災禍の中 世界が己を見詰めた日
「あああぁああああぁあぁぁあああああぁああああぁぁあああーーーーッッ!!!!」
絶叫のような。
産声のような。
悲痛で雄々しくもあり、凄惨で猛々しくもあり。
小さな
「ギャウゥゥッ!?」
「グルルルルル……ッ!!」
先程までの狩りを楽しんでいたような様子とは打って変わり、セロとわたくし、そしてソフィアを囲むヒュージウルフ達は。恐れのような、脅威を窺うような慎重な様子で、散らばっていた仲間を集めてさらに包囲を厚くします。
村に侵入し生き残っているウルフが全て、この場に集結したようでした。
その数――――十一頭。
「ガアァァァッ!!!」
「セロッ!!」
セロのただならぬ様子に停止していた思考が、彼に襲いかかろうと地面を蹴ったウルフを見て現実に引き戻されました。慌てて注意を促すため大声を上げるも――――セロは虚ろな目をして、わたくしを見詰めていました。
「――――ない……」
何事か呟いたのでしょう。聴き取れはしませんでしたが、ぼそりと声を吐いた唇の、その動きに思わず意識を奪われます。その瞬間――――
「ギャインッ!!??」
上がったのは、今まさにセロに躍りかからんとしていたヒュージウルフの苦悶の声。
セロから発し伸ばされた魔力が実体と質量を得て、槍の穂先のように鋭く
苦痛を感じ上げた声はそのまま断末魔の叫びとなり、貫かれたウルフはその生命を終えました。
容赦もなく慈悲もないその攻撃により、ウルフの群れに動揺が走ったのを肌で感じます。
「セロ……あなたは――――ッ!?」
「――――さない……! ゆるさない……ッ!!」
鮮明になった息子の言葉は……怒りと憎しみに塗り潰されていました。朗らかで優しく、笑顔の可愛らしい……そんなセロが初めて見せる憤怒の表情と感情は、数多の戦場を渡り歩いたわたくしでも、思わず戦慄を覚えるほどのものでした。
警戒を露わにするヒュージウルフ達に、ゆらりと向き直るセロ。小さな身体からとめどなく溢れ出る魔力の奔流は、それ自体が重みを伴ってウルフ達を威圧しています。
このままではいけない。
そう直感的に悟ったわたくしは、激憤に駆られているセロを止めるべく声を掛けようとしました。しかし。
「セロっ、待っ――――」
「うああぁーーーーーーッッ!!!!」
わたくしの制止の声は間に合わず、堰の外れた怒りに翻弄されたセロが、逆に
未だ幼い少年とは思えないような踏み込みから、弾けるように飛び出したセロの身体。一直線に、獲物を食い殺す獣のように、一番距離の近かったウルフへと突き進みます。
しかし敵もさるもの。獣の本能からか、狙われたウルフは即座に身を翻してその突進から逃れようと動きを見せました――――が。
「キャウンッ!!」
駆けるセロから伸びた魔力が実体を持ち、鋭利な刃物のようにウルフ目掛けて斬りかかったのです。刃の付いた鞭のように振るわれた魔力は強靭な毛皮を斬り裂き、空中にウルフの悲鳴と鮮血を飛び散らせました。そして斬られた痛みで身を硬直させたウルフへと追いすがったセロは、手に持った父親の短剣でもってその喉を貫いたのです。
父であり師でもある、ダルタフォレスに伝えられた剣の
「よくも……よくも母様をッ!!」
「ガアアアアッッ!!」
「グルアァァァッッ!!」
荒れ狂うがままに躍動する小さな身体。千変万化する実体を持った魔力。そして我武者羅に振られる短剣の銀閃。ウルフに突貫しては剣を振るい、魔力を
際限なく魔力が高まっていき、次第に形状の変化だけでなく性質にまで変化が表れ始めました。戦場に流れる血の
セロの周囲に、火の粉が舞い散り始めました。
「燃えろォッ!!」
「ギャオオォォッッ!?」
舞い踊る火の粉は遂には炎となり、セロが間合いの外から振るったその腕に従って灼熱を
そして驚くべきことにセロは、放たれその身から離れた炎をすらも操り、さらに魔力を注ぎ込んでより巨大に、強大な業火へと昇華せしめたのです。
炎は際限なく膨れ上がり、拡がり。
登山口を塞ぐために建てられていた柵はおろか、周囲の家屋にまで火の手を伸ばし。
ヒュージウルフの群れを包囲してもなお、その高まり続ける魔力に呼応するかのように成長する猛烈な火焔。
「セロ、それ以上はいけません!! 気を静めなさいッ!!」
このまま暴走するがままに制御の限界を迎えてしまえば、この村の大半が焦土と化してしまう。それどころか山の木々にも引火して、未曽有の大災害が引き起こされてしまうでしょう。
我が子の潜在能力のあまりの強さに畏怖を抱く反面、なんとか炎を抑えるよう大声で呼び掛けます。ですが――――
「許さない! 許さないッ! 許さないッ!!」
セロは完全に我を忘れてしまっていました。もはやわたくしの声すら届かず、眼前で炎に巻かれ藻掻き苦しんでいるウルフ達をその目に映して、口の端を吊り上げて歪んだ笑みを浮かべていました。
このままでは本当に全てを失ってしまう。
セロの産まれたこの
そんな
「女神メイジェルフォニアの使徒、エルジーンの名において
なんとかセロに近付こうと、身を焦がすほどの熱波の中に足を踏み入れる。聖句を唱え胸に抱くソフィアに結界を張って守りながら、荒れ狂う魔力の渦中へと駆ける。
駆けながら結界を強固に編み上げ、拡げ、己の身を中心にして周囲の炎を包み込めるほどにまで巨大化させ。かつて戦場で揮った神聖術を全力で行使し、守りたいものを強く想い描く。
「其の守りは何者にも侵されず! 其の願いは何者にも汚されず!
魔力が急激に減るのを感じる。己の精神力と魔力を糧に、そして信仰を導にこの世の理へと干渉し神力を招来する。女神メイジェルフォニアに祈りを捧げ、その聖なる御業を現界せしめる。
魔力暴走の余波から
セロの、そしてわたくしの大切なものは、何一つとして失わせたりなどしませんッ!!
「燃え尽きろォォォォォッッ!!!!」
「【
セロの怒りが。わたくしの祈りが。
眩い光によって覆われ包み込まれ、拡散し……辺りを満たしたのでした――――
◇
「――――ン! ジーン!! 目を醒ますのだジーン!!」
「母様! 起きてよ母様ッ!!」
わたくしを呼ぶ声に。その必死な声に引き上げられるように、自身の意識が浮上していくのを感じる。
徐々に感覚が鮮明になっていき、身体の隅々まで意識が行き渡る。
「うぅ……ッ」
それと同時に駆け巡るのは、痛み。
激痛が全身隈なく暴れまわり、思わず
「ジーン、気が付いたか!? 目を開くのだジーン!!」
この声は……ダルタフォレス? 随分と焦った声音で、わたくしを呼び続けています。身体に添えられている温かく大きなこれは……彼の手でしょうか。
声に導かれるようにして、ゆっくりと
開いた視界に飛び込んできたのは、茜色をした空と、そこに浮かぶ赤く染まり流れ行く雲。青々と茂った木の枝と……そしてそれらよりもすぐ近くからわたくしを覗き込んでいる、大切な家族の顔でした。
「ここは……?」
「ジーン! よくぞ目覚めた! ここは村の大樹の下だ。怪我人をひと所に集めているのだ」
「母様ぁッ!!」
ダルタフォレスの安堵したような表情を、その声を聞きながら眺めていると……次いで胸に飛び込んでくる衝撃を感じました。
温かな体温。そして飛び付かれたわたくしの胸を濡らすのは……大切で愛おしい、我が息子でした。
それを確認したわたくしの意識も徐々に鮮明になり、先程までの出来事と現在が繋がり、ようやく今のこの状況を把握することができました。
「……んなさい! ごめんなさい母様っ!」
「セロ……」
その口から溢れるのは、懺悔の言葉。
涙と共に紡がれる謝罪の言葉に、思わずわたくしの胸まで痛みを覚えます。
「セロ。何故あのように、一人で勝手に戦おうとしたのですか?」
しかし、今はその痛みを敢えて無視します。迂闊に声を掛けてしまったわたくしにも落ち度はありましたが、それ以前に何故彼があのような無謀な行動に至ったのか、その真意を問い質さねばなりません。
「父様が居なくて……でも、母様とソフィアを守らなきゃって……! 父様の代わりに、僕が守らなきゃって思ったんだ……」
鼻をすすりながらのその告解。それは、とても尊く立派なことに思えました。叱るなどお門違いかもしれない、とも思いました。ですが……
「セロ……。強くて優しい、愛する息子。あなたは本当に心の温かな、良い子に育ってくれました。父の教えに従い、厳しい教練を続け、下手をすれば一介の大人よりもよほど力を持っているかもしれません」
親の贔屓目を差し引いても、事実セロはその辺りの冒険者並みの力を持っていると断言できます。わたくしが駆け付けるまでに数頭のヒュージウルフを打ち倒していた事からも、それは間違いありません。しかし。
義勇、義憤、蛮勇、無茶……。たとえどんな理由があったにせよ、この子はまだ、たった十一歳の子供なのですから。わたくしやダルタフォレスが守り導くべき、わたくし達の大切な子供なのです。
「セロ。今回は不運にも父様の留守中の出来事でした。そんな中でわたくし達を守ろうと行動に移ったその気持ちは、とても立派ですし嬉しく思います。しかしあなたは『許しを得るまでは実戦はしてはならない』という、父様との約束を破りましたね?」
「はい……ごめんなさい……」
「わたくしの結界が間に合ったから良かったものの、あのまま力を暴走させてしまったら、この村の被害はどれほどのものになったと思いますか?」
「…………」
賢いこの子であれば、そして我を忘れていたとはいえあの暴走を覚えているのであれば、きっとそれがもたらすであろう結果まで理解できるでしょう。俯き言葉に詰まるセロの様子からは、そうして正しく理解が及んだことが窺えました。
「セロ。とても強くて優しい、わたくしの愛する息子。あなたはまだ子供です。わたくしと父様の、守るべき息子です。今回あなたは、己の力がどれほど強大かを知ったと思います。その力は、ともすれば味方や愛する人達にも牙を剝いてしまうということも、理解できましたね?」
「はい、母様……」
「ならばこれからは、より一層鍛錬に励みましょう。あなたはあの比類なき力を、あまりに強大なあの力を制御し、そしていつ如何なる時でも冷静に行使できる精神を育まねばなりません」
「……はいっ」
下を向くセロの足元に、ポツリポツリと雫が落ちます。
恐ろしかったことでしょう。そして、悔しかったことでしょう。
ですがあなたは、本当に良く頑張りました。
「顔を上げなさい、わたくしの息子。理解ができたのなら、母はもう何も言いません。わたくしとソフィアのために戦ってくれて、そして母のために怒ってくれて、ありがとうございます」
「約束を破ったことは悪かったが……
「はい……っ!」
夕焼けに、未だ少し焦げ臭さが残るわたくし達の村に。
力を揮うことの意味を知った、わたくしとダルタフォレスの息子セロの返事が、力強く響いたのでした。
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