人魔戦後歴二十一年 世界の天秤への願い



 ソフィアに真実を打ち明け、彼女がそれと向き合い家族皆が通じ合った日より、数ヶ月が経ちました。

 彼女は全てを受け入れ、よりしたたかに、快活に、まるで今は亡き村長夫人のように明るく活発に過ごしています。


 セロと同じく、ソフィアをも取り上げてくださったあの強い女性を慕う人は、未だに村にも多く居らっしゃいます。わたくしも良くしてくれたことをお話して聞かせたこともありますし、ソフィア自身もその高い素養ゆえか、感受性ゆえにか、ハッキリでなくとも朧気に、温かいものを感じていたようでした。


 角のお守りを授け、自身のルーツや家族の絆に確信を得たためか。ソフィアはより伸び伸びと、興味のあることには全力で、そうでもなくても嫌々ながら、修練を積みその才能を育て続けています。

 もちろん兄であるセロも負けていられないと奮起したようで、特に魔法や神聖術の鍛練の時には、兄妹で相競いながらその腕を磨いています。


 わたくしはそんな二人を微笑ましく見守りながらも、いずれ来る〝その時〟に、思いを馳せていました。





「いと尊き我らが母よ――――」



 家族揃っての毎朝の礼拝を済ませ、少し遠出をするという冒険者の息子セロを見送り、村の子供達と遊ぶというソフィアを送り届け、そうしてから。わたくしはいつものように、主神である女神メイジェルフォニアへと祈りを捧げ、その声に耳を傾けていました。

 すでに戦争も終結し、わたくしが前線に立って戦うことなどないだろうとは思いますが……それでも万が一ということも起こり得ます。セロが魔力を暴走させたあの時のように、突然モンスターが溢れかえって村を襲わないとは、神様以外には誰にも断言することなどできないでしょう。


 そんな思いから、たゆまずに神聖術の研鑽を重ね続けてきたわたくしですが。



「――――やはり、そう都合の良いことばかりではないのでしょうね……。そうですか……あと三年で……」



 そうして神聖術の腕を磨き、女神様へ祈りを捧げ続け――――

 神託を授かった【聖女】として、その御声を聞き続けてきたわたくしに告げられた、その御言葉は。


 加護を次代の代弁者に譲るという、そんな女神様のご意思でした。



「子供達は……セロとソフィアは、あなた様のお望みの通りに成長できたでしょうか。わたくしは、わたくし自身の意思と願いにより、二人を運命のくびきから解き放ちたいと……そう願ってしまいました。それは、あなた様のご意思に背く願いだったのでしょうか……」



 八歳になる少し前から、確かにわたくしに寄り添い続けて下さった我が主。

 その御声はまだ意志が弱かった頃のわたくしを叱咤し、激励し、愛し、慈しんで下さいました。迷い惑った時には道を示して下さり、恐れ涙した時には光を照らして下さり……そうしてわたくしの人生のそのほぼ全てを、その御声とご威光をもって護り、導いて下さいました。


 ダルタフォレスと出逢い、しとねを重ね純潔を失い。

 一度はご寵愛に背くものと覚悟したにもかかわらず、それでもその慈悲をもって、わたくしを加護し続けて下さいました。


 そうして加護を、女神様のご寵愛をたまわり続けて……わたくしはもう、三十九歳となってしまいました。

 八歳で【聖女】となり、十八で子を身籠り、国と教団の目から隠れ暮らして、今や息子などはわたくしの手を離れ……



「わたくしの役目は、もう終わりが近いのですね……」



 そうして自身の歩んできた道の、その先の行く末を眺めてみて。


 わたくしの胸には、一つの願いが芽生えていることに気が付きました。

 こればかりは息子のためでも娘のためでもない……ただ一人、わたくし自身のための願いが。


 わたくしの視線の先にはあの日……わたくしを見初めたと話し、わたくしの純潔を欲し、終止符を打つことを望み、それでもなお生き続けて共に歩んできた…………



「ダルタフォレス……」



 今や愛おしいと思うことに躊躇とまどいも覚えなくなった、わたくしの旦那様が……かつては敵対していたはずの魔族達の王が、庭先に出て仕事の道具の手入れに、精を出していたのでした。





 ◇





「お役目の終わりが近付いているようです」



 誰はばかることもない我が家の食卓で、そうわたくしは、家族達に告げました。

 全員が揃ってお食事を摂ることも少なくなってきた昨今、貴重な家族団らんの場で、わたくしは女神様のご意思を皆に伝えます。



「私はそもそも魔に属する者ゆえ、女神だの信仰だのに明るくないのだが、加護を失うということはつまり……どういうことなのだ?」


「あたしも知りたい!」


「僕もです。教えてください、母様」



 そうでしょうね。わたくしと違いセロもソフィアも、教団で真っ当に教育を受けたわけではありませんからね。そして純粋な魔族であるダルタフォレスの言も、納得できるものです。

 わたくしはそもそもの女神様の教えというものを、その起源を、家族達に話して聞かせます。



「女神メイジェルフォニアは、全ての生命いのちの母として存在しています。厳密に言えばダルタフォレス、貴方達魔族も、メイジェルフォニアの定める慈しむべき命なのです。ただ神代より魔界に溢れる瘴気へと適合し進化し、そしてその影響で暴力への忌避感が極端に薄まってしまった……それが魔族なのです」



 魔素を魔力へと効率的に変換する瘴気に適合しているがゆえに、魔族の多くは魔法に長けているのでしょうね。まあ、それは余談ですが。

 そうした、教団でも限られた者しか知り得ない事柄を説明しつつ、女神の加護というものについて説明していきます。



「そもそも〝加護〟とは、女神様から代弁者たる者へ預けられる〝寵愛〟のことです。多くの神官が授かるのは〝祝福〟であり、女神様が信徒として信用するという証でもあります。しかし加護を受けられる者は時代に唯一人……今代では、【聖女】であるわたくしであったということですね。


「女神様より加護――寵愛を預かった者は、女神様の御声を聞くことができるようになります。神聖術への理解も直接教えを頂戴する訳ですから当然別格となり、多くは教団にとっての求心力の核となります。ただし恩恵だけでなく、それに見合った使命もまた、女神様より下されることとなるのです」



 孤児院のあった教会で、女神様の御声を聞いたあの日。わたくしはそのようにして使命を授かりました。

 その使命とは――――



「世の混沌をしずめること。あの時代、世界を巻き込んでいた乱れを治めよと、わたくしは女神様より言い渡されたのです。その乱れとは、多くの嘆きであり、悲しみであり、絶望であり、戦でした。そのために、わたくしは女神様の御言葉を教団上層部へと伝え、連合軍の【聖女】になったのです」



 女神メイジェルフォニアにとっては、人類も魔族も等しく尊い生命でした。しかしそれらがいがみ合い、相争っていたあの時代、その尊い生命が無造作に、簡単にその光を失っていった悲しみの時代だったのです。

 その女神様の悲しみを理解し取り除くことこそ、そしてそのためには従軍し自ら戦を終わらせることこそが、神託の遂行への一番の道のりでした。



「戦争が終結し、魔族は魔界へと帰り。人界には平和が訪れ、世の混沌は鎮まりました。本来であればあの時点で、わたくしが授かった加護をお返ししていても不思議ではありません。しかしメイジェルフォニアは、わたくしに未だ加護を……ご寵愛を残して下さっています。それはつまり、神託の遂行が未だ完全ではないからです」



 確かに人類が勝利して、人界は平和になりました。しかし終戦と同時に人界には、ひとつの〝くさび〟が打ち込まれていました。


 それこそがわたくしとダルタフォレスの子供である、セロでありソフィアです。

 聖女と魔王の子として、比類なき力を秘めた二人の子。その力の一端は、過去にセロが魔力暴走を起こした時に骨身に沁みました。


 この子達によって、再び混沌が巻き起こされないよう、導かねばならない。奇しくもダルタフォレスが〝呪い〟と称したことと、授かった神託が意義を同じものとしたのです。



「わたくしは不出来な母親であったと思います。しかしそれでも二人の子を……セロとソフィアを真っ直ぐに育ててきたという自負があります。時には強い言葉で叱責もしましたが、二人が己の中に確固たる自分を……芯のようなものをはぐくめるように、そのように導いてきたつもりです。


「恐らくですがメイジェルフォニア様は、セロとソフィア、あなた達が立派に成長したと……そう判断して下さったのだと思います。二人ならばその強大な力と真摯に向き合い、いたずらに揮って他者を悲しませたりしないだろうと、そう信じて下さったのです」



 だからこそ、わたくしの使命も終わりを迎えるのです。そのために加護を残して下さり、強力な神聖術を授けたままにして下さっていたこれまでの時間が、終わりに近付いてきたのです。


 加護を失えば、今までのように戦闘で活躍できるほどの神聖術は行使できなくなるでしょう。他の多くの神官様達のように、せいぜいが他者を癒し慰めるほどの力しか、残らないと思います。

 そうしてわたくしに残された加護をお返しするまでが……あと三年の間。それまでに、わたくしには何としても成さねばならないことができたのです。



「巣立ちの時を迎えたのです、セロ、そしてソフィア。強く逞しく、そして優しく真っ直ぐに育ったあなた達はこれから、わたくしやダルタフォレスが敷いたものではない、自ら拓いた道を歩まねばなりません。その道を見出し、歩むための準備をせよと、女神様はわたくしに命じられたのです。それが、残された三年間の意味です」



 そう告げたわたくしに向かって、悲し気な目を向ける息子と娘。


 必ずしも別れねばならないわけではない、とは思います。わたくしとて、できることなら愛しい子供達といつまでも一緒に暮らしたくもあります。ですが……



「どうしたところで、わたくしは家族の誰よりも早く老いて、この世を去ります。ダルタフォレスを置いて、あなた達の行く末すら見届けることができずに。それが純粋な人間族であるわたくしの限界であり、この世の摂理として授かったわたくしの寿命だからです。しかしあなた達はそうではない。魔族の血を継いだあなた達は、人間族の寿命に縛られることはないでしょう」



 ならばせめて。



「わたくしが未だ老い切らぬ内に、あなた達には自立してほしいのです。己の道を見付け、わたくしが居なくなっても大丈夫なように、大丈夫であると見せてほしいのです。何を目指しても構いません。己の誇りをけがしさえしなければ。強さを求めても、魔道を追及しても、世界を見て回るのでも良いのです。わたくしの子供達は立派に巣立っていったのだと、この至らない母親を安心させてほしいのです」



 そうしてこそ、わたくしは胸を張って、女神様のご寵愛に報いることができたと思えるのです。

 そんな我がままに近いわたくしの願いを、他でもないこの子達に叶えてもらいたいのです。


 聖女となり純潔を守る内に、いつの間にか諦めていた、自らの子。理由はどうあれ、過程がどうであれ、この身に宿ってくれて産まれ出でてくれた、尊い生命いのち。まさか魔王と成すとは思ってもみませんでしたが、それでも慈しみ愛して育てた、大切な我が子。


 そんな子供達を信じて巣立たせてやりたい。巣立たせても大丈夫であると、信じさせてほしい。

 そしてわたくしに残された加護を通して、女神様の御心も安らかにして差し上げてほしい。


 わたくしの心からの願いを、女神様の思いを。

 わたくしが心から愛する子供達に、願い伝えたのでした。




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