人魔戦後暦六年 世界が生死を垣間見た夏の日



 夏の暑い陽射しが照り付ける広場。

 村の護り神と伝えられている大樹の立つその広場で、大樹の木陰にいだかれるようにして眠る村の子供達。


 母親の膝枕で寝息を立てる子供。仲の良い子と手を繋ぎはにかんで眠る子供。村に居る決して多くはない子供達の穏やかな寝顔を眺めていると、わたくしも大人になったのだなと、そんな可笑おかしな実感が湧いてくるから不思議です。


 子供達の健やかな眠りを守りたい、と。息子を持ち母親の務めをこなす日々の中で、自然とそう思うようになったのです。


 もちろん、わたくしの膝で眠るセロが一番大切なのは当たり前なのですけどね。



「だいぶ影が動きましたね。そろそろ子供達を起こして帰りましょうか」



 時間と共に陽が傾き、南西から降る陽光に大樹の影が逃げて行くようで。

 子供達に強い陽射しが当たらないよう、わたくしは一緒に見守って下さっていたご夫人方に声を掛けました。


 この大樹はここがまだ開拓しきれていない頃、山崩れから村を護ったと聞きました。実際はあまりにも立派だったため伐採に手をこまねいていたら、先に乱伐された周囲の山が崩れてしまったそうなのですが。

 以来それを教訓とし無理な伐採は控えて、戒めとしてこの大樹を感謝と畏敬の念を込めて祀っているのだとか。


 村の中心になったこの大樹のたもとで、わたくしは子供達や学びたい人を集めて勉学を教えています。

 子供達が疲れてお昼寝を始めてしまうと授業はお終いで、それを皆で見守るのが、わたくし達母親の恒例行事となっています。



「さあ皆さん。おうちに帰る時間ですよ」



 ご夫人方と協力して子供達を起こし、帰宅の途へと着かせます。


 何しろ山の中腹にある村ですから、収入源はもっぱら山の恵みに頼っていて、畑も作付面積は広くなく、各家庭で消費する分しか作っていません。

 朝から昼まで畑の面倒を見て洗濯掃除を終わらせれば、それ以降は手隙になる方が多いので、空いた午後の時間を利用してこうして教室を開いているのです。



「「「ジーンせんせー、さようならー!!」」」


「はい、さようなら。また明日も元気なお顔を見せて下さいね」



 未だにウトウト舟を漕いでいるセロを支えながら、子供達を見送ります。

 大人達に手を繋いでもらって家路を行く子供達を二人で見送ってから、わたくしもセロを促して、夕飯の献立を考えながら家へと帰りました。



「かあさま、きょうのおゆうはんはなぁに?」


「何にしましょうね? セロは嫌いなご飯はありますか?」


「キライ……? んーとね、んーとね! ぼく、かあさまのごはんぜんぶすきだよ!!」


「まあまあ。そんなことを言われては、母様も頑張って美味しいご飯を作らないといけませんね。楽しみにしていてくださいね?」


「うん!!」



 さて、困りました。何でも好きなどと嬉しいことを言われてしまっては、より一層腕によりをかけねばいけません。

 実はお料理などはこの村に来てから初めてしたものですから……三年間ダルタフォレスの妻として、セロの母として料理を頑張ってはきたものの、村のご夫人方に比べればその腕にはまだまだ自信が持てません。


 最初の頃などは、せっかくお裾分け下さった卵を満足に割ることもできずに、しかも炭と見紛うほどに焦がしてしまったこともありましたし。孤児院時代は弟妹達のお世話に掛かりきりで、台所はシスター達に任せきりでしたしね……。



「んふふふー♪ かあさまのごはん♪ ごはん♪ たのしみ〜♪」



 ……これは、子煩悩に入るのでしょうか?


 手を繋いだわたくしの手も一緒に前後に振りながら、そう口ずさんで楽しそうなセロ。

 そんな様子を見たわたくしは、この子のためにもっと美味しいお料理を作らねばと、俄然やる気になっていたのでした。






 ◇





「――――そうして勇者は見事、悪いドラゴンを倒してお姫様を助け出しました。勇者に感謝した王様は褒美として、お姫様との結婚を許したのです。勇者とお姫様は結婚式を挙げ、いつまでも幸せに暮らしたのでした。めでたし、めでたし」




 夕食が済み、歯を磨かせたセロにいつものように、寝る前に絵本の読み聞かせをしてあげます。


 季節毎に来る行商人の方に村長夫人が頼んで、取り寄せて下さった童話の数々は、村長宅に大切に保管され、頼めば貸し出していただけます。

 最近では村のご夫人方でも、絵本を借り受けて子供に読み聞かせをしてあげるという方が増えてきており、読み書きを教え始めてそういった成果が目に見えて出ているということに、喜びを噛み締めています。



「とうさま、かあさま。どうしてドラゴンはやっつけられちゃったの?」



 そのようにして達成感を味わっていたわたくしや、同じベッドでセロを挟み、静かにお話に耳を傾けていたダルタフォレス。そんなわたくし達に、物心着いたばかりの子供特有の、純粋な質問を投げ掛けてくるセロ。

 未だ善悪の境の曖昧なこの子にとっては、勧善懲悪モノの分かりやすい冒険物語が良いだろうと選んだ一冊でしたが……ある意味わたくし達の関係をも示唆しているのではと思うほどに、その質問は胸に突き刺さるものでした。



「セロよ、息子よ。世の中には、い者と悪い者が居る。このお話の中でこのドラゴンは、皆に何をしていた?」



 わたくしのその葛藤に気付いたのか、セロの頭に優しく手を置いて、ダルタフォレスが静かに語り掛けました。



「んっとねー、まちをもやしたり、おひめさまをつかまえたり?」


「そうだな、町や村は燃やされてしまったな。そのような町や村には、何があったと思う?」


「えっと……おうちとぉ、はたけとぉ……」



 人の生死がある。焼け出され行き場を失った人が居る。親しい人をうしなった人が、人生の道半ばで命を燃やされた人が居る。


 まだまだ小さなセロにとって、そのような本質的な話をして大丈夫なのか。理解が及ぶのか。

 わたくしはハラハラしながら、優しい瞳でセロを見詰める旦那様の、しかしその真剣な表情に、とても口を挟むことはできませんでした。



「そうだな。家も畑も燃やされてしまったな。だがそれだけではないのだぞ? そこに暮らす人や牛や羊など、多くの者が命を落としたのだ」


「うん……? いのち? おとす……?」


「この村にこのドラゴンがやって来た。火を吹いて家を燃やし、そこにある全てのモノが焼かれてしまった。父様や母様はどうなったと思う?」


「もえ……ちゃったの……?」


「そうだ。父様達だけでなく、村長や村長の奥方も、セロの友達や小さな赤ん坊達も、皆燃えて無くなってしまうのだ」


「そんなのヤダあッ!!」



 思わずといった様子で、セロがわたくしの胸に飛びつき、力一杯にしがみついてきます。

 たった今この子の中で、〝燃やされた〟ということと〝命を落とした〟ということが結び付いたのでしょう。それはダルタフォレスの仮定の話を通して、初めて人の死に触れたということです。


 しがみつき震えるセロの背中を、ゆっくりとさすって落ち着かせます。



「セロよ。このドラゴンにも何か訳があったのかもしれぬ。しかしこのドラゴンは、それでもやり過ぎたのだ。多くの人や物、村や町を燃やして、世界の人々を怒らせてしまったのだ」



 そんな我が子の背中に語り掛けるダルタフォレスの胸中は、察して余りあるものでした。

 かつて【凶乱の魔王】として世に混沌をもたらし、この世全ての人類の怨嗟と怒りをその一身に集め、矛を向けられた彼は……もしかしたらこの御伽噺のドラゴンに、己自身を重ねていたのかもしれません。



「セロのお気に入りの玩具おもちゃを、全部壊されてしまったらどう思う? 壊した者が私……父様や母様だったとしても、セロは怒るであろう?」


「とうさまとかあさまは……そんなことしないもん……」



 ついつい苦笑が浮かんでしまいます。実はセロがまだハイハイをしていた頃に、この子のお気に入りのおしゃぶりを割ってしまったことがあったのですけれど……それを言うとややこしくなってしまうので、わたくしは緩みかけた口を懸命に閉ざし、父子おやこの会話を見守ります。



「そうだな。しかしそれでも嫌な気持ちになったであろう? そうして様々な人々にとって大切なモノを全て壊してしまったこのドラゴンは……全ての人から〝悪い者〟とされてしまったのだ」


「どうして、ドラゴンはこわしたの?」


「さてな、それはこのドラゴンにしか分からぬ。もしかしたら子供を捕まえられたのやもしれぬし、このドラゴンも家を人に壊されたのかもしれぬ。だがなセロ。たとえどんな理由があろうとも、人の物を……人の大切なモノを壊し、燃やし、無くしてしまうことは〝悪いこと〟なのだ」


「だから、ゆうしゃにたおされたの?」


「そうだ。勇者はドラゴンがこれ以上、何かを燃やしてしまわないように戦ったのだ。捕まった大切なお姫様を助けるために、セロや父様達の大切なモノが燃やされないようにな」



 いつの間にかわたくしの胸から顔を上げ、ダルタフォレスの話に聴き入っているセロ。


 かつての旦那様やわたくし、そして人類連合軍の皆が繰り広げた戦争。それと童話を比べるのもどうかとも思いますが、規模や現実味に違いこそあれど、本質的には同じ話でしょう。

 このお話のドラゴンは、かつての【凶乱の魔王】ダルタフォレス。このお話の勇者とは、かつて【暁の聖女】と呼ばれたわたくしや、共に戦った連合軍の仲間達。〝魔族のために〟と立ち上がったダルタフォレスはしかしやり過ぎ、わたくし達大陸中の人類から〝悪しきもの〟とされ、討たれたのです。


 まあ、実際には討たれてなどいないのですけどね。

 連合軍の皆も、まさかあの魔王が生きており、しかもこのような片田舎で子育てをしているとは、夢にも思っていないでしょうね。



「人にとって嫌なことや、悲しいことをしてはならない。分かるか、息子よ?」


「……わかんない。でも……」



 ダルタフォレスの問いに、困ったように眉尻を下げるセロ。しかし迷うようにして、言葉を探すようにして。それでも息子は顔を上げ、口を開きその思いを形にしようとしています。

 わたくしも、ダルタフォレスも。それを急かすことなく、待ち続けました。そして――――



「とうさまと、かあさまがかなしくなっちゃうのはヤダ。だからぼく、いいこになる!」


「……そうか」



 そう、はにかみながら話す息子セロ

 その言葉に胸の内が、温かなもので満たされます。ダルタフォレスも優しい微笑みを浮かべて、言葉少なにセロの頭を撫でてやっていました。


 人の死の悲しみや、命の尊さ。

 未だ幼いわたくし達の息子が、実感は無いにしろこの世の善悪と命に触れた……そんな思い出深い一夜の出来事でした。




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