第35話 お兄ちゃん

  ◇ ◇ ◇



 中学二年生の三月のことだった。


 学校の校舎から門へ続く道には、桜並木ができていた。この桜は早咲きの桜で、世間ではまだ桜は開花されてもいないことになっている。この桜でさえも、先始めといったところだった。


「悠香、」


 誰かが私のことを呼び止めた。聞き覚えのある、よく聞いた声だった。


「どうしたの? 莉鳥りとり


 横に合流した彼女にそう話しかける。


 彼女は同じクラスの多田ただ莉鳥りとり。部活も同じだったことから、仲良くなった。


「今日うち来れそう?」

「うん。大丈夫だと思う」

「よかったー。進みが早すぎてさ、塾じゃ全く追いつかなくて」

「そっか」


 この中学校は私立中学校で、中高一貫校。そんなこともあってか、勉強の進みが早く、公立の中学校に合わせている塾では、全く追いつきそうにもなく、たまに勉強を教えるようになっていた。


 とはいえ、この中学校の偏差値は私立の中ではそこまで高くは無く(低いわけでもない)、その割には勉強について行けなくて辞めていく人も多い。良いとは言えない学校だった。


 でも悪いわけではなく、校舎は綺麗だし、制服も可愛いし、男子の制服もかっこいい。ただの学校生活を送るにはちょうどいい学校だった。


「私もいいですか?」


 さらに後ろからそう聞いてくる人物がいた。彼女もよく知る人物だった。


「いいよ」

「ありがとうございます」


 彼女は石吾いしご綺亜きあ。莉鳥と同じく、同じクラスで同じ部活。こっちも同じようなきっかけで仲良くなった子。


 敬語なのは昔からの癖らしく、穏やかな話しぶりからかなりのお金持ちのようにも思える。勝手な偏見だが。


 綺亜は勉強もできるからあまりこういうことはない。でも断る理由はないから了承した。



 その時、久しぶりにものすごく大きな魔力を感じた。いや、さっきから感じてはいたけど、最近はずっと魔力を避けて、感じないようにしていたためか、癖でその魔力さえも感じないようにしていたのかもしれない。


 周りは多少ざわついている。いつものような話し声の騒音ではなく、何かを怪しむような声。みんなが小声で話すから、変なざわつきに聞こえる。


 桜並木の向こう側に、見覚えのある人物が立っていた。


 この学校ではない、他校の制服のようなものを着た男。


 私はその人に駆け寄って行った。

 莉鳥と綺亜は一瞬動揺したものの、後ろからついてきているのを感じた。


「お兄ちゃん……!」

「おぉ……悠香。久しぶりだな」

「うん」


 その人が、私の実の兄、朝吹悠莉だった。


「悠香、この人は……?」

「私の、お兄ちゃん」

「お、お兄ちゃん!?」


 二人はいいリアクションを取ってくれた。


 周りがざわついていたのは、知らない学校のイケメン男子が、校門前で誰かを待っていたから。

 一応、お兄ちゃんはイケメンの部類に入るらしい。一つ年上の従兄弟がそう言っていた。


「朝吹悠莉です。いつも妹がお世話になってます」


 お兄ちゃんは莉鳥と綺亜にそう挨拶をした。


「あ、え、えっと、多田莉鳥です! こちらこそ、いつも勉強教えてもらったり、お世話になってます!」

「石吾綺亜と申します。こちらこそお世話になっております」


 二人は反射的にそう挨拶をした。


「悠香にこんなイケメンのお兄さんがいたなんて……何で教えてくれなかったの?」

「いや……そのー、教える必要ないかなーって。そういう話にならなかったし」

「えー」


 莉鳥は不満気味だった。


「久しぶり……ということは、どこかに行っていたのですか?」


 綺亜がそう聞いてきた。


「……あー、俺、留学してて」


 私が答えるのに迷っていると、お兄ちゃんは自分でそう答えた。


「留学ですか」

「ああ」

「どちらへ行かれていたのですか?」

「主にヨーロッパ。まあ、留学というか、半分旅行みたいなもんで……日本じゃ義務教育だから、行ってなくてもちゃんと学歴書けるしって感じで、三年間ほぼ帰って来てなくてさ」

「左様でしたか……義務教育ということは、中学生なのですか?」

「うん。悠香の一つ上」

「なるほど……興味深いです」


 綺亜とお兄ちゃんはどんどん話を進めていく。綺亜の感じに、初見でついて行けるお兄ちゃん……なんかすごい。



「悠莉さん、あの……」


 お兄ちゃんと綺亜の話がひと段落した後、莉鳥がお兄ちゃんに話しかけた。


「ん?」

「勉強教えてもらえませんか……?」

「えっ」

「留学してたなら、英語とか……!」

「ごめん。俺、もうすぐたなきゃいけなくて」

「そうですか……なんか、すみません」

「こちらこそ、ごめんね」


 お兄ちゃんは学校にまともに行ってないせいか、勉強自体はそこまで得意ではない。戦闘になれば別の話だけど。



「それにしても、何でお兄ちゃんがここに?」

「鍵無くて。あの人に言ったら、悠香が帰るのを待てってさ」

「な、なるほど……」


 その時、背後から私たち三人が同時に同じ誰かに呼ばれた気がした。


 呼んだのは、私のクラスの担任兼部活の顧問の先生だった。


「ちょっと手伝ってくれないか? 卒業式の準備なんだが、間に合いそうになくて」

「……わかりました」


 先生の頼みに、私たちは一瞬顔を見合わせた後、三人は先生の頼みを聞くことにした。


「お兄ちゃん、鍵」


 私はお兄ちゃんに鍵を渡し、校舎に戻って行った。



 私たちは中学別棟にある美術室に案内された。


 美術室は普段と何も変わりは無く、大きな机が十個並べられていて、その上に各机六つの椅子が、足を上にして置かれていた。本当にごく普通の美術室だった。


 卒業式の準備といったが、全くそれらしきものは見当たらない。


 そんなことを考えていた時、ドアの鍵が閉められる音がした。すごく小さな音だったが、なんとなく聞こえた気がした。


 莉鳥と綺亜は二人で話していたためか、聞こえていない様子だった。


 ドアの前にいるのは先生。先生が鍵を閉めたことになる。


 私たちを監禁しようとか、そういった感じではない。それなら学校の教室の鍵は向いていない。内側からは簡単に開けることができるから。となれば、外からの邪魔を防ぎたい。そんな意図があるのだろうか。


 どんな理由だとしても、怪しすぎる。


 そこまで考えたところで、先生は不気味な笑い声を上げた。


 莉鳥と綺亜もそれに気付いて、話を止めた。


 教室が静まり返る。全く何も聞こえない、無音の世界。別棟のおかげか、何の音も聞こえなかった。誰もいないと思われるから、何かあっても助けを呼ぶことはできなさそう。


「君たち、少しは疑いなよ。急に卒業式の準備だなんて」


 先生はそう言った。


 でも、実際、明日が卒業式であって、準備があるというのも知っていた。助けてくれ的な感じで言われれば、乗ってしまうのは当たり前だろう。担任の先生ともなれば尚更のこと。


「特に君」


 そう言って、先生は私のことを指さしてきた。


「魔術師のくせに、襲ってこないんだもん。ね? 朝吹家のくせに。最強と呼ばれる兄とは違うか。やっぱり。出来損ない」


 その言葉は、かなり心に刺さってきた。


 確かに事実だし、自覚もしている。先生が呪人だということも。


 でも、一般人が居る中で、襲うわけにはいかなかった。それはどんな魔術師でもそうなると思う。お兄ちゃんでさえも。


「な、先生、何言ってるんですか?」


 莉鳥が先生にそう聞く。

 先生はドア付近から教室の中央部に移動し、黒板側にいる私たちの正面に立った。


「君にはわからない世界だよ。まあ、そいつを殺したら教えてやってもいい」


 先生が言う『そいつ』とは私のこと。殺す気はかなりあるみたいだった。


 できることなら対抗したい。でも、先生の魔力は今の私では敵わないほどの強さで、とても相手にはならない。


 だからずっと目を背けてきたし、機会をうかがってもいた。


「さあ、術式と術式で、戦おうじゃないか」


 先生……いや、呪人はそう言い放った。


 そして私の答えを聞くことも無く、呪人は剣を生成し、一気に迫ってきた。

 それと同時に呪人の肌の血色が一気に失われていった。


 私は咄嗟に腕をクロスしてその剣を受け止めたが、相手の力が強すぎて、どんどん腕に食い込んでくる。


 この状態を解くわけにはいかず、痛みに耐えるしかなさそうだった。


 ――お兄ちゃんが来るまで。

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