人魔戦後歴十二年 世界が目覚めた日



「ほら、ソフィア! くまさんのお人形さんだよー!」


「あーう、だうあ!」



 セロが十一歳、妹のソフィアがじきに一歳となる頃。

 今年も暖かな春を迎えたわたくし達の村は、活気に満ちていました。


 癒し手として活動してより負傷や病で亡くなる人は格段に減り、また夫であるダルタフォレスが精力的に狩りを行ったおかげで、村の周囲の危険が減ったためですね。

 狩猟の収穫もさることながら、作物被害も抑えられたことによって安心して子育てもできるようになり、辺境の寒村という評価も、そろそろ覆りそうです。


 村の若い男衆やダルタフォレスは、先日行った狩りの成果品を加工し、近くの町で買い取ってもらうために留守にしています。

 獣や魔物の皮や骨、そして肉など、村で消費しきれない物はこうしてお金に変えて、村の生産では賄えない物を購入してくるのです。


 そして村に残ったわたくしは、今日も村の守り神である大樹のたもとで、村の方々を相手に子供達を見守りながらのお勉強会をしていました。



「あーあ、くまさんの手を食べちゃダメだよソフィア!」


「あらあら」



 村の奥様方にも見守られ、お勉強にひと段落が着いた午後の暖かな陽だまりで。お兄ちゃんであるセロが、妹のソフィアとお人形で遊んであげていました。

 もうすっかりお兄ちゃんとしての貫禄も付いてきて、甲斐甲斐しく面倒を見るその姿に、自然とわたくしも笑顔が浮かぶのが分かります。


 わたくしの白髪とダルタフォレスの紫の髪。それを混ぜたような淡い紫髪の兄妹は、村の皆さんに愛されて、見守られてすくすくと成長していました。

 セロの時はちょうどこのくらいの頃に角が生えてきましたが、ソフィアにはまだその兆しは見られません。できれば兄の時と同じく、物心着く前に角を除去したいと思っていましたが……何事もそう上手くはいかないようですね。


 ……そういえば、冬を越えた初春の頃。

 今までに何かとお力添えをして下さった村長夫人が、天に召されました。


 あの快活でまるで太陽のようであり、母のようであった奥方様。村の相談役として、公私の隔たりなく皆に頼りにされていたあのお方は……最期の時まで笑みを絶やすことなく、『楽しい人生だった』と言い残して逝かれました。

 わたくしの手を取り、すっかり力の入らなくなってしまった両腕で抱きしめて下さいました。セロに兄の務めを全うするよう諭して下さり、ソフィアを抱いて祝福の口付けをそっと、その額に落として下さいました。



『最後にアンタの顔が見れて、本当に良かったよ。爺さんが待ってるからね、ソフィアが産まれた土産話を早く届けてやらないとね』



 そう言って、光栄にも看取らせていただいたわたくしの目の前で。微笑みを浮かべたまま目を閉じ、静かに息を引き取られた奥方様。その葬儀は、村を挙げて盛大に、三日三晩の間行われました。


 賑やかに、華やかに。

 楽しいことが大好きだった奥方様のために、村人総出でまるでお祭りのように行われた宴の中で、踊り歌い語った言葉は、きっと天に昇られた村長夫妻の元へと届いたことでしょう。



「あれ? ソフィア、どうしたの?」



 言うなればわたくしの第三の母とも言える、そんなお人の思い出を反芻していると、不思議そうなセロの声が聴こえてきました。

 回想を打ち切ってそちらを窺うと、セロに抱かれたソフィアが、なにやら小刻みに震えていました。



「母様、ソフィアの様子が!」


「ソフィア!? どうしたのですか!?」



 顔色を真っ青にし震えている娘の姿に、騒然となる大樹の広場。

 ソフィアのただならぬ様子にわたくしも動転してしまい、に気付くのに遅れてしまいました。



「魔物が出たぞぉーーーッ!!」



 村の奥、狩人達が山へと入る登り口の方角から突然響いたその声に、慌てて子供を抱いて家へと走る大人達。

 物見台に登った村人が、けたたましく半鐘を鳴らしています。


 わたくしは、完全に油断していました。


 癒し手としての能力はともかく、聖女としての結界を含む神聖術は隠して生活していたのもあります。ダルタフォレスによって有害な魔物や獣が狩られていたという、安心感もありました。

 しかし、いかな彼といえども全ての魔物や獣を駆逐する訳にはいかなかったのです。なぜならそれもまた、この村の人々の糧であったから。だというのに、このような事態も想定して然るべきだというのに、わたくしは安心しきり、当たり前に安全だと思い込んでいたのです。



「平和ボケが過ぎましたか……ッ!」



 多少の魔物であればわたくしでも充分に対処可能ですが、そのためには今まで隠してきた聖女の力を行使しなくてはいけません。よりにもよってダルタフォレスや狩人衆が不在である今、このような事態になってしまうとは。


 ですがわたくしの失態についてはさて置き、まずは子供達の安全を確保しなくてはいけませんね……!



「セロ! 急いで家へ帰りますよ!」



 混乱に陥った村の広場でソフィアを抱いたまま、そう息子に声を掛けます。

 ところが――――



「セロ……? セロ!? どこに行ったのです!?」



 先程まで近くに居たはずのセロが……わたくしの息子の姿が、見えなくなっていました。

 いったいなぜ、と考えを巡らす暇もなく、わたくしの胸中を、久方振りに感じる恐怖が覆い尽くしました。


 血の気が、一気に引いていくのを感じます。



「セロ!? どこですかセロッ!!?」



 周囲を見回しても、逃げる親子や悲鳴を上げる村人の姿のみ。わたくしの愛しいあの子の姿は、ようとして見付けることは叶いませんでした。



「あの子、まさか……!?」



 戦時中に常に感じていた、嫌な予感が胸を埋め尽くします。それと同時に自身の失態への、魔物という理不尽への、そして未だ未熟で軽率な息子への怒りが込み上げてきました。

 わたくしは逃げ惑う人達の流れとは逆方向へと、急ぎ駆け出しました。腕には未だ震えの治まらない、幼いソフィアを抱いたままで。





 この村のある山には、狼や猪や熊、そして稀に虎などの多くの猛獣が住み着いていました。他にもそれらが魔物化した魔獣や、大蛇や人型の魔物――ゴブリンやオーク、オーガなどですね――も、広く分散はしていましたが稀に見掛けられています。

 村の脅威となるその大半は夫と男衆によって狩られはしたものの、完全に駆逐しては山の生態系を狂わせてしまうため、節度をもって加減をしながら狩りを行っていました。


 しかし極稀に、空白地帯となった縄張りに他所から新たな魔物などが移動し、支配することがあります。

 恐らくは今回のこれも、そのような魔物の移動の影響なのでしょう。



「どきなさいッ!!」



 村の警戒網の内側に侵入した魔物は、狼が魔物化し巨大化した〝ヒュージウルフ〟の群れでした。わたくしや、それこそダルタフォレスにとっては大したことのない魔物ではありますが、それらは基本的には獣であった頃の習性を受け継ぎ、群れを成して狩りをするのです。

 十数頭のヒュージウルフが雪崩のように村に押し入り、大人の男よりもなお大きなその身体でもって、暴威を振るっています。


 もはや神聖術の隠匿など気にしてもいられず、突出してきた一頭を光の矢で射抜いて仕留める。村に居残った男性達も、少なくはありましたが弓や槍を構えて迎撃に乗り出してくれていました。


 しかし、セロの姿は未だに見付けることができません。



「セロ!? どこに居るのですか、セロッ!!」



 戦争が終わってからは滅多に張ることのなかった声を張り、四方八方を隈なく駆け回り、愛しい我が子の姿を探します。

 そうして村中を探し回って、残すは村の登山口のみとなり、息を切らせて駆け付けたわたくしの目に。登山口で村を背にしながら、数頭のヒュージウルフに囲まれているセロの姿が映りました。



「セロッ!!」



 ――――声を掛けるべきではなかった。彼の集中を乱してはならなかった。

 だというのに、冷静さを欠いたわたくしの口を衝いて、息子を呼ぶ大声が吐き出された。


 ゆっくりと、酷くゆっくりと感じるときの中で、セロがこちらを振り向きました。


 その手には、ダルタフォレスが予備として家に置いていた短剣を構えて。驚くべきことに、その足元には三頭の斬り伏せたらしい魔物の死骸もありました。

 ですが、一瞬の油断で。わたくしの声に集中と視線を切らしてしまったセロに向かって、一頭のヒュージウルフが飛びかかっていたのです。


 刻が、酷くゆっくりに感じました。


 振り返ったセロの驚きを浮かべた顔が、ハッキリと見て取れました。鋭い牙の並ぶあぎとから唾液を垂らし躍りかかる、ヒュージウルフの凶悪な顔すらも。

 わたくしは無我夢中で、必死になって足を動かしていました。



「――――ッッ!!」



 きっと、情けなく叫んでいたと思います。息が切れ動悸のする身体にさらに鞭を打ち、大切な我が子を助けたい一心で、彼とウルフの間に身体を滑り込ませました。


 背中に、鋭い熱を感じました――――



「かあ……さま……?」



 無心で駆け抜けた、セロを突き飛ばしたわたくしの耳朶を、息子の窺うような声が叩きました。

 必死過ぎて思わず倒れ込んでしまいましたが、胸に抱いていたソフィアも咄嗟に頭を庇ったため無事のようでした。酷く怖がっているのか、大声で泣き叫んではいましたが。



「かあさま……、母様ッ!! なんで……どうしてッ!?」


「……あらあら、突き飛ばしたせいで肘を擦り剥かせてしまいましたか。ごめんなさいね。何をそんなに大声で慌てているのですか……?」



 セロも無事だったようで何よりです。

 息子と娘の無事を確認したところで緊張が少し緩んだのか、途端に激痛が走る。熱いとすら感じるような痛みは、先程セロを庇ってウルフに晒した背中からでした。


 ああ、そうでした。わたくしはセロの代わりに、ウルフの牙を受けたのでしたね。

 ですが安心なさい、セロ。この程度の傷、戦時中は日常茶飯事だったのですから。すぐに癒せますから、そんなに涙を流さなくても良いのですよ。



「あ、ああ……!」



 どうしたのですか、セロ? 母は大丈夫ですから、一度落ち着きましょう。

 …………セロ……?


 ふと、辺りを静寂が包んでいることに気が付きました。

 散々に吠え立てていたウルフ達も、悲鳴を上げ戦っていた、そして逃げていた村人達の声も聞こえなくなり……それどころか風の音も、その風に揺らされ鳴る木々の葉擦れの音すらも聞こえない。


 その場の生きとし生けるモノすべてが息を潜め、恐れを抱いたかのように。

 の目覚めを、注視するかのように。



「ああっ……あああぁああああぁあぁぁあああああぁああああぁぁあああッッ!!!!」



 ソレは――――わたくしの愛する息子であるセロは。

 その身に眠っていた力を……その強大な魔力を、爆発させたのでした。




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