人魔戦後歴二十二年 世界が照らしたその道



 風と振動に揺れるお守り。それは愛する息子と娘の、角の片割れを用いて彫り出したもの。

 息子の角は黒曜石がごとき漆黒。娘の角は白亜のごとき純白。相反する色合いの角はしかし、どちらも我が神であるメイジェルフォニアの象徴シンボル護符アミュレットとして、丁寧に磨き上げられています。


 曇りも無く。濁りも無い艶やかな質感のそれらを眺めながら、わたくしも一緒に馬車に揺られていました。



「もう少しで到着だ。皆、不便は無いか?」


「ええ、快適ですよ」


「僕も大丈夫です」


「平気だよ! それよりパパ、あたしも手綱持ちたい!」



 我が家で、ある意味で最も歴史が古いかもしれない愛用の幌馬車の荷台で、わたくし達は御者席のダルタフォレスへと返事をします。

 この馬車も終戦当時から使い続け、何度も修繕を繰り返しては酷使してきたせいか、あちこちに傷みが目立つようになってしまいましたね。それでも旦那様の御者術はさすがのもので、それほどに不快な揺れなどは感じないのですが。



「そうだな。セロはもう操れることだし、ソフィアも挑戦してみるか。ここからは平坦な街道を行くだけであるしな」


「ほんと!? やったー!!」



 いい加減荷台で景色を眺めるのにも飽きたのか。そんなソフィアにせがまれて、ダルタフォレスが苦笑混じりに御者席に招き、膝に抱える形で後ろから手を添えて手綱を操ります。

 ソフィアはその小さな手でしっかりと手綱を握って、父の助言に従いながら馬を制御しているようですが……明らかに先程までよりも、馬車の揺れは大きくなっていますね。まあ、初めてですし街までもあと少しです。多少のお尻の痛みは許容しましょう。


 しかし、急に揺れ出した馬車に気分でも悪くしたのか、見るとセロが顔色を青くしてしまっていました。

 そんな彼の背をさすってやりながら。わたくし達家族を乗せた馬車は、カタリコトリと街を目指したのでした。





「すっごい! 人がたくさん!!」


「こらソフィア、あんまりはしゃいでると迷子になるぞ!」



 二十一歳のセロと、十一歳のソフィアが手を繋いで。

 いつかセロが憧れた仲睦まじい兄妹の姿そのものの様子で、市場を小走りに進みます。


 思えばわたくしも、ソフィアが産まれてからというものすっかりと村に腰を据えていて、それ以来街に出るのは初めてのことでした。そしてまだ幼かったソフィアも同様に、今回が初めての村以外の場所の散策です。はしゃぐのも無理はないでしょうね。

 手を引かれ慌てるセロも、その二人の様子をわたくしと共に眺めるダルタフォレスも、その顔は笑顔ではありましたが、若干の呆れも含んでいるように見えます。しかし嫌な気持ちはないようで、『ソフィア姫様の仰せの通りに』といった感じでしょうかね。楽しんでもいるようで何よりです。



「あの人は魔法使い!?」


「そうだね、魔導士に多いローブを着ているね。杖も持っているし分かりやすいかな」


「じゃあ、あの人は斥候レンジャーかな!?」


「うーん、豹の獣人族の人だから、きっとあれでも前衛職なんじゃないかな? 多分速さとしなやかさを活かした軽戦士だと思うよ」



 街を往く多種多様の冒険者の方達を眺めては、その方達の職種ジョブ役割ロールを言い当てる遊びを始めた二人。不躾にならないよう配慮をしながら、目に留まった様々なヒト達について語らい、あれやこれやと考察を述べる。その様子はまるで、昔セロの手を引いて街々を歩いていたかつてのわたくしを観ているようでした。



「セロは、良い兄になったな」



 そんな二人の様子を観て、わたくしと腕を組んで歩いていたダルタフォレスが感慨深げに漏らします。

 その意見にはわたくしも全く同意です。とおも離れたまだ少女であるソフィアに対しても、セロは決して偉ぶることもなく、真摯に向き合い接しています。


 自らが憧れた兄の姿という虚像もあるかもしれません。それこそ、かつてまだ彼が少年だった頃に買い与えた童話の……【兄妹の大冒険】の中の兄のようにありたいという、その願いの通りに努めているのかもしれませんね。



「セロの優しさとソフィアの素直さ。そのどちらもが、あの二人にとっては良い関係の根幹となっているのでしょうね」


「うむ。お互いに足りぬところを補い合うような、友のような連れ合いのような……そういった関係があの子らには心地好いのかもしれぬな」



 昔のように諸国漫遊とはいきませんが、少しでもソフィアに外の世界を見せてあげたい――――そう思い立ち、こうして一家四人で取引先でもある街にお邪魔しているのですが……思った通りに、ソフィアは目に映るもの総てに興味を惹かれ、兄に尋ね、あるいは道往く人に屈託なく質問を投げ掛けています。

 本当に彼女の対人関係の構築に関する手練手管は、村の奥様方の影響か我が家の中でも群を抜いています。正直、あまりにも遠慮なく声を掛けて回るものですから、少しハラハラもしてしまいますが。


 それでもその持ち前の明るさや素直さのおかげか、声を掛けられた人達も嫌な気がしないようで、気前良く質問に答えて下さっています。

 わたくし達はそんな彼らを後からゆっくりと追いながら、そうして応えて下さった方達に会釈をしながら、街を観て回ったのでした。





 ◇





「はぁ~っ! 楽しかったぁ!」


「僕はちょっと疲れちゃったよ、ソフィア」


「えぇー!? あたしより鍛えてるくせに、お兄ちゃん情けなーい!」


「いや、ソフィアが引っ張り回したせいなんだけどね!?」



 街の宿場が集まる区画で、一家四人で泊まれる宿を探して部屋を取り、購入した荷物などを整理してから。

 夕食を宿屋の食堂で済ませたわたくし達は、お部屋で思い思いにくつろぎながら、今日一日を振り返っていました。



「ソフィア、足をバタバタさせてははしたないですよ?」



 ベッドに飛び乗り、うつ伏せで足をバタつかせているソフィアに注意しますが、よほど楽しかったのか……



「大丈夫だよぉママ、今は家族しか居ないんだし。それにパパはママにしか興味ないし、お兄ちゃんは人のスカートの中を覗いて喜ぶようなヒトじゃないもん!」



 などと、呆れて思わずこめかみを押さえたくなるようなことを平気で言ってのけました。

 これにはさすがのダルタフォレスも面喰らったのか、寝酒にと食堂で購入したお酒を噴出していました。そして妹にそう評された兄はというと。



「な、なんてこと言うんだよソフィア!?」



 と、若干顔を赤らめて、慌てた様子で妹をたしなめています。

 そんな家族の反応も楽しいのか、ソフィアはきゃあきゃあとはしゃいで喜んでいますが。


 しかしセロ、その反応ではまるでスカートの中を覗きたいと言っているようにも聞こえてしまいますよ? まあ、この子をそのように育てた覚えはありませんから、そこは安心していられるのですけどね。そしてダルタフォレス、貴方はいつまでムセているのですか。

 まったく……わたくしとダルタフォレスの間に産まれて、よくもまあこれほどお転婆に育ったものですね。逆に感心してしまいます。



「それで、ソフィア。初めて来た街はどうでしたか? 色々と目新しい物事に触れて、どう感じましたか?」



 呆れ半分でもありましたが、それでも気を改めて、今回の家族でのお出掛けの趣旨についてソフィアに尋ねます。

 気持ちとしては完全に行楽ではありますが、あくまでもこれはソフィアの視野を広げるため。彼女が今後何に興味を示し、それを己の道とするか。その切っ掛けになればと思い、出掛けてきたのですから。



「冒険者も、楽しそうだとは思ったかなぁ。色んな人が色んな役割を果たして、冒険して魔物と戦うなんて……絵本の中の物語みたいだもの!」


「それではソフィアも、兄と同じように冒険者を目指したいのですか?」



 訊いてから、わたくしは少し焦り過ぎたかと自省しました。

 未だ十一歳という少女に、ましてや今は平時で戦争も無いというのに、こんなにも急いで将来を決めさせる必要はないだろう、と。


 いくらわたくしの願いを聞いてくれたとはいえ、このお転婆なお姫様はまだまだ親に甘えたいでしょうに。

 しかし、そんなわたくしの思いとは裏腹にソフィアは。



「うーん……。お兄ちゃんは? やっぱり冒険者を続けるの?」



 特に気にした素振りも無く、兄の将来について尋ねました。

 そんなソフィアの様子にしばし呆気にとられた様子だったセロは、軽く苦笑してから。



「そうだね、僕はまだ続けるつもりだよ。目標だってまだ叶えられていないしね」


「目標って?」



 そんな兄が語る目標という言葉に興味を持ったのか、目を輝かせてさらに尋ねるソフィア。セロは少し照れ臭そうにしながらも、そんな妹の質問に対し口を開きました。



「僕は、いつか父様を超えるって決めてるんだ。これは小さな頃から変わらない、僕の願いでもあるんだよ」



 その言葉に、幼かった頃のセロの姿が呼び覚まされました。

 現在いまのソフィアよりも、ずっと幼かった頃。わたくしとダルタフォレスに、村の外には何があるのかと問うた、あの頃の少年の姿が。



『んっとねー、ぼくはねー! とうさまよりつよくなってー、かあさまをおよめさんにするの! それからねー、みんなといっぱいわらってくらすのー!』



 純粋な笑顔で、何の邪気も無く。はにかみながら、それでも嬉々として。

 父を超えるというその願いは、彼がその頃より抱き続けたまま、色褪せぬままにその胸に、その心に刻まれていたのです。


 随分と精悍になったと思われていたその顔に浮かべたその恥じらいは、幼き日のあの願いを今も変わらずに持ち続けてきたと、忘れていなかったとわたくし達に示し、今もなお目標それを追い続けているのだという証でした。


 その照れ臭そうな顔は、昔と変わらない純粋な一人の少年の。何ら変わることのない愛しい息子の……セロの笑顔でした。



「エルジーン……?」


「か、母様!?」

「ママ!? どうしたの!?」



 そんなセロの言葉に、笑顔に思わず……わたくしの目からは涙がこぼれていました。

 そうして涙を流すわたくしを見て、家族の皆が慌てて寄ってきます。そして口々にわたくしに心配の声を掛け、背をさすり、気遣ってくれました。


 けれど、わたくしの涙は止まらずに。


 間違っていなかったのだと。

 わたくしは確かに、セロを良き青年へと導けたのだと。


 時代に翻弄され戦場を駆けずり、ダルタフォレスに見初められほだされて。純潔を散らして孕んだこの世の運命さだめと覚悟してもなお、愛おしくてたまらなかったわたくしの息子が、こうして立派に成長してくれたのだと。


 その涙は、歓喜の涙でした。

 わたくしの道を肯定してくれたセロへの、ソフィアへの、ダルタフォレスへの……愛する家族への。


 それはきっと、感謝よろこびの涙だったのです。




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