かつての同胞を偲びて



 ――――懐かしい、夢を観た。

 もはや十七年以上も昔の、己がまだ【聖女】であった日々の夢を。【聖女】となった日の夢を。



「メイナード神父様……シスター・アドリアーネ。お別れの後、お二人がどうなったのかだけが心残りでした。わたくしのお手紙は、届いていたのでしょうか。孤児院への寄付金は、ちゃんとお手元に届けられていたのでしょうか……」



 魔王を生かし、聖女であるおのれの地位や功績を棒に振ったことへの後悔は、微塵も無い。

 たとえ国から反逆者とそしられようとも、教団から堕落したと罵られようとも。自身の手柄をかつての仲間達に奪われようとも、大陸中に自分の手配書が貼り出されようとも。


 しかし唯一、顔も知らぬ両親に代わり自分を慈しみ、愛し育ててくれた二人の身の上だけが、気掛かりでした。



「眠れないのか、エルジーンよ」


「ダルタフォレス……」



 未だ暁も遠い早朝とも言えない時間に起き出したわたくしの背中に、かつて戦時中には敵対していた魔族の長であるダルタフォレスが、声を掛けてきます。

 象徴たる角を失い、同胞たる魔族達を退け、ただ一人で人界に残った彼は……すっかりと人族としての生活に馴染みましたね。王族らしくなく村人と肩を組み、貴人らしくなく狩猟や採取に精を出し……まるで普通の、ごく普通の家庭の父親のようです。


 王国や教団の目から隠れて暮らし始めてから、早十七年。わたくしの白髪や真紅の瞳、そして魔族である彼の紫色の髪もそれほど気にされなくなってきています。

 戦争の爪痕も新たに建てられた建物などに徐々に覆い隠され、悲しみをつぐんでいるだけの人も中には居るでしょうが、人々の多くは悲しい過去を忘れて、未来を見て歩いているように感じます。


 今ならば、あるいは……



「……過去を、懐かしく思うか?」



 ふわりと、考え事に没頭していたわたくしの肩に、ダルタフォレスが毛布を掛けながら声を掛けてきました。

 見上げるとそこには、戦場で出会ってから何ひとつ変わらない、精悍で整ったダルタフォレスの顔があります。その顔は、わたくしを案じているようでした。


 そんな彼に対しわたくしは、『はい』とも『いいえ』ともはっきりと言えない、なんとも複雑な心境でいました。


 既に過去に捨て去ってきたはずの同胞はらから達。

 わたくしの指名手配を気にして、終戦当時はダルタフォレスが使い魔を放ち、度々情勢を探ってくれてはいましたが……



「懐かしいのか、そうでないのか。よく分からないというのが正直な気持ちです。わたくしにとって過去を捨て去ることは必要なことでしたし、それについての後悔もありません。ですがこうして、あの当時に身籠った我が子が立派に成長した今……皆はどうしているのか、あの当時肩を並べ苦楽を共にした彼らが何をしているのか……気にはなってしまっています」



 そうして彼が使い魔を用いてくれたおかげで、わたくしの第二の父母である神父様とシスターの訃報も知ることができました。身罷みまかられた時に近くに居られなかったことは悲しくも思いますが、世間の目を欺いて隠れている身からしたら、実家とも言えるあの孤児院に近付くことが難しいということは重々理解できていました。

 せいぜいが、あの孤児院の柱であったお二人を亡くした後も苦労が少ないよう、匿名で仕送りを続けることしかできなかったということも分かっています。



其方そなたおとしめ、名誉を辱め誇りをけがした者達であってもか?」


「ええ。たとえ今がどうであれ、わたくしの大切な仲間であったという事実は変わりませんから」



 かつての戦友達に近付くなど、もってのほかでした。彼らにとっては、わたくしが生存していない方が都合が良いのですから。生死不明の状態であってもわたくしを指名手配したのは、彼らが行った印象操作や情報操作の破綻を防ぐためでもあったのですからね。

 ですが、あれから十七年も経った現在いまであれば――――



「其方が望むのであれば、今一度使い魔を飛ばそう。指名手配も解かれた今、彼の者らも警戒を緩めているはずだ」


「手数を掛けてしまい、申し訳ありません。お願いできますか?」


「他ならぬ妻の頼みだ、何をいとうことがあろうか。しかしまだ朝は遠いゆえ、今はもう少し休もう。近い内に、其方の気掛かりは払拭されよう」


「……ありがとうございます、ダルタフォレス。よろしくお願いします」


「うむ、任せておけ」



 決別した過去と向き合って、何がしたいのかは分かりません。

 彼らが何をしていたとしても、わたくしが関わることはもはや無いことも分かっています。


 ですがわたくしの過去に行った選択によって、何がどう変わったのか。

 それだけはちゃんと知らなくてはならない、と。わたくしはそう思いながら、優しい旦那様と共に寝室へと戻ったのでした。





 ◇





 私の魔力で産み出した使い魔達を放って、一週間ほど。

 人の世に混ざっても違和感を抱かれにくい獣や虫などに変化させたそれらから、続々と情報が集まってきた。


 クローネンディア王国の王都へと忍び込ませた者達、そしてエルジーンの育った孤児院がある辺境の街へと向かわせた者達。それぞれの持ち帰った情報を整理し、どこまでも慈悲深い我が最愛の妻へと報告する。



「まずはあの似非エセ【勇者】だが……」


「……ふふっ」



 む、なんだエルジーン。何が可笑しいのだ?

 私の出鼻を挫くようにして吹き出した彼女へ、怪訝な思いで視線をやると……



「ふふ……、ごめんなさいダルタフォレス。ですが十七年も経っているというのに、貴方はまだ彼のことがお嫌いなのですね?」



 と、まるで聞き分けのない子にするような顔で、そう可笑しそうに笑うのだ。

 さすがにそれは得心がいかんぞ、エルジーンよ?



「私が奴を気に入るわけがなかろう。それよりもちゃんと聞くのだ。茶化すのなら教えぬぞ?」


「ふふふっ。ええ、ごめんなさい。お願いします」


「まったく……」



 溜息をひとつこぼしてから、改めて調べ上げたことを妻に伝えるために、私は口を開く。



「【勇者】ライオット・フォン・クローネンディアは、立太子を経てから順当に王位を継いだようだ。善くもなく悪くもなく、そこそこ無難に国政を務め上げているようだな。まあ、元々戦闘ばかりにかまけていたせいもあってか、宰相の小言から逃れるのに必死、といった感じだ」


「武に偏ったお方でしたからね。戦中の指揮のあれこれも、こちらで立案したものを布告するばかりでしたから」


「それが分かっていて、よくもまあ王位を継がせたものだな」


「貴族の方々にとっても、御しやすいと思われたのでしょうね」


「都合の良い傀儡かいらいというわけか。まあ、まつりごと自体は宰相や大臣らが無難に務めているようだ」



 時期が時期だったために、いくさにかまけて勉学を疎かにしていたのだろうな。武勲など我ら魔族でもなければ、地位を得るための箔付けにしかならないというのに。そういった先見の明も足りぬ分際で、よくも【勇者】などと名乗れるものだ。

 若干呆れた様子のエルジーンも、私と似たようなことを考えているようだな。その様に少しばかり溜飲が下がった思いを抱いたのは、きっと気のせいではあるまい。



「次は【剣聖】マーガレット・ケイネスベルクだな。いや、マーガレット・エルム・クローネンディア王妃か」


「彼女はライオット殿下……ライオット陛下とご成婚なされたのでしたね」


「うむ。まあ……あの者も武門の出ゆえか、多々問題があったようだ」


「と、言いますと……?」



 心なしか楽しんでいるような、やはり懐かしんでいるのか目を細めた妻が、弾んだ声で尋ねてくる。

 エルジーンよ……其方やはり、彼奴きゃつ等に少しは思うところがあったのではないか……?



「気質であろうな。どうにも王妃の座にじっとしておれぬようだ。飾りとなり政治の駒となるを良しとせず、やれ軍務を預けよだの、腕が鈍るなどと言っては剣を手放さないようだ。世継ぎを設けるための伽も上手くいかず、第二妃に実権も寵愛も奪われている」


「おやまあ……」


「まあ、それを許容し公言までしておるようだから、周囲にも文句は無いようだがな。元々王子の権威固めのための婚姻であったようだし、彼女にとっては些末事なのだろう」


「マーガレット様らしいですね。そもそも武に生きる彼女を王妃に据えること自体が間違いでしょうに。彼女も本音では、お姫様よりも将軍になりたかったのではないですか?」


「そうやもしれぬな」



 そもそもエルジーンが居なくなりさえしなければ、そうなっていたはずだ。連合を牽引した【勇者】と【聖女】の婚姻であればどこからも不満は無かったであろうし、戦争終結前に〝エペトフォニソカ〟の特爵位を拝したエルジーンの素養であれば、王妃の政務も滞りなく務められたであろうからな。

 そう考えるだけで私としては腹に据えかねるが……彼女の有能さは戦場以外の場でも十二分に活かせたであろうことには、疑いの持ちようもない。


 王に勧められれば断ることもできなかったであろうマーガレットを気の毒に思わないこともないが、エルジーンを侮辱し排した奴ばらめ等の自業自得でもある。【剣聖】マーガレットには、剣を振るうことができているだけでも良しとしてもらわねばな。



「さて、あとは【賢者】の小僧か……」


「またそのように……。貴方は戦時中から彼のことを嫌っていましたね」


「嫌いもしようものだ。ただ人よりも多少魔法が得手であるからといって、なぜそれで〝賢き者〟などと称されるのだ。そんなことを言い出したら、我ら魔族の大半は賢者であろう?」


「まあ、軍略を練るわけでもありませんでしたからね、彼は。そういう意味では、ライオット様とは馬が合うようでしたが」



 まったくだ。知恵を搾ろうものならばまだ評価もしようが、エルジーンの結界に護られた安全な後方で、長々と詠唱をしてはそこそこの魔法を放つだけであったというのに。

 アルネティウス・ヴァレンタイン……今は【賢者】アルネティウス・フォン・ヴァレンタイン特爵となっている奴は、エルジーンの失踪で空位となった特爵位を正式に授かり、宮廷魔法士から一躍貴族へと取り立てられた。かと言って特爵位は褒賞の意味合いが強く、特段権力が付随しているわけでもない。だというのに――――



「まあ〝有頂天〟というのは、彼奴めのためにあるような言葉だな。別に領地を得たわけでも権力を有したわけでもあるまいに、貴族社会で大きな顔をしているようだ」


「まあまあ……!」


「既存の貴族達との間には軋轢が生まれ、かつての同僚である宮廷魔法士達からも煙たがられている。本分であったはずの魔法研究も、今では全く行っていないようだ。地位を得て堕落する者の典型だな」


「呆れたものですね……。共に居た頃にも、何度もお諫めしたはずですのに」


「それも気に食わなかったのであろう。自分にすり寄り、甘言を口にする者とばかり付き合っているようだぞ。どうやら借金までこさえているらしい」


「【賢者】の名が泣きますね。先王陛下はどうしているのですか?」



 エルジーンも、【賢者】の小僧のことはあまり良くは思っていないようだ。さもあらん、彼奴めは戦時中から尊大な態度を取っていたからな。

 己自身も叩き上げであろうに、当時から【聖女】たるエルジーンを見下していたのだというから、呆れるより他は無いな。


 そして、先王……かつて人類連合軍の総指揮を担っていた、クローネンディア元国王か。



「あ奴は……随分と擦り減っていたようだな。かつての戦の折に揮っていた辣腕ももはや振るわず、其方の指名手配を解くと宣言して早々に、楽隠居と洒落込んだらしい。恐らくはそこまでが、己の役割だという考えであろうな」


「わたくしを王都に招聘したのも、特爵位を授けて下さったのも、その判断は先王陛下が下されましたからね。ご壮健でしたか?」


「今は前王妃と共に北部の王領で穏やかに暮らしているようだ。もはや政務に携わる気は無いと見えるな。肩の荷が下りた心持ちなのであろう。というか、其方も人が好すぎぬか? 彼奴めも其方の人生を狂わせた一人であろうに……」


「先王陛下に対しては、わたくしは何の不満も持っていませんよ。あのお方は善政を尽くし、連合の皆のために奔走されていましたしね。戦時下でのあのお方の臨機応変な策謀こそ、後世に語り継がれるべき功績でしょう」


「……連合を結成し指揮を執り、戦況によって千変万化の策を練る。確かにあの者さえ居なければ、とっくの昔に人界は魔族の支配下だったであろうな」



 世に名にし負う英雄共よりも、よほどあ奴の方が英雄らしかったのは事実だ。裏方ではあったが、人類の勝利に誰が貢献したかと問われれば、私ですらも、エルジーンに次いで彼奴の名を出すであろうな。


 そして最後に。



「最後に朗報だ、エルジーンよ。其方の育った孤児院だが、其方が送った仕送りは当時、やはりというか……酷い中抜きや横領に遭っていたらしい。それを憂いて是正したというのも、その先王だという話だ。教団は良い顔をしなかったらしいが、当時の送金記録から差額を割り出し、王の私財から横領分まで賄ったそうだぞ」


「そうでしょうね。わたくしの出したお手紙も、きっと届いてはいなかったのでしょう?」


「ああ。だがそれも残存する物は皆集められ、其方と同時期にあの孤児院に居た者の手に渡されたらしい。大層喜ばれたそうだ」


「…………ふぅ」



 溜息も出ようものだな。

 教会への寄付を横領するなど、当時の王宮にそのような者が居たことが知られれば、それこそ蜂の巣を突いたような騒ぎになったであろう。


 それを未然に防ぐどころか、私財を投げ打って補填までするとは。

 息子のライオットなどに王位を継がせなくとも、死するまで政務に携わっておれば良いのにな。



「先王陛下も、よほどご心労が溜まっておいでだったのでしょう。あやまちを正して下さっただけでも、わたくしにとっては何よりも嬉しいことです」


「惜しむらくは、次代が育っていないことか。まあ、もはやそこまで面倒見きれんというのが先王の本心であろうな」


「ふふっ、そうかもしれませんね」



 心のもやが晴れたのか。すっきりしたとでも言いたげな笑顔で、そう言ってのけるエルジーン。

 王国の行く末に未練が無いというのは、恐らくは本心なのであろう。彼女の中ではもはや、王国のかつての戦友達も過去の人物なのであろう。


 それを非情などとは、口が裂けても言うまい。

 なぜならエルジーンは……かつて【暁の聖女】と呼ばれた彼女は、王国からも教団からも裏切り者と誹られながらも、今なおこの世界のために生きているのだから。


 無論私からしてみれば、そのような恥知らずの国や教団がどうなろうと、知ったことではないがな。


 今は、愛すべき家族――セロとソフィアのために。

 そして二人を取り巻く世界が良くなるために。


 私とエルジーンは過去への区切りを着け、穏やかに笑ったのであった。




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