人魔戦後歴九年 世界が憧れを持ち、恐怖を知った日



「お兄ちゃん早く早くぅー!!」


「待てってば! 転んじゃうぞー!」



 無邪気な少年と少女が横切って過ぎ、そんな彼らを眺めながらゆっくりと市場を歩く。

 ついつい出来合いの食べ物を買い込んで、なかなか納得いくように上達しない料理の腕を誤魔化しつつも、穏やかな生活に満足を覚えている、そんな毎日。


 あっという間に九歳となった息子セロが、率先して買い物袋を一つ抱えてくれるようになったことに喜びを感じつつ、空いた方の手を繋いで母子おやこで街を練り歩きます。



母様かあさま、重くない? 僕そっちも持つよ?」


「大丈夫ですよセロ。あなたが一つ持ってくれてるので、母は随分楽ですから」



 優しい息子は、父であるダルタフォレスに対抗しているのかは分かりませんが、こうしていつもわたくしを気遣ってくれます。

 買い物袋一つで少しよろめいていたにもかかわらず、弱音も吐かずに笑顔で手伝いを進言してくれて。このように優しい子に育ってくれて、わたくしは本当に嬉しく思います。


 セロを生んだ村から旅立って三年を数え、わたくし達家族はいくつもの都市や街を渡り歩きました。


 この子に広い世界を見せてあげるため。

 あの小さな村とは比べ物にならないくらいに、世界は多くの人や物、様々な風習で溢れていることを学んでもらうために。わたくし達はどこにも定住することなく旅を続けていました。


 現在は、様々な人種が共存している大都市に訪れているわたくし達。


 夫であるダルタフォレスが冒険者として近くの魔境ダンジョンに潜っている間は、わたくしとセロは街の図書館や教会へと足を運び、セロの勉強を進めたり街の住人達からお話を聴いたりして過ごしています。

 初めて出逢う異種族の方とのお話や、わたくし達と同じ旅人から異国の話を聴いている時のセロは、瞳を輝かせてとても可愛らしく思います。


 わたくしやダルタフォレスを見て育ったためか、幸いにして種族間の偏見も持たずに育ってくれたセロ。そんな無邪気に、好奇心のままにお話をせがむセロを好ましく思って下さるのか、どなたも大層可愛がってくれて、色々なお話を聴かせてくれます。

 孤児院を出てからは訓練や戦闘しかしてこなかったわたくしにとっても、異文化の風情や情緒に溢れたそれらのお話は大変に興味深く……。図らずも、母子共々楽しませていただいていますね。



「ねえ、母様」


「どうしたのですか、セロ?」



 逗留している宿屋へと着き、今日一日の街での出来事を振り返っているところへ、セロが声を掛けてきます。

 その手にはこの街で新たに購入した本が、半ば辺りに栞を挟んで抱えられていました。


 本のタイトルは【兄妹の大冒険】というものです。



「妹が居るって、どんな感じなのかな?」



 帰り道ですれ違った、あの仲の良さそうな兄妹を思い返しているのでしょうか。その本を買ったのは偶然だったのですが、一人っ子であるセロにとっては〝妹〟という存在がどうも、強い関心事となったようです。



「そうですね……。妹に限らず、年下の弟妹は可愛いものだと思いますよ。わたくしの弟妹達は、血が繋がっていた訳ではありませんでしたが」


「どんなことをして遊んだの?」


「鬼ごっこやかくれんぼ、おままごとなど色々しましたね。セロにもしてあげているように、絵本を読んであげたこともありましたよ」


「ふぅーん……」


「セロは、妹が欲しいのですか?」



 微笑ましく思いながらそう尋ねてみれば、モジモジと恥ずかしそうにしながらも、セロはこくりと頷きを返してきました。


 村では同年代の子供達や、より小さな子とも一緒に遊んでいたセロですが、その頃に比べれば随分と情緒も育まれてきています。自分よりも幼い子の面倒を見てやったり、構ってやるといったことに、憧れを持ったのかもしれませんね。

 ひと所に定住せず、親しい友人を作ることができていないせいもあるかもしれません。そこは旅から旅の根無し草生活の弊害でしょうか。しかし世の広さを知るには、歩み続けるしかないのも事実。痛し痒しとはこのことでしょうね。


 この本の主人公である兄妹は確か、幼少の折の事故ではぐれた母親を探すため、旅に出るのでしたか。その事故の負傷が元で亡くなった父に託された剣をたずさえて、兄が妹を護りながら冒険をくぐり抜けていく……というお話でしたね。


 孤児であり戦争に参加していたわたくしや、弱肉強食の魔界で争いながら育ったダルタフォレスには、本来の兄弟というものはなかなかに説明がしづらいものでもあります。

 実の親を知らず、血の繋がらない弟妹達と共に育ったわたくしにも。魔王の系譜というだけで陰謀や争いの絶えなかったと聞くダルタフォレスにとっても。物語のような普遍的な家族愛や兄弟愛といったものは、随分と縁遠いものでしたから。



「セロは妹ができたら……何かしてやりたいことがあるのですか?」


「うん! このご本のお兄ちゃんみたいに強くなって、妹を大事にして守ってあげたい!」


「あらあら。でしたら、これから頑張らないといけませんね? 強くなるということは、あなたが思っているよりも大変な苦労があるのですよ?」


「そうなの? 父様や母様くらい強くなるのって、大変?」


「それは……そうかもしれませんね。ですがあなたは、わたくし達の息子ですから。きっと誰よりも強い、立派なお兄ちゃんになれるでしょうね」


「そうかな!? 僕、いいお兄ちゃんになれるかな!?」



 おやおや。この子ときたら、もう妹ができたかのように喜んで……。

 これは、今日帰ってくる旦那様にも相談してみなければいけませんね。


 事実、歴代最高の聖女と称されたわたくしと、世界を敵に回し戦争を巻き起こした魔王ダルタフォレスの間にできた子です。血統としては申し分ないのではないでしょうか。

 そんなことをふと考え付き、頼もしく思うのと同時……その血筋ゆえの強大な力や素質に、この子が振り回され飲み込まれてしまわないだろうか、と。そんな不安がチクリと胸を刺します。



「そうですね。セロはきっと強くて優しい、世界で一番のお兄ちゃんになれますよ。さあ、そろそろ父様が帰ってくる頃です。たまにはギルドにお迎えに行ってみますか?」


「うん! 冒険者ギルドって、強そうでカッコいい人達がたくさん居て楽しいもん!」


「それではご本はお片付けして、お支度をして下さいね。ちゃんと上着も着るんですよ?」


「はぁーい!」



 隠しきれぬ好奇心と共に笑顔となって溢れているのは、強き者への憧れでしょうか。


 その思いを抱いてこれから成長していくであろう息子の未来へ、思いを馳せます。


 平和の尊さを誰よりも知っているわたくしからすると少々複雑ですが、そこはやはり〝男の子〟なのでしょうね。

 楽しげに支度を整えるセロに聴こえないように、わたくしは一つ、溜息をこぼしたのでした。





 ◇





「お姉ちゃん美人じゃねぇかよぉ〜! 俺らとイイトコで一杯どうよ? お酌してくれよぉ〜」


「結構です。こう見えてわたくしは、家庭を持つ身ですので」


「まあまあそうカテェこと言わねぇでよぉ〜! ナンだったら旦那よりキモチ良くやるぜぇ?」



 世界を巻き込んだ戦乱から、既に十年という年月が経っています。しかし魔王が――本当は生きていますが――世を去り魔族が魔界へと撤退はしたものの、大陸に蔓延はびこる魔物や魔獣まで消えて居なくなった訳ではありません。

 ゆえにそれらを相手取る戦闘屋――冒険者達も未だ存在しており、そして腕っ節さえあれば稼げることも相まって、粗暴な者もまた多く存在しています。


 今まさにわたくしを口説き、手篭めにしようとしている彼等のように。



「か、母様に近寄らないでくださいっ!」


「あ゙あ゙ん゙っ!?」

「あんだぁ、このガキゃあ!?」



 そんな素行の悪い、しかし見た目には屈強な冒険者達の前に、颯爽と立ちはだかる一人の少年。淡い紫色の髪は肩口で整えられ、金と紅との左右で色の違う瞳を真っ直ぐに男達に向け、果敢にもわたくしを背に庇うわたくしの息子セロ

 ――――いいえ。颯爽と立ちはだかったのはともかく、その華奢な肩や手先、そして膝は恐怖で小刻みに震えています。そして男達が、そんな息子の様子に気付かない訳もなく。



「ぶひゃひゃひゃッ!! おうボウズぅ、震えちまってんぞぉ!?」


「オウオウおっかないなぁ〜っ! お兄さんチビっちゃいそうだなぁ〜っ!」


「ゲヒャヒャッ!! ガキはおウチに帰ってお留守番してろや! 今からおめぇのママは俺らとイイコトすんだからよぉ!!」



 まったく。軍人であれば規律に縛られ、ある程度の礼節は備えているものですが……。自由気ままに生きる粗暴な冒険者彼らには、そのようなことを期待すべくもないようです。中には心優しく、礼儀正しい人も多く居るのですがね。


 下卑た笑い声を上げ、恐怖に震えながら懸命に立ち塞がるセロを押し退けようと手を伸ばす、男達の内の一人。そしてその手がセロの肩に届こうとした、それと同時にわたくしも息子を守るために身構えた、その時――――



「私の家族に何をしている?」



 男達の背後から、決して大声ではありませんが威圧の込められた言葉が投げ掛けられました。

 物理的な重さと氷を思わせる冷気すら感じさせる鋭い声に、さすがは冒険者と言うべきか男達は一斉に振り返り、それぞれの得物に手を掛けます。しかし曲りなりにも戦闘屋としての直感が働いたのか、構えるその身体は皆、強張っているのが見て取れました。



「……なんだ、てめぇは?」


「聴こえなかったか? 私の妻と息子に何をしていると問うたのだ」



 濃い紫色の長髪を襟足で一纏めに束ねたその声の主は、金色の瞳をを鋭くしかめて男達を睨んでいます。端正な顔立ちをしていますが、その立ち居振る舞いや腰にいた宝剣、そして何より先程から放たれている殺気からも、その人物が怒りを感じていることが窺えました。


 そして。



「ッ!? 紫の髪と金色の目……てめぇ、最近噂になってやがる【紫閃しせん】か……?」



 その【紫閃】と呼ばれた男性――に心当たったのか、彼に誰何すいかした男の頬に、一筋の汗が落ちたのでした。




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