人魔戦後歴二十一年 天秤の兄妹と恐れる心
セロが二十歳、ソフィアが十歳となりました。
冬の初雪が降る夜に産まれたセロとは真逆の、夏の昼日中に生を受けたソフィアは、それこそまるで夏の陽射しのように明るく、爛漫な子に育ちました。
かと言って性格に難があるわけでもなく。兄と同じように優しく、気遣いの出来る器量良しな娘と、村でも評判になるほど良い子に育ってくれました。
強いて言うならば、隠し事ができないほどの素直さと、他者を
そんなソフィアも大きくなったことで、兄であるセロの時と同じく誕生を祝う場で真実を……わたくしや父であるダルタフォレスのことなどを話して聞かせようと、心構えをしている時のことでした。
「母様、お話があります」
「どうしたのですか、セロ?」
あどけなさのだいぶ抜けた、青年の顔となったセロ。
父から受け継いだ金の右眼と、わたくしから受け継いだ真紅の左眼は真っ直ぐにわたくしを捉え、窓から吹き込む涼しい風に、淡い紫の短髪が揺れています。
「ソフィアにも、お話しするのですよね……?」
自分の時と同じく、十の誕生日に真実を話すのだろう、と。聖女と魔王の息子であるセロは、強い瞳でわたくしを見据え、そう尋ねてきました。
「ええ。今夜、このお守りを渡してから伝えるつもりです。それがどうかしたのですか?」
「あの子は……ソフィアはもう、知っています」
「え……?」
その意図するところを察することができずにわたくしは、セロに尋ねて返します。そんなわたくしに彼は、思わず間の抜けた声が出るほどに
「それは……わたくしのことや父様のことを、ですか?」
「はい、そうです」
「あなたやソフィアのこと……二人の負った宿命のこともですか?」
「はい。僕が話しました」
「それは……なぜ……」
にわかには信じ
そんなわたくしの動揺や葛藤など、まるで見透かしているかのようなセロの視線。その姿に、わたくしを拉致し迫ってきた時の父親の……ダルタフォレスの面影が重なったような気がします。
あの時の彼は、わたくしに首を差し出すと真剣そのものの様子で語ってきました。わたくしの動揺や混乱に感付いていたであろうに、それをどうすることもせずにただ受け入れ、ただ真摯に向き合ってきました。
そんな彼の姿が、状況も何もかもが違うというのになぜか目の前のセロの様子に重なります。やはり親子ということなのでしょうか、凛々しくなった顔にもやはり、ダルタフォレスの面影を感じます。
「そもそもソフィアは、自分で気付いていたんです。自分は何かが違う。家族は、父は、母は、兄は。普通の人とは何かが違うと、ずっと気になっていたんだそうです」
「それは、いつから……?」
「いつ違和感を抱いたのかは、詳しくは憶えてないみたいです。ですが確証に至ったのは、母様がカナデさんを圧倒した時だと言っていました」
カナデ……ああ、セロの冒険者登録試験のお相手を務めた方でしたね。過去にダルタフォレスに助けられ、その恩人が持っていた剣をセロが受け継いだことから、彼が亡くなっていると思い込むなど、なかなかに愉快な思考をなさっていた女性ですね。
挙句の果てには妻であるわたくしを使用人などと言い出し挑発してきたものですから、少々お灸をすえて差し上げたのが懐かしいですね。
「あの時に、他の人達は僕達家族ほど強くないってことに気付いたらしくて。村以外の人の常識を知らなかったから、随分驚いたみたいです」
なるほど……。ソフィアは確かにセロと違って漫遊もしていませんし、ダルタフォレスやセロのように村の男衆と狩りに行くわけでもありませんからね。そうでなくとも毎朝父と息子の鍛練を見ているのですから、それを普通だと思っても仕方がないことでしょう。
そんな彼女に、わたくしまでもが上級冒険者を圧倒するほどの力を有していると気付かれれば……あの
「それで疑問に思ったソフィアに、あなたが教えてあげたのですね」
「はい。本当なら母様や父様から聞いた方が良いとは思ったんですけど、下手に隠して村のみんなに聞いて回っても
そう申し訳なさそうに頭を下げる息子に、わたくしは特に憤りや焦りなどは感じはしませんでした。それどころか気を遣ってくれたことに、感謝してもしきれない思いすら抱いていました。
「頭を上げなさい、セロ。あなたは良くやってくれました。不甲斐ない母の代わりに、あの子の性格も踏まえた上で最適な対処をしてくれたと思います。わたくしこそ、そのような重要な役割を任せてしまって、申し訳もありません」
「そんなこと……。母様はいつも、僕やソフィアのために頑張ってくれています。母様から貰った、僕の角で作ったお守りだって、本当に嬉しかったです。だから……」
丈夫な革紐に通し首から下げられた、セロの角を彫って作った
「だから、母様からもお話してあげてください。きっとソフィアも、母様から直接聞きたがっていると思います。もう知っているからとか、そんなことは関りなく……ソフィアも母様のことや父様のことをちゃんと知りたいと、話してほしいのだと……そう僕は思います」
いつの間に、こんなに立派なお兄ちゃんに成長したのでしょうか。
この時のセロの顔を……わたくしはきっと、一生涯忘れることはないと思います。
それほどに精悍で、守るべきものを見定めた男らしい顔をしていたと、親の贔屓目なしにそう断言できる良い顔で、セロがわたくしに微笑んでくれていました。
わたくしは嬉しくて、誇らしくて。もう二十の大人だというのに、思わずセロを抱きしめて、子供の頃よくしてあげたように頭を撫でていたのでした。
◇
「ソフィア、お誕生日おめでとうございます」
「おめでとうソフィア。十歳になって、ますます母様に似て美人になったものだ」
「ソフィア、おめでとう!」
ささやかながら頑張って奮発して用意した夕食の席で、家族揃ってソフィアの生誕を祝います。
食卓にはソフィアの好物ばかりが並び、村も豊かになってきたことから高級品でもある甘味も取り寄せることができ、奔放な娘はあれへこれへと目移りしています。
「ありがとう、パパ、ママ! お兄ちゃんもありがとう!!」
満面の笑みを顔いっぱいに広げて、身体全部を使って喜びを表現するソフィア。
そんな未だ小さな身体で、幼く純粋な心で真実を抱え込んでいたのだと考えると、思わず胸が痛みました。
もう二、三年もすれば初潮も迎えるでしょう。そうして大人の女性へと成長していくこの子に、親として先達として、憂いなど抱いてほしくない気持ちももちろんあります。セロは受け止めてくれましたが、ソフィアはどうだろうかという不安もあります。
ですが、やはりそれはわたくしの傲慢でしょう。
他ならぬ娘自身のことであるのに、わたくしのエゴで知ることを妨害するのは、とても罪深いことであると思います。それにこの子はもう……知ってしまっているのですから――――
「ソフィア、わたくしはあなたに謝らねばなりません」
「ママ……?」
そう語り掛けながら取り出したのは、セロの時にも用意した、一つの小さな木箱。
その中にはもちろん……
「あなたに真実を伝えるのが遅くなったせいで、不安にさせてしまいましたよね? 本当にごめんなさい。もし嫌でなければ、母が作ったこれを受け取ってほしく思います」
そう話しながら差し出した木箱を、ソフィアが受け取って開きます。
そこに納められている、他ならぬソフィア自身の片角で作ったお守りを手に取った娘は……
「そっか……。これが、あたしに生えてた角なんだね」
そう言って、いつも明るく元気いっぱいな娘は、涙をこぼしたのです。
それを見て慌てたのは、ダルタフォレスとセロの二人。二人ともソフィアの傍に寄って、頭を撫でたり背中をさすったりと心配しきりな様子です。
しかしわたくしは……同じ女だからでしょうか。この子が考えていることが、なんとなくですが分かる気がしていました。
それは、喜びの感情。
流した涙はきっと、やっと話してくれたという安堵のものなのでしょう。
「あなたは【暁の聖女】エルジーンと、【凶乱の魔王】ダルタフォレスの間に産まれた子。その角は、あなたが二歳になる少し前に生えてきたのを、わたくしと彼とで取り除いたものです。わたくし達を常に見守ってくださる、女神メイジェルフォニアを象ったお守りです」
そうであると信じ、ひとつひとつゆっくりと、丁寧に語って聞かせます。
語られている歴史の本当の真実も、セロを成したこととその理由も、そしてそんなセロには世界の命運など背負わなくてもよいと話したことも伝えました。
ソフィアが生まれる前に起こった事、感じたことを鮮明に思い描き、まるで昨日の事のように思い出しながら、自身の角のお守りを眺めるソフィアに話し続けました。
父であるダルタフォレスや、兄であるセロの物とは違い、白亜のごとき純白の角でした。
大きく伸びたのであればさぞかし美しかったであろうその角のお守りを、ソフィアは眺め続け、時には撫でたり握りしめたりと、己の一部であったものを確かめているかのようです。
「母も、父も。そしてセロも、あなたには自由に生きてもらいたいと願っています。わたくしや父の思いなど気にすることなく、やりたいことをやり、見たいものを見、感じたいものを感じて羽ばたいてもらいたいと思っています」
「私も母様も、
わたくしとダルタフォレスが、彼女に願うことはただ一つ。セロに願ったことと同じく、自由に生きてほしい……と、それだけです。
メイジェルフォニア様に仕え、使命を帯びる身で何をと思われるかもしれませんが、罰当たりにも程がありますが……
世界の命運など、知ったことではありません。
ただこの子達が、セロが、ソフィアが……。
己の心に蓋をすることなく、己の誇りに背くことなく、ただひたむきに、自由に生きてもらいたい。
そんな願いを愛する娘に伝え、お話を終えました。
お守りを握りしめてわたくしの言葉を聞いていたソフィアは、しばらくの間顔を俯けて何事かを考えているようでした。兄に聞いた話と、わたくしから聞いた話をすり合わせたりして、心に整理を着けようとしているのでしょうね。
そうしてから顔を上げたソフィアは、兄とは逆の真紅の右眼と金の左眼でもって、わたくし達家族をゆっくりと見詰めてから。
「……あたしは、みんなのことが大好き。ママは世界一美人だと思うし、パパのことは世界一カッコいいと思ってるし、お兄ちゃんは誰よりも強い最高のお兄ちゃんだと思ってる。こんな最高の家族に囲まれて、あたしは世界一幸せなんだって、いつも思ってた」
わたくし達の誰一人として、ソフィアの言葉を遮ろうとは思いませんでした。
その独白にも似た言葉を気恥しく思いながらも、照れ臭く感じながらも、言い過ぎだと考えながらも。それでもソフィア自身の気持ちを知りたく思い、わたくし達は静かに、彼女の言葉に耳を傾けました。
「ボンヤリとだけど……うんと小さい頃に、魔物に遭ったことも憶えてるんだ。凄く怖くて、泣き出したことも憶えてる。熱い空気と、温かい光を憶えてる」
まだ物心も着く前、村をヒュージウルフの群れが襲った事件。そしてセロが魔力暴走を起こし、わたくしがギリギリのところで村への被害を抑えたあの日の事を……まだ一歳と少しだったというのに、それを憶えているだなんて初めて聞きました。
しかし思い返せば、確かにウルフ達が襲ってきた時のソフィアは、少し様子が違っていましたね。顔色を悪くして震え急に泣き出した時には、皆で酷く慌てたのをわたくしも良く憶えています。
「なんとなくだったんだけど、それでもなんとなくは、みんなとあたし達が違うなって、ずっと思ってたんだ。それでカナデさんの事があって……やっぱり変だと思って……。それでお兄ちゃんに教えてもらって……」
そうして語るソフィアの声が、震え始めました。
時折しゃくり上げるような、そんな嗚咽まで混ざり始め、その可愛らしいクリンとした瞳からは、ポロポロと大粒の涙がこぼれ出しました。
「ずっと……怖かったんだよ……? なんで違うのって、どうして村のみんなと一緒じゃないのかなって……! 怖くて……でも誰にも言えなくて……ッ!」
いつも笑っていた、その笑顔の裏に込められた恐怖に。
今日初めて、わたくしは。
ようやく。遅すぎましたがようやく、気付くことができました。
「怖い思いをさせて、本当にごめんなさい。あなたは強い子だと思い込み安心しきっていた母を、どうか許してください。あなたはまだ、十歳の女の子だというのに。あなたの恐怖に気付いてあげられなくて、本当に本当にごめんなさい……!」
席を立ち、家族全員でソフィアを抱きしめました。
胸に角のお守りを抱くソフィアを、包み込むようにしてわたくし達は。
彼女の泣き声が止むまで、あの可愛らしい笑顔が戻ってくるまで、ずっとずっと……彼女を抱きしめていたのでした。
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