人魔戦後歴七年 世界と共に旅立った日



 息子――セロの歳が六つを数えた、心地好い春の日和に。

 わたくしとダルタフォレス、そしてセロの三人は、村の入口からこれまで暮らしていたそこの景色を眺めていました。


 わたくし達の正面には、旦那様であるダルタフォレスの狩り仲間達。そしてわたくしに格別に良くして下さった村長夫妻や、村の奥様方や子供達……つまりは村のほとんどの住人が集まり、お見送りをして下さっています。



「寂しくなるねぇ。また何かあれば、いつでも戻ってくるんだよ。まあその時にはあたしゃあ、もうポックリ逝っちまってるかもしれないがね!」


「奥方様、そのようなこと仰らないでくださいな。いつまでも健やかに、長生きなさってくださいませ」


「分かってるさね、ほんの冗談じゃないか。それより、あんたのおかげで村のみんなも読み書きを覚えられて、ほんとに助かったよ。みんなを代表して礼を言わせておくれ」


「ほんのご恩返しです。わたくしこそ、このようなどこの誰とも知れぬ夫婦を村に受け入れて下さり、感謝の気持ちしかありません」



 そう。わたくし達家族は、これからこの村を出ていくのです。


 わたくしの開いていた教室もずいぶんと様になり、村の識字率も大幅に上がりました。今では村の大人からその子供に教える、といった形ができ上がっています。

 さらには、ダルタフォレスによって村の周囲の害獣や魔物は一通り討伐され、わたくしが癒し手として受け持っていた皆様も快癒され……わたくし達の仕事というか、お役目に区切りが付いたのがきっかけでした。


 未だ幼い息子に、外の世界を見せてあげるために。やんちゃ盛りのセロの、その未だ狭い世界を拡げてあげるために。

 ダルタフォレスと話し合い、この世の様々な物事をセロに見せ、聞かせ、感じてもらいより健やかに、強くたくましく成長してもらうために。そのために、この優しい揺り籠のようであった村から、今一度外の世界へと旅立つことを決めたのです。


 それはこの世の〝くさび〟たるセロのため。

 この子を清く正しく、そして強くはぐくむためには、押し込めて不浄から遠ざけているだけでは足りないと、そう思ってのことです。



「またいつか戻ってくる時まで、どうかご健勝にお過ごしくださいね」


「おやおや、あたしゃ一体、何歳まで生きてりゃいいんだろうね!」



 おどけたように笑う村長夫人の、その力強い笑みに見送られ。

 村の皆様や子供達の歓声や笑顔に背中を押され、わたくし達三人を乗せた幌馬車が、村を後にします。


 穏やかで優しく、そして温かな。

 本当に心安らぐ良い村で過ごすことができたものだと、わたくしもセロを抱きながら彼等を振り返り、思わず涙を流していました。





 ◇





「すまんエルジーン! 一匹逃した!!」


「問題ありませんよダルタフォレス」



 セロを生んだ村から旅立ち、二日目のこと。

 ひとまずは大きめの街を見せてあげよう、と馬車を走らせていた道中で、わたくし達家族は魔物に襲われていました。


 魔物の名はシャークバイパー。海を泳ぐ獰猛な鮫と蛇を足して割ったような容姿をしており、地面に潜りその強力無比な猛毒の牙で襲い掛かってくる、危険度の高い魔物です。

 この魔物一匹で小さな村などは壊滅的な被害を受けることさえあり、高位の冒険者パーティーか軍や騎士団でもって対応に当たるほどです。それが、四匹も同時に現れたのです。



「願いたてまつるは滅魔の聖光――――【破邪ノ極光ホーリーレイ】!」



 しかしそこは、かつて【凶乱の魔王】と【あかつきの聖女】と呼ばれていたわたくし達です。

 自惚うぬぼれでも自画自賛でもなく。事実魔王軍と人類連合軍、それぞれの最高戦力であったわたくし達夫婦にとっては、取るに足らない相手ではありましたが。



「すまなかった。大事ないか? エルジーン、セロ」



 地面より飛び出して来たところに合わせ神聖術を行使し、ダルタフォレスの攻撃をかいくぐってわたくし達を狙ったシャークバイパーを滅したところへ、他の三匹を討伐した彼が大急ぎで舞い戻ってきました。

 愛用の宝剣には返り血すら付着しておらず、その卓越した剣技のほどが窺える……そんな彼が肩で息をし、焦りを顔に貼り付けて案じてくれることに、少なからず喜びを感じます。


 しかし、それはそれとして。



「あの程度でしたら何の問題もありません。それよりも旦那様? 少し、腕が鈍ったのではありませんか?」



 以前の……全盛期の魔王であれば、あの程度の魔物など何匹居ようと物の数ではなかったはず。その強大な魔法の一撃で、宝剣の斬撃一つで簡単に討ち果たせたでしょうに。

 多少意地の悪くなってしまった物言いを自覚しつつも、わたくし達には守るべき息子セロの存在があります。不手際と言えるほどでもない些細な手落ちでしたが、敢えて心を鬼にして問い質しました。



「い、いや、それはだな……」


「なんですか? 幼いセロを護らねばならないのに、あのようなていたらくでは困りますよ?」


「う、うむ……、すまない。だがな……」


「『だが』、なんですか? 不安要素はなるべく排したいのです。ハッキリと仰ってください」


「その……な……」



 彼にしては珍しく、口ごもり言い淀んで。

 ダルタフォレスの様子に首を傾げていると、歯切れ悪く、ポツリと彼がこぼしました。



「あまり派手に戦っては、その……息子を怖がらせてしまわないだろうか……」


「は……?」



 当の息子を幌馬車の荷台に押し込め、車外で話し合っていたわたくし達でしたが、ダルタフォレスから飛び出した予想だにしていなかったその言葉に、わたくしは思わず言葉を失ってしまいました。


 だって、あの彼が――――



「いや、そのだな……? 今までは其方そなた達を家に置いて、私単独か狩り仲間達としか戦ってこなかったであろう? あのような魔物の姿だけでも恐ろしいだろうに、その上私が力をふるっている姿など見せてしまったらと考えたら……その、な……」



 なんともまあ、大層かわいらしい理由でした。まさかあのダルタフォレスが、たった六つの息子に恐れられるのを危惧するだなんて。



「ふっ、ふふふ……!」


「なっ!? わ、笑うでないわ! 私とてセロに嫌われたくないのだから仕方あるまい! 決して私の腕が落ちた訳ではないぞ!」


「ごめ、ごめんなさい……! お、おかしくてつい……ふふふっ」



 いけません、あまりに可笑おかしくて笑いが止まらなくなってしまいました。

 口元を押さえて笑いをこらえるわたくしに、ダルタフォレスのジトリとした視線が突き刺さって……そしてそれがまた可笑しくて、かわいらしくて。


 ああ、ダルタフォレスがそっぽを向いていじけてしまいました。かつての魔王時代を知る者が今の彼を見たら、きっと目を丸くして驚くことでしょう。



「いじけないでください、旦那様。そのようなこと、心配なさらなくても大丈夫ですよ」


「む……」



 とはいえ、このまま彼をいじけさせたままにはできませんからね。わたくしは彼を宥めながら、馬車の荷台へと歩み寄りました。



「セロ、もう危険は去りましたよ。父様の戦うお姿はどうでしたか?」



 まったく。魔王ともあろうお方が、何をそんなことで狼狽うろたえているのでしょうか。そのような心配などせずとも……



「父様! 母様! すごかったねぇ!! 魔物さんがバーンって! ブワーって!!」



 ほら、この通り。


 荷台の幌をめくれば、そこには目を輝かせたわたくし達の息子――セロが興奮した様子で、先ほどの戦闘を自分なりに真似た動きをして見せてくれます。


 考え過ぎですよ、ダルタフォレス。わたくしと貴方の息子が、あの程度の戦闘で恐れるはずがないじゃないですか。村でも貴方の鍛練を間近で見学したり、わたくしが神聖術の研鑽をしているところも見ているのですから。



「む、息子よ……怖くはなかったか……?」


「ぜんぜん! 父様かっこよかったよ!!」


「そうですね、セロ。父様は本当は、もっと凄いのですよ?」


「ほんとに!?」



 息子の言葉に、落ち込んでいじけていたダルタフォレスの表情が見る間に柔らかく、明るくなっていきます。

 それがまた可笑しかったのですが、またいじけられても困るので頑張って笑うのを我慢しました。


 無邪気に戦いを語る息子も、幼い息子のその言葉に一喜一憂する旦那様も。とても愛おしくて、かわいらしくて。


 その後も魔物の解体をするダルタフォレスを、セロと見守りながら。

 わたくしは愛する家族への温かな思いを、膝に乗せたセロの重みや温もりでもって、確かめていたのでした。


 そして――――





「ふわぁーー!! 大っきな壁!!」


「そうですねぇ、セロ。本当に大きな街ですねぇ」


「この辺りでは一番栄えた街だ。今夜は少し奮発して、良い飯でも楽しもうか」


「ごはんー!!」



 わたくし達親子は、魔物の襲撃現場から数刻の時間を掛けて、村から一番近い都市と呼べる規模の街へと辿り着きました。


 冒険者ギルドもあり、大きな教会もあるということは、事前に村長夫妻からのお話で伺っています。

 道中狩った獣や討伐した魔物の素材を路銀に換えるのにも、結界の張られたちゃんとした聖堂で女神様へのお祈りを捧げるのにも都合が良く、わたくしも年甲斐もなく、心が弾んでいました。



「旦那様、魔物の素材を換金するのでしたら、冒険者ギルドに登録した方がよろしいのではないでしょうか? 手数料で差し引かれる額がだいぶ変わるそうですよ?」


「む……しかし、私は……」


「大丈夫ですよ。あのいくさからすでに六年以上経っているのです。角の無い貴方は人間にしか見えませんから、きっと登録できますよ」


「そうか……。ならば登録してみようか」


「ええ。それから売り上げから幾らか、教会へのお布施と孤児院への仕送りに頂きたいのですが……」



 わたくし達にとって、そこらの魔物など良い資金源でしかありませんからね。今後の資金繰りにも冒険者稼業はもってこいでしょう。本当でしたらわたくしも登録したいところでしたが、さすがに息子セロを独りにして魔物狩りとはいかないでしょうから、我慢です。


 それはさて置き、ついでにわたくしの希望も、この際ですから伝えておきました。

 しっかりとした教会での礼拝には喜捨が欠かせませんし、長らく途絶えさせていたわたくしの育った孤児院への仕送りを……たとえ名を名乗れないにしても再びしたかったのです。



「其方の育ての両親……シスターと神父の居たという孤児院か。もちろんそれは構わぬが、とうに連絡は途絶えているのであろう?」


「便りの有無と、わたくしの感謝には関係はありませんよ」


「そういうものか……?」


「ええ、そういうものなのです」



 わがままを言って申し訳ありません、ダルタフォレス。ですがわたくしは、あの孤児院にも、シスターや神父様にも。そして共に育った弟妹ていまい達にも、本当に感謝をしているのです。

 今ではだいぶ人も入れ替わっているでしょうが、それでも孤児院あそこがわたくしの始まりであったことは、揺るぎない事実なのです。


 ですから、多少なりとも。

 新たに迎えられた子供達にも、その世話をする孤児院の職員達にも、少しでも楽をさせてやりたいのです。



「ぼーけんしゃ! 父様、モンスター退治するの!?」



 大人の事情を話し合うわたくし達に、痺れを切らしたのか。ウズウズとした様子で、セロが割って入ってきました。



「うむ、そうだぞ息子よ。父はこれから、恐ろしい魔物から人々を守るために戦うのだ」


「すごーい!! ドラゴンは!? 父様、ドラゴンとも戦うの!?」


「どうだろうな。悪いドラゴンが居たら、懲らしめに行くかもしれぬな」


「父様、かっこいい!!」



 いつか読み聞かせた、あの童話のように。

 モンスターと言えばドラゴンといった様子で純粋な瞳を輝かせるセロに、どやりとした顔で満更でもなさそうなダルタフォレス。


 そんな父子おやこ二人の様子を見守りながら、わたくしはまた可笑しくて、くすくすと忍び笑いを漏らしていたのでした。




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