父となり、冒険者となった魔族の王



 私のこれまでの生は、暴力と謀略に満ち満ちていた。


 この世――人界の者達は〝魔界〟と呼ぶが、魔族種である我らが住まうその大陸では、古来より弱肉強食が是とされていた。

 そのような世界で魔王の子として生を受けた私にとって、力と、それをふるうための知識は必要不可欠であり……それが足りぬ兄弟姉妹達は次々と、その生命いのちを散らしていったのだ。


 時にはそれら家族や親族ですらも敵に回しながら、血反吐を吐き泥を啜り、生にしがみ付き続けた私は――――いつしか今代の魔王として認められ、並び立つ者の居ない絶対強者として、魔界の王として君臨していた。


 当代に抱えていた王としての責務は、あまりに重い、しかし味気無いものであった。


 我ら魔族の糧となる〝魔素〟が潤沢なこと以外には、不毛とも言える荒れ果てた大地。

 強者が弱者から奪い、その弱者はさらに下の弱者から搾り取る暴力の連鎖。


 それらこそ魔族の本質と言ってしまえばそれまでだが――事実先代までの魔王はそれを受容し、ただの一度も改めようとはしていなかった――、私にはその世界は、酷くつまらない色の無い世界にしか見えなかった。


 そんなある種停滞していた魔界から、息抜きに外界へと飛び出した時のことであった。

 人類達の生存圏である〝人界〟とされる大陸に降り立った私の目に映ったのは、私が魔界では見たことのないものばかりであった。


 もちろん、人類同士の醜い争いや諍いも目にはした。

 人間だ、エルフだ、ドワーフだなどと、同じ人類種であろうに差別をし、お互いを見下し奪い合い殺し合いをしている場面も見聞きした。


 だがそれよりも私の目を惹き付けて止まなかったのは……友愛や親愛、恋情や友情によって繋がりを得ていた人々の、その安らかに満ち足りた笑顔であった。生まれ落ちてより一度たりとも私に向けられたことのない、いろどりに満ちた温かな光景であった。


 我ら魔族に比ぶれば、矮小で拙く映る個々の力や魔力、魔法の技法や戦闘能力。しかしそこには、そんな強者たる我々が持たないものが、確かに存在していたのだ。


 それを目にした私は、羨望と嫉妬に狂った。後に人類から【凶乱の魔王】と称されたように、弱く小さき者から奪い取ってきたかつての魔王達と同じように、魔族達に号令を掛け人界へと攻め入ったのだ。


 大規模転移魔法を用いて大軍を人界に送り込み、拠点として我が魔力で城を顕現させ。

 長年に渡り続いた〝人魔大戦〟と歴史に刻まれる大戦を巻き起こし、人類へと襲い掛かったのだ。


 ――――しかし、人類は私が思っていたよりも遥かに強かった。

 我ら魔族を共通の脅威と認識した人類は、異なる四種族――人間、エルフ、ドワーフ、獣人――で手を取り合い、連合を組んで我らに抗った。


 そして私は、そんな屈強とも言える彼らを先頭に立ち導き、戦場を華麗に舞う一人の美しき乙女と出会ったのだ――――





 ◇





「私の妻と息子に、何をしている?」



 いつぞやの嫉妬と憧憬に狂った時のように、私の胸中が怒りに満たされる。


 冒険者として討伐依頼をこなして、ギルドへとその報告と報酬の受け取りのために立ち寄ってみれば。


 戦場で見初め、かつては敵同士であった稀代の聖女――エルジーンが、下衆な笑みを浮かべた男達に囲まれてその欲望の眼差しを向けられていた。

 その敵であった彼女にかつては呪いの意味で孕ませた……しかしその後彼女に諭され、導かれて共に誕生に立ち合い、共に慈しんで育ててきた私の息子であるセロが、果敢にも立ち向かった男達から害されようとしていた。


 戦場でもない、いつしか随分と馴染んだ人の暮らす生活の場で、思わず私は魔力を荒らげ波立たせて、本気ではないにせよ殺気を放っていた。



「ッ!? 紫の髪と金色の目……てめぇ、最近噂になってやがる【紫閃しせん】か……?」



 私の正体に思い至ったのか、その不届き者の内の一人が、私に問うてくる。


 私やエルジーンにとっては取るに足らぬ魔物だとしても、並みの人類にとっては徒党を組み相対することが常識であった。しかしそんな中で、私は常に単独での行動を旨としてきた。

 そして時には分不相応な相手に挑む、そんな無謀な冒険者達を討伐のついでに救ったりもしてはいたが、それらが重なり私の力量や戦い方が広まった結果……私はギルドから高位冒険者の位と、称号となる〝二つ名〟を与えられていた。



「質問に質問を返すとは無調法な。だがその通りだ。ギルドより【紫閃】の二つ名を与えられたというのは、私で相違ない」


「チッ……! 行くぞてめぇら」



 問われたことに簡潔に答えを返すと、その男は顔色を変え、決まり悪そうに舌打ちをしてから、仲間であろう他の男達に声を掛ける。

 しかし当然ながら、を邪魔された者達はそう簡単に納得するはずもなく、気色ばんでその男に食って掛かる。



「ああ!? 何言ってんだよお前!?」


「そうだぜオイ。たかが一人だろうがよ」


「それもあんなヒョロい野郎に――――」


「いいから行くぞ! 相手が悪りぃんだよ……!」



 だがそれなりにその集団では人望を集めていたのか、私に誰何すいかした男の重ねた声掛けで、どうやら全員思いとどまったようであった。

 これ以上なおも言い募るようであれば、それこそ格の違いを教え込まねばならぬところであったな。怒りに任せた今の状態では、下手をしたらこ奴らを殺してしまうところであったやもしれぬ。


 周囲に溜まっていた野次馬を押し退け、撤退を促した男とそれに追随する男達が姿を消す。喧嘩騒ぎを期待していたのか、周囲の野次馬達も一人、また一人と数を減らしていった。



「大事無いか?」



 それを溜息を吐きながら眺めていた私は、先程〝妻〟と呼んだ――かつて【暁の聖女】と呼ばれたエルジーンに向き直り、無事を確認する。



「ええ、旦那様。わたくしも息子も無事です」


「こうなるから宿屋で待っていろと言ったではないか。其方そなたはもう少し自身の見目の麗しさを気に掛けるべきだ」


「大丈夫ですよ、息子が護ってくれましたもの。セロ、母を護ってくれてありがとうございます」


母様かあさま! ……でも、怖くて何もできなかった……。父様とうさまが来なかったら……」



 エルジーンに続いて駆け寄ってきた淡い紫の髪の我が息子――セロは、あわや押し退けられそうになった先程の出来事を思い出し、表情を暗くした。しかしそんな少年の両の頬を優しく手で包み、エルジーンはその顔を上げさせたのだ。



「いいえセロ。あなたが立ち向かったおかげで母はこうして無事ですし、父様が間に合ったのです。まずはそれを誇りなさい。大丈夫です、次はもっと上手くやれますよ」



 慈母の瞳で。美しい真紅色の瞳でそう息子を見詰めるエルジーン。

 戦時には我ら魔族にとっての天敵であり、恐怖の象徴であったその瞳でもって、言外に息子に俯くなと、強く前を向けと語り掛ける。



「母様……はいっ! 父様、助けてくれてありがとう!」


「うむ、良くぞ母様を護ったな息子よ。父も誇りに思うぞ。そしてよ、無事で何よりだ」


「ええ。ありがとうございます、



 そんな母の言葉想いが届いたのか、セロはもはや俯くことはせずに、ハッキリと返事を返した。そんな息子を誇らしく思いながら私達父母は、お互いを生来のものでない仮の名で呼び合ったのだった。


 すっかり騒ぎは収まり日常の風景――それでも騒がしいことに変わりはないのだが――を取り戻した冒険者ギルドの建物から、そうして仲睦まじく、かつて嫉妬し憧れた親愛を嚙みしめながら、私は二人と共に宿へと引き返したのだ。





「それでフォーレス、今回の報酬はいかがでしたか?」


「うむ。やはり高位冒険者ともなると実入りの良い依頼があって助かるな。たかだかワイバーンを五匹狩っただけで金貨五十枚だ」


「当面の生活費と旅費は賄えますね。いつも通り五枚ほど孤児院に寄付しても構いませんか?」


「またかエルジーンよ。其方も頑固と言うか何と言うか……」


「フォーレス、わたくしはです。あなたも覚えませんね、ダルタフォレス」



 夕食を終え、寝かし付けた息子セロの寝顔を見守りながら、私と妻であるエルジーンがベッドに腰掛け、話し合う。



「そうは言うがな。私にとっては其方は今も、私を打倒した【暁の聖女】なのだ。それをあの王国の者共め……総ての戦果は【勇者】の物だと吹聴して回り、あろう事か其方に間諜の罪を着せ貶めたのだぞ? 教会も聖女の証である白髪を忌避すべきものへと改めたというのに……」


「それももう、十年も前に済んだ事です。あなたを生かすことを決めた時に、すでに覚悟はしていましたから」


「……『子には父親の愛情も必要』か。孤児院のシスターと神父の受け売りだったか……?」


「はい。わたくしを教え導いて下さった、もう一人の父と母です。もう亡くなってしまったそうですけどね。ですがそれでも、わたくしの家はあの孤児院なのですから」



 過去を懐かしむように細められ、息子であるセロの寝顔を愛おしそうに見詰める真紅の瞳。

 そんなエルジーン――今はジーンと名乗っている自らの伴侶の腰を抱き寄せ、彼女の身体を自身に預けさせる。



「まさか私が人間族の……それも市井に紛れて子育てをするとはな。だが存外、これも悪くないものだ。日々の糧を自らで得、愛しい妻と息子の笑顔を眺めて暮らす……。魔界では……魔王であった頃には決して味わえなかったであろう充足を、今は実感している」


「わたくしもです、ダルタフォレス。聖女として戦いに明け暮れていたわたくしにとって、この暮らしは掛け替えの無いものです。貴方は魔族の誇りである角を折ったこと……後悔はしていませんか?」



 十年前の人魔大戦の最後の夜、私は敵であったエルジーンと共に、人知れず魔王城を消し去って闇夜に紛れ姿を隠した。魔王の象徴であった二本の角と、聖女の象徴であった彼女の法衣をその場に残して。



「それももはや過去の事。得難き其方の純潔の対価と思えば、私の誇りなど安価に過ぎるものだ。セロの角を除去した時の方が、よほどこたえたぞ」


「あなたの睡眠魔法と、女神様がわたくしに残して下さった神聖術のおかげですね。除去後も悪影響はありませんでしたし……やはり人界で暮らすには魔族の象徴たる角は誤解を招きますから。ですがもう少しでセロも十歳。その時には、この子の片角で作ったお守りを渡して、わたくし達のことを話してあげるつもりです」


「それは良いな。なに、私と其方の自慢の息子だ。たとえ〝堕ちた聖女〟と【凶乱の魔王】の子だと知っても、私達が注いだ愛情に偽りは無い。きっと受け止め、己の糧としてより成長してくれるだろう」



 セロに体力が付くまでは生まれた村に身を寄せ、エルジーンは癒し手と子供の教育役として、私は村の周囲に蔓延る魔物や害獣を駆除して過ごした。そしてセロが六歳となってから、村人達に惜しまれながらも、広い世界をセロに見せるために旅を始めたのだ。

 日々の糧は主に冒険者となった私が稼いではいたが、時にはエルジーンもセロを護りながら戦うこともあった。


 そんなこれまで共に過ごしてきた時間を、健やかに眠るセロの寝顔を見守りながら思い返す。



「ふふっ」


「何だ、どうした?」



 私が回想に耽るかたわらで、突然思い出したかのように笑いを漏らしたエルジーンに、不思議に思い尋ねる。

 起こさないよう優しくセロの髪を撫でるエルジーンは、十年前とは比べ物にならないほど成熟した女性の色香をたたえて、しかし悪戯イタズラを思い付いたような含んだ微笑で、私の顔を見上げた。



「そういえば昼間、セロがこんなことを言っていたんです。『僕も妹が欲しい』ですって」


「う、うむ!? いや待て、それは……!?」


「悪夢除けのお祈りもしましたし、あとは……」


「う、うむ……。私の睡眠魔法か……?」


「ふふふっ。女の子が生まれたら、どんな名前にしましょうか……」


「い、いや、少々気が早いのではないか……?」



 息子の睡眠を邪魔しないよう、深い眠りへ誘う魔法を行使する。

 部屋のランプの灯りを弱め、私にとって何よりも大切で愛する我が妻と私は。


 静かに。しかし情熱的に唇を重ねたのであった。




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