙となれば、わたくしはいつもお祈りを捧げています。

 これまで守護して下さり見守って下さったことへの感謝と、あの子達の今後を見守って下さるよう祈願と……そしてわたくしの最後の願いのために。


 加護が失われると知ってから。時の流れというものをしみじみと感じるようになってから。あの子達の旅立ちとわたくしの道の終着が近いことを自覚してから、抱き始めた思い。誰のためでもない、わたくしがわたくし自身のためだけに抱いた、あまりにも身勝手で強欲な願い。

 罪深く欲深であると理解はしていても抱いてしまった。かつては孤独であったわたくしが得ることができた様々なものへの情や執着、そして諦観。それらをすら跳ね除けたいと思ってしまった……願ったがゆえにそのために、わたくしは今日も女神メイジェルフォニアへと祈りを捧げるのです。



「永らえることが叶わないなら、せめて……」



 ドアの向こうで賑やかに授業が始まったのを聞きながら、わたくしは自分でも分かるほどに、酷く覇気の無い目で鏡に映った自分を眺めていたのでした。





 ◇





「母様、只今戻りました」


「おかえりなさい、セロ。成果はいかがでしたか?」


「順調ですよ母様。今日はオークの群れを討伐してきたんです。もう二、三件依頼をこなせれば、上級への昇格も確実だってお墨付きをもらいました」


「まあまあ、なんと誇らしいことでしょう。昇格の折にはご馳走を作って、盛大にお祝いをしないといけませんね」


「ふふっ、楽しみです!」



 冒険者としての依頼から帰ってきたセロから、近頃の活動の様子を聞かされます。

 彼が冒険者となってすでに三年もの月日が流れ、史上稀に見る速度で上級冒険者への足掛かりを得たことを知らされ、まるで我が事のように嬉しく、誇らしく感じます。


 剣術の腕も魔法の技量もますます上達し、単純な強さであればもう、かつての連合軍でわたくしと組んでいた【勇者】や【剣聖】、そして【賢者】などは軽く凌駕しているでしょう。

 もちろんわたくしも、もはや息子セロに敵う気がしません。防御に徹すればあるいは……といったところでしょうか。父であるダルタフォレスも、最近ではかなり本気で手合わせをしているようですしね。


 そんなたくましく、そして頼もしく成長した彼の武勇伝を楽しみながら、最初の頃に比べれば随分と上達したと思われるお料理を仕上げに掛かります。

 十八から料理を始めて、今やわたくしも四十一歳。人間二十年以上も続けていれば、やはりそれなりに上達もするものですね。この歳になってようやく、わたくしも一角ひとかどの主婦になれたのだと、僅かながらの達成感に浸ります。


 もう、二十三年ですか。

 若々しく生気に満ち満ちているセロやソフィアを見ていると、余計に時の流れを強く自覚します。わたくしがあの歳頃の時分はどうであったかなどと、最近はよく懐古の念にも駆られます。


 刻一刻とその〝時〟は迫り、わたくしの身の内に巣くう寂寥や焦りも、日に日に増していきます。

 ふと目に入った自身の手先を眺めてみれば、そこには人が生きてきた証が刻まれている。それを目にする度に、家族を振り返る度に……その寂寥や焦りは大きく、強くなっていくのです。



「さあ、お夕飯にしましょう。父様とソフィアを呼んできてくれますか?」


「はい、母様」



 立派に成長したセロの背中は広く、頼もしく。

 今まさに成長の過渡期を迎えているソフィアは快活に。


 望外に得られた愛しい家族を見てもなお湧き上がる、その醜い思い。


 この子達はこんなにも立派に、己の道を歩み始めているというのに。わたくしは醜くも、厚かましくも……その思いを胸に抱え続けているのです。


 この気持ちを自覚したのはいつ頃からでしょうか。


 セロが魔力を暴走させ、それを止めるために聖女の力を久し振りに揮った時?

 旦那様――ダルタフォレスへの想いを改めて自覚し、思いを伝えた時?

 それとも、女神様の神託により加護を失うと分かった時?

 寂しがるソフィアに、それでも自立を促した時……?


 ああ……。どうして、わたくしは。

 わたくし唯一人だけは、この〝時〟に縛られているのでしょうか。


 手だけでなく身体の至る所に刻み込まれたその〝時〟を目にする度に、わたくしはそう、許されざる思いを抱いてしまうのでした。




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