乙女が世界に見い出された日



 その赤子は、絹のような白い髪をしていた。

 瞳は燃えるような、紅玉ルビーと見紛うほどの真紅色で、粗末なおくるみに巻かれて、手編みであろう籠に入れられて、メイジェルフォニア教団の支部である教会の門前に打ち捨てられていた。


 ところはクローネンディア王国の辺境。

 魔族との戦争の前線に位置するような、過酷な地域であった。


 門扉が閉ざされていたにもかかわらず、その赤子の鳴き声は良く響いた。



「おやおや、随分と元気な赤ん坊だねぇ」


「暖かい季節とはいえ、この声のおかげで気付けて良かったですね。先祖返りかしら、綺麗な白髪にあかい瞳だこと」


「まさに伝え聞く女神様にそっくりな容姿だねぇ。これも主のおぼし召しかな」


「戦争のせいとはいえ、赤子には何の罪も無いというのに。それにしても可愛い女の子ですね。将来は美人になりそうです」



 特異な見た目を気味悪がられたのだろうか。そうして捨てられていた赤子は、その教会の神父とシスターに拾われた。


 併設していた孤児院で身体を丁寧に拭われ、近所に住む乳の出の良い女性に母乳を分けてもらい。

 神父であるメイナードと、修道女シスターであるアドリアーネの二人によって名を与えられ、慈しんで育てられた。


 その赤子には、エルジーンという名が与えられた。





 ◇





「エルジーン。私達は托鉢たくはつに行ってくるから、子供達を頼んだよ?」


「はい、メイナード神父様。シスター・アドリアーネ。お気を付けて」


「皆さんも、エルジーンお姉さんの言うことをちゃんと聞くのですよ?」


「「「はーい! いってらっしゃい神父様、シスター・アドリアーネ!」」」



 拾われた赤子――エルジーンは、貧しく過酷な環境にも負けずにすくすくと育ち、今では七つとなり、孤児院の子供達の中でも年長となっていた。

 先に居た子や同期の子供達は里親に引き取られ、または独立したり奉公に出たりして孤児院を去って行ったが、彼女はその白髪や紅い眼といった見た目のせいか貰い手も付かず、神父やシスターの手伝いをして過ごしていた。


 幸いにも神父やシスター、そして教会の手伝い達は皆人柄が良く、子供達にも分け隔てなく接しており、孤児達は貧しいながらも愛情深く保護され育てられていた。

 酷い所だと人買いと袖の下を贈り合い、子供達を食い物にしている孤児院もあるというのは、メイナード神父がエルジーンに語って聞かせた話である。



「エルねえちゃんあそぼー!!」


「はいはい。何をして遊びますか?」


「おままごとー!」


「えー、きのうもやったじゃん! おにごっこがいい!!」


「喧嘩はいけませんよ。それなら順番にやりましょうか。まずは鬼ごっこで、疲れたらおままごとにしましょう」


「「「はーい!」」」



 間近で大人達を見、手伝いをして育った影響か、七歳の少女とは思えない丁寧な言葉遣いをするエルジーン。子供達もシスター・アドリアーネを母と慕っているおかげか、それとそっくりな話し方をするエルジーンの言うことは良く聞いていた。


 そうして大人達に混ざり、子供達の面倒を見ながら、エルジーンは育っていった。


 朝は神父やシスターと共に日の出前に起きて礼拝をし、教会や孤児院の清掃や洗濯を率先して行っていた。日中は子供達の相手をして遊びに付き合い、読み書きを覚えてからは経典や寄贈された絵本を読んで聞かせた。

 母体である教団の認可は受けずとも、その行いは立派な一人のシスターのようで、近所でも飛び抜けて賢い子であると評判であった。


 エルジーンは、この教会と孤児院が大好きであった。

 自分を捨てた顔も知らない両親などよりも、神父とシスターを父母と慕った。血は繋がっていなくとも、幼い弟妹ていまい達が可愛いくて仕方がなかった。


 ずっとここで平和に暮らしていたいと、そう願っていた。


 しかし――――





「開けてくれ! 誰か居ないのか!? 助けてくれッ!!」



 もうすぐ八歳になろうとしていたエルジーンが、いつものように孤児院の留守を任されていたある日。

 教会の門を乱暴に叩く音に慌てて表に出て行った彼女は、衝撃に目を見開いた。


 兵士の格好をした大勢の男達が、教会の前に溢れかえっていたのだ。それも皆一様に負傷しており、酷い者だと片腕や足先を失っている者まで居た。



「おい娘、神父は!? シスターでもいい! 誰か治療ができる神官は居ないのか!?」


「し、神父様もシスターも今は留守にしているのです……っ! とにかく、建物の中に入ってください!」



 メイジェルフォニア教団の神官は皆、神聖術の素養を持っている。神聖術とは単なる魔法とは違い、彼らの主神たる〝女神メイジェルフォニア〟を信仰し祈りを捧げることで神の権能を一部借り受け、奇跡を起こす術である。神聖術を行使できる神官はいずれも教会を任されており、女神の救いを求める者へその癒しを与えることも、大切な務めの一つであった。中には巡礼の旅の道々で、修行として人助けをする者も居た。

 そんな教会にはこうして時折、怪我人が癒しを求めて訪れる。そのような怪我人から喜捨を受け取り、治療を施すのだ。


 しかし八年近くをこの教会で過ごしてきたエルジーンにとっても、このように大量の怪我人が……ましてや武装した兵士が訪れるなど、初めてのことであった。

 ざっと数えて、三十人ほど。エルジーンは混乱する頭を必死に働かせ、自分の次に年長である弟に人数分のタオルやシーツを用意するよう指示を飛ばす。そして自身は厨房へと駆け込み、何事かと騒いでいる手伝いの大人に、大量にお湯を沸かすよう頼んだ。


 それほど大きくない教会の礼拝堂は、怪我人の呻き声と血の匂いで満たされていた。

 エルジーンは比較的軽傷と見受けられる兵士の元へ駆け寄った。



「教えてください! これほどの怪我人なんて……一体何があったのですか!?」


「……国境の防衛線が破られた。何人も仲間が死んだ。俺たちは、なんとかここまで逃げて来たんだ……」


「まさか……、敵前逃亡したのですか!? 追っ手は!? まさかここまで引き連れて来たのではないでしょうね!?」


「追っ手はちゃんと撒いた! …………はずだ……! っていうかなんだお前は!? ガキのくせに偉そうに!! 俺たちは死ぬ思いで……死にたくなくて……ッ!!」



 死の恐怖が甦ったのか、言葉に詰まる兵士。身体を震わせ、己を殺そうとした敵を思い浮かべたのか、その目尻には涙まで浮かべている。

 エルジーンはこれ以上は聞き出せないと判断し、弟が運んできたタオルを一枚取ると、そっとその兵士の肩に掛けて口を開く。



「まずは身体を休めてください。神父様達も、夕方には戻られるはずです。順番にお湯をお持ちしますから」


「…………すまん……っ」



 それは敗戦を喫し逃亡したことを詫びたのか。それとも彼女のような少女に口調を荒らげたことを悪いと思ったのか。しかしエルジーンは深くは聞かず、怪我人の状態を把握するために即座に動き出した。


 訪れる人に治療を施すさまは、神父に付き添って幾度となく目にしてきた。その経験を懸命に思い出しながら、出血箇所を清潔な布で押さえさせ、折れた骨は周りの軽傷の者と協力して伸ばさせた。古い椅子を壊してその脚を当て木の代わりにしたり、とにかく神父とシスターが帰ってくるまでの間をたせようと、必死に走り回った。


 それと同時にエルジーンは、頭の中で最悪の事態を思い描く。


 破られた国境線。

 逃げ出した兵士達。

 動向の分からない〝敵〟。


 クローネンディア王国は……否、人類は。〝人界〟は。

 人類四種族が住むこの大陸は今、遠く海の彼方にある〝魔界〟から攻め込んできた〝敵〟――魔族によって脅かされているのだ。


 俗に人魔大戦と呼ばれるこの戦役は、もう何年も続いていた。

 世界を恐怖と混沌に陥れた【凶乱の魔王】ダルタフォレス・アブソリュースの名は瞬く間に人界に拡がり、その暴威と絶望は限り無く伝播していった。


 この兵士達が戦っていた〝敵〟――すなわち魔族が、もしも追って来ていたらどうするか。

 意を決したエルジーンは、教会の手伝い達に集まるよう声を掛けた。



「女性の方は、子供達を連れて避難してください。町長様の御屋敷か、できればもっと遠くまで。安全なところまで逃げてください。男性の方で、残っても良いという人はわたしの手伝いをお願いします。神父様が帰られるまで、怪我人の彼らを守れるのはわたし達だけですから」


「バカ言ってんじゃないよエルジーン! あんたも逃げるんだよ!」


「そうだぜエルジーン! アイツら逃亡兵なんだろ? なんだってそんなヤツらのために、お前がそこまでしなきゃいけないんだ!」



 口々に、エルジーンも連れて避難をしようと口にする大人達。

 しかしエルジーンはそんな大人達へと、怒るでもなく呆れるでもなく、あくまで冷静に……冷静を装って語り掛ける。



「わたしも、女神様に救われました。この教会で神父様やシスター、そしてあなた達と出会えたことは、わたしにとって何よりの救いでした。それを女神様に感謝しなかった日はありません。あの方達も、その救いを求めてここの門を叩いたのです。女神様に救われたわたしが、その彼らを拒むことはできません」



 八歳の子供とは思えないその物言いに、迫力に。大人達はそれ以上何も言えずに、言われた通りに動き出した。そんな彼らの好意や心配りを無下にしたことを胸中で詫びながら、それでもエルジーンは躊躇うことなく、怪我人達の元へと戻っていったのだった。



「気をしっかり持ってください! 大丈夫です。神父様が戻られれば、必ず助かりますから!」



 すべき差配を済ませた後の教会の中は、野戦病院の様相を呈していた。

 あちこちから上がる呻き声や泣き声。苦悶の声や恨み言、泣き言。戦場の地獄を思い出し叫ぶ者も居れば、故郷を想い嗚咽する者も居た。


 そんな中でエルジーンは、懸命に声を掛け続けた。拙いながらも応急処置を施し、涙を流す者の話を聴き、恐怖や痛みで叫ぶ者を宥めて回った。

 しかし、そんな彼女の胸を埋め尽くしたのは……無力感であった。



(神父様さえ居てくだされば……! わたしでは彼らに、何もすることができないのでしょうか……?)



 残った手伝いの男衆も、良く働いてくれていた。子供を避難させてから舞い戻った女達も居た。近隣住人に声を掛け、応援を連れて来てくれた者も居た。

 そのような懸命な看護、介護を施しはしたがしかし、肝心の神官であるメイナード神父が戻る前に――――



「こわいよ……かあさん…………」


「諦めてはダメです! きっと治りますから!! だから頑張ってください……っ!!」



 腕を失い、血を流し過ぎた一人の青年が、泣きながら息を引き取った。

 ますます胸を埋める、絞めつける無力感。諦観。一人が落命したことで周囲に蔓延する絶望感――――



「……ッ!! どうか! 女神メイジェルフォニア様、どうか彼らをお救いください!!」



 エルジーンは叫んだ。自身も涙を流し、目の前で失った命を嘆き、自らを救ってくれたと信じる神へと嘆願した。


 そして次の瞬間――――その願いは聞き届け





 その日、教会へと戻ったメイナード神父とシスター・アドリアーネが目にした光景は、まるで宗教画のようであった。

 たった八歳の娘が神々しい神聖術の光を放ち、それにすがるようにして跪いている武装した男達。見れば負傷の跡だと分かる衣類の破けた様子や損壊した装備から、この子が神聖術に目覚め、奇跡を起こしたのだと知れた。


 紅い瞳で、慈しみ深く微笑んで癒しを施しているその様は、まさに経典に記された女神の姿そのものであった。



「女神様の言葉を、たまわりました」



 後にそうメイナード神父に語ったエルジーンの姿は、八歳とは思えないほどに大人びていた。

 その言葉によって神託を受けた【聖女】になったのだと確信した神父は、教団の上層部へと伺いを立てた。


 暗雲を掻き消し差し込む暁の光。そうあれかしと、【暁の聖女】と号されたエルジーンの所属は教団本部へと移り、そこから長く苦しい訓練が始まったのだった。


 そして十三の、未だ成人を迎えてもいないあくる日――――



「メイナード神父様、シスター・アドリアーネ。わたくしはこれより戦地へと赴き、連合軍の【聖女】としてのお役目に就くことになりました」


「それは……っ」


「そんな……! まだ成人もしていないというのにですか!?」



 育った孤児院と教会へと五年ぶりに訪れたエルジーンは、第二の父母である二人にそう別れを告げた。


 神父は己の選択を懺悔した。あの時に上層部に報告しなければ、このような子供が戦場に行くことはなかったと。

 シスターは嘆き悲しんだ。まだ子供であるエルジーンに、女神はどうしてこのような試練を与えたもうたのだと。


 そんな二人を抱擁して、エルジーンは微笑んだわらった



「何も無償の奉仕という訳ではありません。戦果に見合った報酬も頂けますし、きっと仕送りをします。そしてお手紙も書きます。ですからお二人はここで、わたくしの父母として、家として在って下さい。わたくしは、それだけで頑張れます」



 別れの抱擁を交わし合った二人と一人。

 そうして自身の第二の家と両親、その双方と別れを告げたエルジーンは、神託を胸に前を向き、戦場を目指したのであった。


 この五年後――――



「最後の四天王が倒れた今、勝機は我らにある! 明日の総攻撃に備えしっかりと休息をとるように! 夜番の兵達は努々ゆめゆめ油断すまいぞ!!」



 人類連合軍は躍進を続け、ついには魔王ダルタフォレスの牙城へと迫り、包囲を成功させていた。

 連合を代表して【勇者】ライオット・フォン・クローネンディア王子の号令の下、全軍が魔王城を囲んだままで、僅かな休息の時を過ごしていた。


 そうして。

 今や【暁の聖女】として王子と共に連合軍を牽引していたエルジーンもまた、自身に用意された天幕の中で、束の間の休息を堪能していた。


 魔王によって攫われるなどとは、夢にも思わずに――――




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