人魔戦後歴十八年 世界の天秤たる兄妹と、少しの心境の変化



 セロが十七歳、そしてその妹のソフィアが七歳となった、とある暑い夏の日。

 成長著しいセロは父であるダルタフォレスとの狩りに精を出し、妹のソフィアは長閑な村の生粋の子供として伸び伸びと、しかし少々お転婆とも言えるくらいに、元気いっぱいに育っています。


 父の剣の才能を色濃く受け継いだセロとは違い、妹のソフィアは母であるわたくしに似て、光魔法や神聖術など、防御に秀でた魔法への適性が高いようでした。かと言って他の魔法が使えないということもなく、満遍なく網羅する適性の中で、取り分けその二つとの相性が良いようです。



「お兄ちゃんまだ帰って来ないのかなぁ~」


「ソフィアは本当にお兄ちゃんが大好きなのですね。父様がまたヤキモチを妬きますよ?」


「だってパパのお勉強大変なんだもーん。お兄ちゃんは優しく教えてくれるから大好き!」


「あらあら……」



 もしもダルタフォレスが聞いていたら落ち込んでしまいそうですね。しかしそれを言った当の本人はどこ吹く風といった様子で、手の平に光球を生み出してはそれを周囲に浮かべ、器用に回転させています。

 七つという幼さにもかかわらず、その魔法の才能はわたくしにも迫るものがあるソフィア。さすがにまだ魔力量や応用の術などは遠く及びませんが、それでもわたくしが八つの頃に泣きながら訓練をしていたことを思えば、驚異的な才の持ち主であると言えます。


 魔法使いや治癒士といった、後方支援が主な役柄であろうと、戦場では最低限の自衛の術が求められます。特に長期戦になればなるほど、魔法など魔力に頼らない近接戦闘術などは必須です。

 ゆえに、ダルタフォレスからは主にそういったものを教わっているのですが……男の子セロと違い女の子ソフィア相手の優しい教え方がなかなかできず、苦戦しているようです。



「そのようなことを言っては、父様が悲しんでしまいますよ? 女の子との関りに慣れていないのですから、大目に見てあげましょうね」


「そうなのー? パパってカッコいいからモテるんじゃないの? 村のおばちゃんたち、いつもキャーキャー言ってるよ?」


「……ちょっとそのお話、詳しく教えてもらえますか?」



 キャーキャーとか、モテるとか……。どこでそんな言葉を覚えてきたのでしょうか。

 まあ、人口も取り立てて多いわけではない田舎の村ですから、噂や評判が広まりやすいのも分かりますがね。それにしても、わたくしはそのようなお話は一切耳にしたことがないのですが。


 見るとソフィアは、『しまった』というような表情で視線を逸らしています。

 ……大方、娯楽に飢えた奥様方が村の男性を評していたのでしょうけど、そのようなお話にまだ七つのソフィアが混ざっていたことの方が衝撃です。こういうのを、〝マセている〟と言うのでしょうね。



「な、なんでもないよ……? おばちゃんたちが『ソフィアちゃんのパパが一番イケメンね!』って言ってただけだもん!」


「そうですか……。他にも何か仰っていませんでしたか?」


「んっと……『ジーンさんが羨ましいわぁ。ソフィアちゃん、ウチのパパと交換してくれないかしら?』って……あっ」


「へぇ……」



 この子のこの口の軽さは、少し治した方が良さそうですね。というか奥様方もアレですね。当の娘になんてことを仰っているのですか。ちょっとこの後、奥様方の溜まり場にお邪魔した方が良いかもしれませんね……。

 冗談であるとは分かってはいますが、とても七つの子供に聞かせるべきお話とは思えませんから。ええ、多分に嫉妬が混ざっていることなど、ありませんよ。ちょっとだけ胸が苦しいですが、きっとこれは妬いているわけではないと思います。



「ママ、ヤキモチ妬いた?」


「…………」



 本当に……わたくしとダルタフォレスの娘であるとは、とても信じられないほど情緒に富んだ子ですね。


 イタズラっぽい顔でわたくしを揶揄する娘に呆れると同時、ある種の尊敬を抱きます。そのお顔を観ていると、たとえ一杯食わされたとしても、悔しさも湧かないのですから不思議です。



「まったく。誰に似たのでしょうね、このおマセさんは?」


「うふふ~、ママに決まってるよ~。わたし、ママそっくりの美人さんっていつも言われてるんだから!」


「はいはい。ソフィアは綺麗ですよ」



 そんなやり取りをしていると、いつの間にか胸に抱いたモヤモヤが消えています。

 ……娘の言う通り、わたくしはヤキモチを妬いていたのでしょうか……? なんだか、こと色恋沙汰に関しては奥様方にも、それどころかこの幼い娘にも勝てそうにありませんね。


 こっそりと。

 娘に気付かれないように、女としての自信を失いかけたわたくしは、密かに溜息を吐いたのでした。




 

 ◇





「ほら! ソフィア行ったぞーー!」


「お兄ちゃんずるいよ! そんな力いっぱい投げたら取れないじゃないのー!!」



 父と共に出た狩りから帰ってきたセロが、妹のソフィアと玉投げをして遊んでいます。

 十二分に配慮して力加減をしてボールを投げているセロですが、未だ小さなソフィアにはそれでも勢いが強すぎたようで、取ろうとした手がボールを弾き、慌てて追い掛けて走っています。


 そんな兄妹が遊ぶ様子を微笑ましく見守りながら、わたくしは二人の父でありわたくしの夫であるダルタフォレスへと歩み寄ります。

 彼はちょうど獣の皮をなめし終えたらしく、使用した道具の手入れを始めたところでした。



「お疲れ様です、ダルタフォレス。お茶をどうぞ」


「おお、エルジーン。ありがとう」



 今回の狩猟の成果は、大きな雄鹿だったようですね。作業台に広げられた皮の傍らには、立派な一対の角が磨かれて、丁寧に置かれていました。

 狩った獲物の肉は一度村に納められ、後ほど村民の各家庭へと分配されます。そして素材である皮や角などは、その獲物を討ち取った者に権利が与えられるのです。それを町へ卸しに行く際に各々で売り払い、家庭の収入とするのが、この村での慣わしです。



「今回も狩りは成功だったようですね。セロの腕の程はいかがですか?」


「うむ、益々腕を上げているぞ。父であり師である私も鼻が高いというものだ。この雄鹿もセロが仕留めたのだ」


「それは素晴らしいですね。わたくしもセロを誇りに思います」


「ああ。村長も筋が良いと褒めていたぞ」



 わたくし達も大変お世話になった村長夫妻はもう他界しており、そのご子息も村を出ていたので、現在は彼らの次に長くこの村に住む、初老のご夫妻が村を取り仕切っています。

 初老とはいえまだ新村長も五十台の前半で、身体にも特に悪い所も無いので未だに現役で狩りに出ています。そんな彼から狩りの手管を伝えられたダルタフォレスは、その彼とは友人としてもお付き合いをさせていただいているそうです。


 魔族の……魔王であったダルタフォレスが、人間の平民と友誼を交わすなど。初めて聞いた時は随分驚いたものです。

 しかしそれとは別に、そうしてわたくしやセロ達家族のために市井に溶け込み、周囲と分け隔てなく交流する彼を、非常に好ましく、嬉しく思います。


 しかし、それはそれとして。



「時に旦那様?」


「む? どうしたのだエルジーン?」



 道具を一度作業台に戻し、わたくしから受け取ったお茶を啜り意識をこちらに向けながらも、その視線は優しく、ボールを投げ交わし合う兄妹を見詰めているダルタフォレス。そんな彼に。



「随分と、村の奥様方におモテになるのですね?」


「んぐっふッッ!!?? ゴフッ!? ゲホゲホ……っ!?」



 あらあら、タイミングが悪かったでしょうか。

 わたくしが投げ掛けた言葉にお茶を詰まらせ、ダルタフォレスは盛大にせ込んでしまいました。


 まあ、わざとですけど。



「んな、何を言っておるのだエルジーン……!?」


「あら、ソフィアから聞いただけですよ? なんでも、狩りから帰るといつも奥様方に囲まれてお話をされているのだとか」


「ま、待て待て……!? なぜソフィアがそのことを……はッ!?」


「あらあら、語るに落ちましたね、魔王ダルタフォレス?」


「いや待て、話せば分かる。やましい事は何も無いのだ。それどころかすり寄られても私はちゃんと丁重に身を引いてだな……」


「すり寄られもしているのですね?」


「待て、待て待て待て……ッ!?」



 おやおや、そんなに狼狽えてしまって、どうしたのですかダルタフォレス? 疚しい事など無いのでしょう? どうしてそんなに慌てているのでしょうね?


 どうもソフィアの隠し事もできず、嘘も吐けない性質は、父である彼の素養を受け継いでいるようです。

 わたくしの追及に冷汗をかきながら、必死に弁解の言葉を並べ立てるダルタフォレスを見ていると……ソフィアは見た目はわたくしに似ていても、中身は彼にそっくりな印象を受けますね。



「信じてほしい、エルジーン! 私にはそのようなつもりは全く無いのだ! ただ狩りや討伐の話をせがまれたので、それに応えて話をしていただけなのだ!」



 必死に弁明するダルタフォレス。そんな彼をわたくしは表情なく見詰めていましたが……



「ふっ、ふふふっ……!」



 駄目でした。こらえ切れずに吹き出してしまいました。

 そんなわたくしを見て、ダルタフォレスは目を丸くして、キョトンとした様子で固まっています。そして……



「エルジーンよ、其方そなた……」


「ふふふっ、ごめんなさいダルタフォレス。ソフィアから貴方が奥様方に人気があると聞かされたものですから、つい妬いてしまったのです。これはそんな気持ちにさせられたわたくしの、ちょっとした意趣返しですよ」



 わたくしの様子から揶揄からかわれたと悟ったのでしょう。彼からジトリとした視線を向けられて、呆れたような声で批難されてしまいました。

 ですが貴方も悪いのですからね? わたくしはいつも家の留守を守って待っているというのに、わたくしよりも先に村の奥様方にお土産話を語って聞かせているのですから。


 意趣返しが成功したことで、彼や奥様方に妬いていた――ええ。わたくしにも相応に、嫉妬するほどの彼への想いがあったのです――気持ちがスッと治まりました。

 バツが悪そうにしているダルタフォレスの手を取って、少しばかり強めに握って、そんな彼の体温を感じ取ります。



「神に身を捧げた聖女であったわたくしにも、それなりに女らしいところがあったみたいです。それに気付かせてくれたソフィアには、感謝しなくてはいけませんね」


「まったく心臓に悪い……。嫉妬とはいえ、私に対しそのような想いを抱いてくれたことは喜ばしいがな。だがエルジーンよ。戦争の最中に其方を見初めてから、私の最愛は其方だけ……エルジーンだけなのだぞ?」


「ええ、分かっています。自惚れでもなく、貴方がわたくしを好いて……愛し慈しんでくれていることは、充分に伝わっています。ですが嫉妬心とは、それくらいでは抑えられないものだったようですね」



 余人には……いえ、息子や娘にもこのような会話は、あまり聞かれたくないものですね。顔に熱が集まって、きっと今わたくしは酷く赤い顔をしていることでしょうし。



「ああーー! ママとパパがイチャイチャしてるー!!」


「こら! ソフィア、しぃーっ!!」



 …………聞かれてしまっていたようです。こちらを指差して、ソフィアがなんとも言えない顔をして、瞳を輝かせています。

 セロもセロで、顔を赤らめて慌ててソフィアを制していますが……チラチラとわたくし達を窺っています。



「旦那様……?」


「な、なんだ、どうしたエルジーン……?」



 慌てて握っていた彼の手を放して、表情を取り繕って平静を装いながら……。

 わたくしは、わたくしが嫉妬するほどに愛おしく想っている彼――ダルタフォレスへと声を掛けました。彼も気恥ずかしく思っているのか、その返事は上擦ってしどろもどろな感じでしたが。



「ソフィアの教育について、今夜ゆっくりとお話をしましょうか」


「むぅ……!? い、いや待てエルジーン!? それは言い掛かりだぞ!? 私とてあの子にあのようなことを教えた訳では……!?」


「本当でしょうか? わたくしの与り知らぬところで、旦那様は随分と世俗に順応しているようですし……」


「誤解だエルジーン!? 頼む、信じてくれ!!?」



 わたくし達の様子に不味まずいことをしたと思ったのか、ソフィアとセロがそそくさと逃げて行く姿が、視界の端に映っていました。




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