人魔戦後暦一年 世界が産声を上げる雪の日



『大陸全土を巻き込んだ〝人魔大戦〟より早くも半年以上が経過した現在に至っても、魔王城の消失と【暁の聖女】の失踪の因果関係は物議をかもしており――――』


『連合軍指導者であるクローネンディア国王陛下は調査の打ち切りを宣言し、メイジェルフォニア教団の教皇との共同声明を発表――――』


『魔族との内通のとがにより、聖女エルジーン・フォン・エペトフォニソカより爵位と聖女の称号を剥奪。王国と教団の連名により〝咎人とがびと〟エルジーンを指名手配するとの声明を――――』


『〝救世の英雄〟となった【勇者】ライオット第一王子殿下は数限りない戦功の報奨として立太子を果たされ、戦友でもある【剣聖】マーガレット・ケイネスベルク卿を婚約者として指名。聖女の咎落ちにより空位となった特爵位は【賢者】アルネティウス・ヴァレンタイン殿が叙爵し――――』



 人類連合軍と魔族軍の長きに渡る戦争――いわゆる〝人魔大戦〟が終結してからおよそ九ヶ月。


 戦後処理と戦災復興が迅速に進められる中で、市井しせいの娯楽の一つでもある新聞の再普及も整い。

 街々に賑わいの火が灯り活気を取り戻し、戦後の人々は贅沢とまではいかないが笑顔で道を行き交い、酒杯を重ね、笑い声を上げていました。


 未だ各地に戦争の爪痕は残されてはいましたが、こうして幌馬車の中で揺られて街の声に耳を澄ませていると、あのいくさで倒れていった、多くの人々の魂が慰撫されているような、そんな不思議な感慨を得られます。



「よせ。そのような俗な物には真実など何一つ書かれていない」



 馬車に揺られ、街の音を耳に転がしながら新聞を読んでいると、御者台から不機嫌そうな声が掛かりました。



「あら。少なくともわたくしの指名手配と爵位剥奪、教会からの除籍は真実のようですよ?」



 彼が何にいきどおりを感じているのかはもちろん理解していますが、それが少し可笑しくて、わたくしはつい揶揄からかうような言葉を返してしまいます。


 そんな冗談ですら、彼は真に受けてしまうのですけどね。



「小賢しい人間共め……。其方そなたを〝咎人〟に落とし、ほまれを奪い誇りを汚し尽くしてもまだ足りぬと見える。戦時中はあれほど其方の力を頼っておいて、よくもぬけぬけと……!」


「旦那様。殺気が漏れていますよ」



 少し冗談が過ぎたようで、馬車を操る彼の背中が威圧感を纏い始めてしまいました。

 軽口はそこそこにして止めて、わたくしは旦那様を宥めにかかります。



「落ち着いて下さい、旦那様。お腹の子が驚いてしまいます」


「あ、ああ、すまぬ。其方もそのような新聞を読むのはやめろ。煩わしい世俗の雑音を腹の中の子が覚えてしまう」


「ふふ。ええ、分かりました」



 殺気を鎮めた旦那様の操る幌馬車で、わたくし達は街の門から街道へと進み出ました。街の門の番兵達は真面目でしたが、魔法で塗り替えられたわたくしのと旦那様のは見破れなかったようですね。



「ここからはしばらく大きな街は無いそうだ。途中で集落があればそこで休息を取れるが……。大事無いか、よ?」


「ええ。旦那様の御者術が巧みなおかげで快適ですよ、



 街で物資と食料を買い込み、道すがら魔物を討ってはそれを路銀に変えてまた旅から旅へと。


 終戦より九ヶ月もの間、かつて【暁の聖女】と呼ばれたわたくしは何処にも根を下ろすことなく流れ続けていました。

 人類の仇敵である、



「しかし人というものは存外たくましいものだな。未だ一年も経っていないというのに、忌まわしい戦争を過去の物とし、皆が前を向いてひたむきに生きている」


「人とはそういうものですよ。生きていれば希望もまたあるのですから。それに連合結成以降は、以前より異種族への差別や偏見も少なくなりましたしね」


「我ら魔族を共通の脅威と捉えて、結束が深まったということか。敗軍の将が何をと思われるかもしれぬが、羨ましいことだな」


「仕方ありません。戦争には勝者と敗者が必要なのですから。ですが貴方が魔族を絶海の向こうの〝魔界〟へと帰したおかげで、魔族への憎しみを受ける哀れな敗者は居ないのです。ですからせめて、それで良しとしなければ……」



 あの日。わたくしがダルタフォレスにかどわかされたあの夜、わたくしは彼の差し出した首を拒みました。純潔を散らしたわたくしに「殺せ」と短剣を渡した彼を、わたくしは生かして魔王城から連れ出したのです。


 連合への見せかけとして彼の二本の角は切り落とし、わたくし達が交わったベッドに置いてきましたが。それと、わたくしも女神の意向に背いてしまったので、それまでわたくしの象徴とされていた聖女の法衣も一緒に置いてきました。

 城から脱け出し戦場を一望できる小高い丘の上から、魔王の権能で現界していた魔王城を消し去ってもらい、連合軍の灯す篝火かがりびを目に焼き付けてから、その場を去りました。


 ライオット殿下やマーガレット様達は、さぞや慌てたことでしょうね。朝起きたら聖女は居らず、魔王城も綺麗さっぱりと無くなっていたのですから。



「しかし何度も問うようだが、其方は許せるのか? あの場で私を殺しはせずとも無力化したのは、紛れもなく其方だ。その手柄をあのような〝似非エセ勇者〟に奪われ、あまつさえ――――」


「わたくしが選び決めたことです。貴方に抱かれたことも、貴方を生かしたことも、連合から去ったことも。そして……を授かったことも」



 ダルタフォレスの言葉を遮り、随分と膨らんだ己のお腹をそっと撫でます。この中に聖女であるわたくしと魔王であるダルタフォレス、対極に位置する二人の成した子が居ると思うと、なんとも不思議な気分になります。



「わたくしが決めたことなのです、ダルタフォレス。そこに一体、何を後悔することがありましょうか」



 わたくしが魔族と内通云々うんぬんの下りは、恐らくはベッドに魔王の角と一緒に捨て置かれた法衣のせいでしょう。あの法衣を持つのは元聖女である、わたくしだけでしたからね。姦淫などと吹聴されなかっただけまだマシでしょう。


 聞こえの良い英雄譚に仕立て民衆の支持を集めるために、わたくしを裏切り者と糾弾し魔王討滅の手柄は【勇者】ライオット殿下のものとされました。しかしそれは追い詰められていた民衆へのパフォーマンスという意味でも必要なこと。そこはちゃんと理解しています。

 わたくしの指名手配にしても、生死不明である以上は数年も経てば解かれるでしょうから、このままダルタフォレスと隠れて暮らしていれば問題はありません。



「ほら。また殺気が漏れてきていますよ、旦那様」


「す、すまん。分かったから、背中を指で突くのはやめてくれ。手綱が狂う」


「はい。そういえば、そろそろいつ産気付いてもおかしくありませんね。いい加減何処かで腰を据えましょうか」


「それならばもっと田舎の方が良いだろう。狭いコミュニティで上手く信用を築くことができれば、何かと助けも得られるだろうからな」


「偽名も考えなければいけませんね。それから集落にどのように役に立てるか、わたくし達の特技を売り込みましょう」



 カタリコトリと。王室や教団、騎士団などで乗ったどの馬車よりも粗末な幌馬車は、しかし子を身篭ったわたくしの身体を気遣うように、優しく揺れながら道を行くのでした。





 ◇





「しっかり! ちゃんと垂れ紐に掴まって力むんだよ!!」


「気をしっかり持てジーン! 其方なら大丈夫だ!!」


「う……ぐぅぅ……! ぁああッ!!」



 大きくなったお腹を抱えて、付近で唯一の街から発ってからさらにひと月ほど。

 日が落ちるのが早まり冬の到来を予感したことから、わたくし達は立ち寄った辺境の村に身を寄せることに決めました。


 わたくしは女神様の慈悲で残された加護と神聖術を活かして癒し手として。ダルタフォレスは付近の害獣や魔物の狩人かりゅうどとして村に居場所を頂き、過去に出ていった家族の残した空き家を借り受けることができました。


 そして慌ただしく冬越えの支度を整え、暖炉に火をべて夜に降り出した雪を眺めていた時のこと。

 急に今までに感じたことのない腹痛を感じ、わたくしはすぐに「産まれる」と直感し、ダルタフォレスに産婆を請け負ってくれた村長夫人を呼んでもらうよう頼みました。


 そして――――



「――――ぎゃあっ! ふぎゃあッ!!」


「良く頑張ったね! 元気な男の子だよ!!」


「やったか! ジーン良くやったぞ!!」



 戦闘中にも味わったことのない、内腑を抉られるような耐えがたい痛みを乗り越え、わたくし達の家の中に、元気な赤ちゃんの声が響きました。

 舌を噛まないよう咥えていたタオルを離し、精も根も尽き果てたわたくしの傍らに、文字通り腹を痛めて産んだ我が子を抱いたダルタフォレスが、その金色の目に涙を浮かべて跪きます。


 赤子の内は魔族でも角は生えていないという言葉を信じ恐る恐る手伝いを頼みましたが、村長夫人が居てくれなかったらきっとわたくしは途中で挫けてしまったでしょう。


 ダルタフォレスの抱いた赤ちゃん――産声を上げ泣き喚くわたくしの息子に、そっと手を触れてみます。その拍子に、むず痒かったのかうっすらと息子が目を開きました。


 ――――金の右眼に、真紅の左眼。

 わたくしと、ダルタフォレスの双方の瞳の色を受け継いだその子は、今までに見た赤ちゃんの誰よりも可愛く、美しく、尊くて愛おしい子に思えました。


 自然と、わたくしの頬を涙が伝っていました。



「ああ……よくぞ無事に母に会ってくれましたね……! わたくしの息子……。わたくしの〝セロ〟……!」


「ああ! 私達の息子だ! 良く頑張ったぞ、ジーン! セロも良く頑張った……!!」



 部外者である村長夫人が居る手前、お互いのことを偽名の〝ジーン〟と〝フォーレス〟としか呼べないのをもどかしく感じながらも、わたくしの胸は喜びと安堵に満たされていました。


 初雪の落ちる、そんな夜に。

 わたくしとダルタフォレスの息子セロは、この世に産声を上げたのでした。




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