【連載版】世界を孕んだ乙女は

テケリ・リ

始まり この身に世界を孕んだ日



「もう諦めなさい、魔王ダルタフォレス。今更わたくしを本陣からかどわかしたとしても、我ら人類連合の勝利は揺るぎません」


「敵地にただ独りだというのに豪胆なことだな、【あかつきの聖女】エルジーン・フォン・エペトフォニソカよ」



 わたくしはたった今、人間族、エルフ族、獣人族、ドワーフ族から成る人類連合軍の本陣から攫われて来ました。この我ら連合軍の仇敵、【凶乱の魔王】の名を冠するダルタフォレス・アブソリュースの手によって。


 魔王率いる魔族軍との長きに渡るいくさももはや終局が近く、つい先日には最後の四天王であった【灰燼】のバルバロッサを打倒し、この敵本陣たる魔王城を包囲したところでした。


 明朝の総攻撃を控えて陣幕で休息を取っていた、ほんの一時いっときの油断。

 そこを突かれて、無様にも魔王の私室と思しき部屋のベッドの上に投げ出されていました。



「魔王陛下にまで名が知られていたとは光栄ですね。魔王城を包み込む神聖結界の解除がお望みですか? でしたら無駄なこと。既に結界の維持はわたくしの手を離れています」



 味方の防護と回復の増力、並びに魔族の力の源泉たる瘴気の浄化を組み込んだ大規模結界の維持は、わたくしが籍を置くメイジェルフォニア教団の神官達が引き継いでいます。

 結界の起動こそわたくしの神聖術を駆使して行いましたが、要石を置きそこに神官達が神聖力を交代で注ぐことで維持は可能です。たとえ発動者たるわたくしが息絶えたとしても、結界が消えることはありません。



「さすがは歴代最高の聖女と謳われるだけのことはある。魔王たるこの私と、これほど近くで相対あいたいしても小動こゆるぎもせぬか。その高潔なる魂と精神に敬意を表する」


「まさか仇敵である魔王からお褒めにあずかるとは。連合の皆に良い土産話ができましたね。その象徴たる角も共に持ち帰り、人類勝利の祝杯の肴といたしましょう」



 気を強く持たねば。

 魔王から感じる威圧感プレッシャーは、魔族軍最高幹部であった四天王達とは比べ物になりません。


 わたくしが今この場で全神聖力を開放して立ち向かったとしても、魔王に僅かな痛痒を与えること程度しか叶わないでしょうね。


 しかし……だとしてもそれがどうしたのでしょう。


 この身はとうに女神メイジェルフォニアに捧げました。わたくしは女神の使徒として、神聖の代弁者として、【暁の聖女】として、魔に属する者に屈するわけにはいきません。

 そんな矜恃を胸に抱き、歯を食いしばって魔王の威圧に耐えます。



「そうであろうな。それでこそ……」


「……?」



 ふと自嘲めいた笑みを浮かべる魔王の表情に、違和感を抱きました。天を衝く二本の黒曜石の如き角は禍々しく、長く濃い紫の長髪を垂らし、整った顔に収まる黄金の瞳が揺れています。

 わたくしより頭二つ分は高い位置より見下ろす魔王の視線には、何故かは知らないがおよそ敵意や害意といったものは感じられなかったのです。



「もはや人類の勝利は盤石。四天王は皆落ち、残る兵共も我が側近と共に〝魔界〟へと退しりぞけた。この城には、私と其方そなたしか存在せぬ」


「は……? 今、なんと……?」



 にわかには信じられないことを言ってのける魔王。

 魔軍が去った……? それが真実なら、何故この男は未だにここに留まっているのですか……?



「それが王の……私の矜恃ゆえ。【暁の聖女】よ。エルジーン・フォン・エペトフォニソカよ」



 魔王ダルタフォレスがベッドに居るわたくしに近付いてきます。

 幾度動けと身体に命じても、連戦に継ぐ連戦で疲弊したわたくしの身体は魔王の威圧に絡め取られ、神聖力は練り上げても動くことは叶わない。


 ならばとせめて睨み付けるが、それをそよ風でも感じたかのような微笑を伴ってすり抜け、遂にはベッドのたもとに辿り着く。

 そのまま腕を伸ばし、親指と人差し指でわたくしの顎を挟むようにして顔を上げさせました。



「其方に、我が首を捧げよう」



 ――――は?

 この男は何を言っているのですか……?


 混乱に陥るわたくしを置いてけぼりに、魔王ダルタフォレスは言葉を続けました。



「どのつわものよりも多くの我が配下を葬った戦場の鬼神よ。そしてどの聖職者よりも多くの兵を救った慈愛の母神よ。初めて見た時から私のこの魔眼には、其方が誰よりも美しくそして……輝かしく映った。


「【勇者】や【剣聖】では足りぬ。さかしらな【賢者】などもってのほかだ。私を討つに値する者は其方しか……いや、我が目を奪い放さぬ其方でなくてはならない」



 一見すればこの世のものとは思えぬほどに整った容貌の魔王から、ともすれば愛の囁きとも取れる言葉を投げ掛けられる。


 わたくしの混乱はピークに達していました。



「一体何を言っ――――ンんッ!?」



 言い募ろうとしたわたくしの口が塞がれる。わたくしの目には視界一杯に、魔王の黄金の瞳と、長い睫毛が映し出されていました。


 唇を奪われた、と気付いた時にはすでにわたくしの身体は抱きすくめられ、魔王の舌がわたくしの口内へと侵入し、歯をこじ開けてわたくしの舌を絡めとっていました。

 水音のような卑猥な舌と唾液の絡む音に、わたくしの頭と身体には稲妻のような感覚が駆け巡ります。



「ん……ふぁ……っ!」



 一瞬だったのか、それとも長い時間だったのか。魔王の唇から解放された時には、わたくしの頭には霞が掛かったかのようで、少し離れた位置にある魔王の顔を睨もうとする視界は滲んだ涙で歪んでいました。

 お互いの口を繋ぐ唾液の糸が部屋の明かりに輝いて見え、無性に淫靡いんびに思えて顔に熱が溜まるのを感じます。



「我が首と引き換えに、其方の純潔を頂く。私が見初みそめた戦乙女よ。誇り高き聖女の純潔を……その輝く聖女の証たる白髪も、紅玉ルビーと見紛う美しい瞳も何もかもを私に捧げ、人類の勝利のいしずえとせよ。そして我が子を孕み、慈しみ育てるのだ」


「な、何を……っ」



 身体に力が入らない。生まれて初めての接吻を奪われ、さらにはわたくしの純潔まで奪おうとのたまう魔王を引き剥がしたくても、腑抜けた両の手は力無く魔王の胸板を叩くのみでした。


 そんなわたくしに対して魔王ダルタフォレスは、息の掛かるような至近から、その金の瞳を真っ直ぐに向けて言葉を続けました。



「其方の純潔と我が首とを引き換えに、人類はこれ以上の命を損なうことなく勝利するのだ。そして私と其方の子が健やかである内は、この先魔界が人界を狙うことは無いだろう。


「これは私を打倒した人類への呪いであり祝福――わば〝くさび〟である。其方が我が子を悪へとはぐくめば、子は新たな魔王と成り魔界へと帰還し、たちまちに混沌を巻き起こすであろう。


「しかし愛をもって慈しみ善へと育めば、我が子は聖王として人界を守護し、その命尽きるまで人界には平和が訪れよう。【暁の聖女】エルジーンよ。高潔にして慈しみ深き乙女よ。其方はこれより世界の運命を孕み、育むのだ」



 魔王の言葉が鎖となって、わたくしの心を縛り付けます。


 戦に敗れた王として首を差し出す代わりに、わたくしを孕ませると。対極に位置する〝魔王〟と〝聖女〟の間に子を成し、それをわたくしに育てよと。


 わたくしの脳裏には、この十八年の生や長い戦で深く関わってきた皆の顔が浮かびました。


 共に戦場を駆け抜け、軍を牽引してきた【勇者】ライオット・フォン・クローネンディア王子殿下。殿下の旗の下に集った【賢者】アルネティウス・ヴァレンタイン。【剣聖】マーガレット・ケイネスベルク。孤児であったわたくしに恐れ多くも爵位と家名を与えて下さった、我がクローネンディア王国の国王陛下。

 そして……わたくしを慈しみ育て導いて下さった、孤児院のメイナード神父様とシスター・アドリアーネ。親の顔を知らぬわたくしの、第二のお父様とお母様……。


 おのれの純潔一つで長かった戦乱に終止符が打たれる。女神メイジェルフォニアより神託と加護を授かり聖女と成り、穢れを退け続けてきたわたくしにとっては――――聖女としての己の死と同義でありまた、神託の遂行でもあると思えました。


 鼓動が早鐘のようにうるさかった。


 魔王の子を孕めば、わたくしはもはや皆とは関われないでしょう。健やかに育めと言った以上は堕胎し命を奪う訳にもいきません。そもそも女神に誓いを立て神職に就く自分が、授かった赤子を殺害するなど出来うるはずもありません。

 今この場で舌を噛み切り命を終えては……いえ、それもできませんね。それはこの世にわたくしを生み落として下さった両親への、何より総ての母たる女神、メイジェルフォニアへの冒涜に他ならないからです。


 心が揺れる。


 貧しく忙しなくも温かかった、孤児院での暮らし。神聖力に目覚めてからの長く辛かった訓練の日々。昨日共に食事をした人を今日弔う戦争の惨憺さんさんたるありさま。


 死ぬ間際に垣間見ると聞く走馬灯のように、わたくしの駆け抜けた人生が灯火のように流れていきました。



「……分かりました」



 密着し見詰め合ってどれくらいの時が経ったでしょう。無駄に紳士らしく、律儀にわたくしの返事を待っていたらしい魔王へと、わたくしは精一杯の虚勢をもって視線を合わせます。



「良いでしょう、魔王ダルタフォレス・アブソリュース。わたくしを孕ませなさい」



 初対面の男に、しかも仇敵である魔王に手篭めにされ孕まされる。それも聖女として当然無垢なまま守り通してきた、我が身の純潔を捧げて。


 彼の言を信じるならば、今やこの地に敵対する魔族はもはや彼――魔王ダルタフォレスのみ。

 連合の総力をもってすれば、正面から打倒することも可能かもしれません。


 しかしそれでは、また多くの命が犠牲となってしまいます。魔王たる彼との決戦ともなれば、四天王達と戦った時よりも多くの死傷者が出るであろうことは、想像に難くありません。


 たとえ【暁の聖女】と呼ばれるわたくしであっても、死者の蘇生などは出来得ないのです。

 それならば。


 ――――心臓は早鐘を打ち続け、羞恥と悔しさと敵意で顔が、身体が焼けるように熱い。



「それでこそ我が宿敵。私が見初めた最愛である、エルジーン・フォン・エペトフォニソカよ。其方はこれより、世界の母となるのだ」



 そんなわたくしの顎を再びつまみ上げ、魔王は再び、わたくしの唇を塞いだのでした。




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