王が死んだ。

@turugiayako

第1話

(物語とは)時間的な展開がある出来事を言葉で語ったもの(中略)したがって、最小の物語は次のようなものとされる。

 王が死んだ。

(橋本陽介「物語論 基礎と応用」講談社選書メチエ 第37ページより引用)

 

 王が死んだ。

 一日も経ずに、王妃が死んだ。

 王子が死んだ。

 王弟が死んだ。

 王の母が死んだ。

 宰相が死んだ。

 将軍が死んだ。

 王の住む宮殿の庭師が死んだ。

 王の乗る馬の世話係が死んだ。

 王の住む宮殿で働くすべての召使と、警備をする兵士たちの全てが死んだ。

 宮殿に食材を売りに来る業者たちが死んだ。

「おかしい」

 誰かが叫んだ。

「人が沢山、死にすぎている。王様も他の人たちも、まだ死ぬような年齢じゃないのに。何か絶対、異常なことが起こっている」

 そう、疑問を口にした人が、死んだ。疑問を口にしてすぐに死んだ。

 床屋が死んだ。

 肉屋が死んだ。

 警察官が死んだ。

 わずかな期間の内に、王が住んでいた宮殿と、宮殿が立っているその国の首都に住む、全ての人が死んだ。赤ん坊も、老人も、男も女も区別なく、全ての人が死んだ。何故死んだのか、その理由はわからなかった。どんな種類の病気にもなっていない人が、唐突に、一切の前兆なく、死んでいった。苦しむわずかな時間すらなく、目を閉じて倒れていった。

 その現象は、首都だけにとどまらず、一週間のうちに、その国の全土に広がり、全ての国民が死んだ。

 その次の日に、隣の国の王が死んだ。

 最初に王が死んでから、一か月も経たないうちに、地球上に住む人類のほとんどが、原因不明の死を迎えることになった。


 少年は、床に倒れこんだ父と母に、毛布を掛けてあげた。

 二人は、目を閉じて、安らかな顔で、死んでいた。

 いつものように、家族三人で食事を済ませた後、二人が急に倒れた時、少年はすぐに、両親が死んだのだということを理解した。

 これまで、友だちが沢山、同じように突然死んだのを見ていて、慣れていたから。

 両親の死は悲しかったけれど、涙は出てこなかった。これもまた、慣れのせいかもしれなかったし、少年にとって最近の日常が、まるで長い夢を見ているかのように現実的ではないように感じられたからかもしれない。

 少年は、死んだ人に対してどんなことをしてあげればよいのか、未だによくはわかっていなかった。ただ、死んだ人には、布団に寝かせて毛布を掛けてあげるものだということは知っていた。だけど動かなくなった大人の体を抱えて寝室まで運んでいくことは出来なかった。寝室から持ってきた毛布を二人の遺体にかけてあげることしか、少年には出来なかった。

 床に座って、両親の遺体を、少年はじっと見つめている。

 少年の目の前に、大人が姿を現した。

 ドアを開けて部屋に入ってくるわけでもなく、目の前に突然現れたから、少年は驚いた。

「姉ちゃん、誰?」

 少年には、その大人が、若い女性に見えた。

「姉ちゃん、じゃないよ。私には、性別はない」

 少年の問いに対して、姉ちゃんと呼ばれた人物は、首を振って答えた。

「私は、死だ」

「死?」

 少年は、ただ、言葉を繰り返した。

「そう、死だ」

 死と名乗るその大人は、腰をかがめて、少年と同じ目線になって、ゆっくりと言葉を紡いでいった。

「きっと、私がどんな存在なのかは、詳しく説明しても、君には理解できないだろうと思う。だから、三つのことだけを、伝えておく。

 君が、今地球に生きている、最後の人間だということ

 私の姿を見ることが出来るのは、死ぬすぐ前の人間だけだということ。

 君は、これからすぐに、死ぬということだ」

 少年は、ぼう、と、死を見つめて、今自分に対して言われた言葉を、考えた。

 少年は、激しく、泣き出した。

「死にたくないよ! 俺、死にたくないよ!」

 大声が室内に満ち、涙が床にぽたぽたとこぼれる。泣きわめく少年を、死は、しばし、見つめた。

 人類の歴史上、最後に流される涙を、死は、出来れば、ずっと、見ていたかった。もう二度と、きっと見ることは出来ないだろうとわかっていたからだ。

 だけど、死は、己に与えられた使命を果たさなければならなかった。

 死は、泣き続ける少年に、手を伸ばした。細く、長い指が、少年の額に、そっと触れた。

 止まる涙。

 閉じる瞳。

 室内に、一瞬響く、倒れる音

 死は、床を見下ろした。床では、さっきまで泣いていたのがウソに思えるような安らかな顔をして、少年が倒れていた。

 少年が死んだことは、確かめるまでもなく、死にはわかった。全ての人間が死んだということが、死にはわかった。

 床に倒れる三人家族の遺体を残して、死は家を出て行った。

 外は、死体が至る所に転がっていた。路上にも、お店の中にも、公園のベンチにも、死体があった。全て、死がその体に触れることで、命を奪ってきた人間たちだった。老人も子供も、女も男も関係なく、死はその命を奪ってきた。それは人類がこの星に誕生してからずっと変わらないことだったが、ここ一か月ほどは、特に大変だった。死はこれまでよりもずっと沢山早く働いて、人類すべての命を奪わなければいけなかったからだ。ようやく使命を果たし終えて、こうして街のいたるところに転がる死体を見ながら歩いていると、死は深い安堵と達成感を覚えた。

 もちろん、それらと同じくらい、寂しさだって、死の胸の中にはある。

 もう、人間が生きている姿を見ることが、死には、出来ないのだから。

 死は、人間が好きだった。彼らが笑ったり、泣いたり、怒ったりして、うじゃうじゃと大地にうごめきながらいろんなことをしている姿を見るのが好きだった。人類という生き物が地球に生まれてからずっと、死はそれらを見てきた。人間の命を奪うのが死の使命であり、人類は地球に生まれてからずっと死に続けてきたのだから、死は人類がしてきたことはすべて見てきたのだ。

 だけど、もう、見ることは出来ない。

 死んだ人間は、一体どうなるのだろう?

 死はちらりと、再びこういうことを思った。その疑問は、これまで何度も死の心に浮かんできた疑問だったのだけれど、死は未だに答えを見つけることが出来なかった。死はこれまで、人類が生まれてきてからすべての人の命を奪ってきたが、自分が命を奪った人間の心とか自我、まとめて魂などと呼ばれるものが、肉体が滅んだ後にどこへ行ってしまうのか、全く知らなかった。人間たちが頻繁に口にしていた、死後の世界とか幽霊とか呼ばれるものが本当にあるかどうかも、死にはわからなかった。そんなものは見たことがないからだ。

 その疑問は、必ず、このような疑問へとつながる。

 いつか、自分に、死ぬ時は、来るのだろうか? 

 自分が死んだら、この心は、消えてしまうのだろうか、それとも、どこかへ行くのだろうか、いくとしたら、それはどこなのだろうか。

 いくら考えても、この問いに対する答えを、死は見つけ出すことが出来なかった。

 今、死体だらけの街を歩きながら、死は再び、この問いに向き合っていた。

 使命を果たし終えた今、死には、存在し続ける理由が、無い。

 人類と共に、死は存在し続けた。人類の歴史が終わりを迎えた今、死が存在しなければいけない理由は、無いはず。

 もしも、死自身に、死ぬという瞬間が訪れる時が来るのだとしたら、使命を果たし終えた今、いつ来ても、おかしくはないはずだ。

 いつ来るかはわからないし、永遠に来ないかもしれないが。

 これからどうしようと、死は思った。

 死にはもう、やるべきことがなかった。といって、したいこともなかった。もうこの星には人間はいないのだから、彼らのしていることを見ることは、もう死には出来なかった。死に出来ることは、こうして、かつてこの星には人間という生き物が生きていたのだということを示す証である街を、ただ歩き続けることだけなのだ。

 歩き続けることと、考え続けることしか、死にできることは、もう残されてはいなかった。

 考え続けよう。死は決めた。いつか自分にも死ぬ時が訪れるかもしれないし、訪れないかもしれない。死ぬ時が訪れるならその時まで、訪れないならば永遠に、考えられることだけは考え続けようと死は決めた。

 考えられることは、数えきれないほどあった。例えば、結局地球に人間という生き物が生きていたことには、どんな意味があったのか、という問いがその一つだ。彼らが生きていたことに、意味はあったのかなかったのか。たとえ答えが出たところで伝えるべき相手もいない問いかけに過ぎないのだとしても、死にはこれはとても興味深い問いかけであるように思えた。

 死はこの問いについて思いを巡らしながら、地面を踏み、風に吹かれて、もはや生きる人は一人もいなくなった街を、世界を、歩いていった。

 

 


 

 

 

 


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