第12話 兄弟

 夏唯はキッチンから水のペットボトルを持ってきた。


「ほい」

「あ、ありがとう」


 凛空は夏唯からそれを受け取った。


「この部屋、俺の部屋だから、ここで休憩してて。俺は報告してくる」

「わかった」


 そして夏唯は部屋を出て、玲磨の元に向かった。凛空はどこに向かったかはわかっていない。



 夏唯の部屋はすごく綺麗だった。

 あまり使っていないというのもあるが、綺麗に整っていた。だが、全く使っていないわけではない。


 召使いにやらせているわけではなく、夏唯が自分でやっていること。綺麗にしておかないと、落ち着かないような感じがあった。小さい頃から周りの目を気にしてきたからこそ、今ではもう癖になっていた。


 その時、誰かが部屋の扉をノックした。直後、その扉が開き、誰かが顔を出した。


「あ、え、えーっと……」


 凛空はこの状況をどうしたらいいかわからなかった。


「君が従兄弟か……」


 その男はそう呟いた。


 従兄弟という発言から、凛空は皐月家の誰かかと推測していた。


 そしてその男は、夏唯の部屋に入った。


 その男には左腕がなく、袖がその部分だけぶら下がっていた。凛空はそれを見て少し固まってしまった。


「えっと……?」

「俺は皐月つばさ。今の当主の長男」

「えっ……あ、風晴凛空です。えっと……」

「君のことは聞いてる。よろしくね」


 翼はそう自己紹介をした。


 また、翼は顔色が悪いように見える。左腕の欠損によるものかと凛空は推測し、少し心配になってしった。


「今、十九で、今年二十歳。でも、普通にタメでいいし、呼び捨てでいいからね」

「わ、わかった」


 翼は、夏唯よりも強い魔力を持っている。凛空はそんなことを感じていた。


 そして翼は、躊躇することなく凛空の右隣に座った。


「凛空は、何で訪ねてきたの? 俺、それは聞いてなくて」

「そうなの?」

「うん。父さんは教えてくれないし、夏唯とは……そんなに、仲良くないから」

「そう……なんだ……」


 仲良くないのに部屋には入ってくるんだ……と凛空は思ってしまった。


「それで? 理由は何なの?」

「あ、その……皐月の術式を、教えてもらうために」

「そうなんだ」

「夏唯は、ここじゃなきゃ教えられないって。そう、言われて……」


 凛空は理由を包み隠さず説明した。


「夏唯が教えたんだ」

「うん」

「夏唯、そんなことする人じゃなかったのに」

「えっ?」

「あ、いい意味で、変わったなってこと」

「なる……ほど……」


 夏唯は、翼が知らないうちに成長していたみたいだった。兄だからってなんでも知ってるわけじゃないか。


「なんか、必死なんだよね……夏唯」

「そうなの?」

「うん……」


 凛空にはわからないが、翼が言うならそうなのかもしれないと思った。


「俺たちは三人兄弟の一番上と、末っ子。だから、昔は仲良かった」


 翼はなにやら語り始めた。


「俺は元々身体が弱くて、入退院も多くて、あまり家からも出なかった」

「ほう……」

「ある日、二人で久しぶりに外に出た時、怪物に襲われた。俺は小学生だったし、夏唯は幼稚園生だった」

「えっ……」


 凛空は思わずそう声を漏らした。


「術式を使ってなんとか怪物は倒した。六系家の子供なんて、みんなそれくらいから戦えるようにはなってるから。でも、俺は左腕を失った」


 左腕が無いのは、その時の怪我によるものだった。


「それを、夏唯はずっと悔しがってるっていうか、『もっと俺が強ければ……!』って、思ってるらしくて、それで無理してるみたいで……」

「そう……なんだ……」


 夏唯には後悔からくる何かがあるのだろう。

 凛空はそんなことを経験したことはないけれど、仮に経験したならば、自分も夏唯と同じことを思うのかもしれないと思った。


 幼稚園生だった時のことでそんなことを思うくらい、夏唯にとってはかなりのトラウマだった。


「それに、真ん中の弟もさ、『俺が兄さんを守る』とかって言って、何か頑張ってるし……複雑でさ……」

「ほう……」


 凛空は兄弟愛を感じた。凛空に兄弟はいない。だからこそ、少し羨ましいとも思った。


「俺は、ただ身体が弱くて、左腕がないだけで、ちゃんと魔術師だし、皐月家の後継ぎだし、弟に守ってもらわなくても、自分の身くらい、自分で守れる。でも、そんなハッキリとは言えないし……さ……」

「なるほど……」


 翼の魔力は夏唯よりも多い。ならば、自分の身は自分で守れるのは確実で、守れなければ、誰が居たって変わらないような状況になる。確かに守ってもらわなくても大丈夫だった。


「ごめんね、こんな話。初対面なのに」

「大丈夫……愛されてるんだね、翼は」

「……そう……かもな」


 そう言って翼は立ち上がって部屋を出ようとした。


「じゃあな。また話そう」


 翼が扉を開けると、そこには夏唯がいた。


「夏唯……」

「にい……さん」


 夏唯の表情は、驚きというか、悲しみというか、何とも言えない表情をしていた。


「兄さん……!」


 夏唯はそう叫ぶような声を上げ、翼に抱き着くようにしがみついた。


「兄さん、俺……」


 夏唯は何かを言いかけたが、一瞬黙ってしまった。


「俺、兄さんのために魔術師やってた。兄さんのために強くなろうとしてた」

「夏唯……その……」

「前まではそうだった」

「夏唯……」

「でも、そこで、目標ができた」

「目標……?」

「俺は、そのために強くなる。兄さんは、俺より強いから……さ。俺は、兄さんのためにならなくていいって、わかってた……」


 夏唯は、所々笑顔を見せながらそう言った。


「夏唯……」

「兄さん、俺を、魔術師にしてくれて、ありがとう」


 夏唯は翼にそう言った。


「夏唯……俺こそ、俺を強くしてくれてありがとう」

「えっ……?」


 翼も、夏唯と同じようなことを言った。


「……他意はないよ」


 そう言って翼は立ち去って行った。



「ごめん。変なとこ見せちゃって」


 夏唯は涙を拭いながらそう言って、部屋に入った。


「いや、大丈夫」

「話聞いちゃった。ありがとね、兄さんの話聞いてくれて」

「いや……逆に、聞いちゃって大丈夫だった……?」

「うん。兄さんが言うって決めたことだろうから」

「そっか……」


 凛空は夏唯のその答えを聞いて、少し安心した。


「あの時の記憶は、永遠に俺にしがみつくと思う。でも、それを乗り越えなきゃ、強くなれないんだなって」


 乗り越えなきゃ強くなれない……か……と凛空はその言葉を心に刻んだ。


「逆を言えば、辛くて苦しい過去を乗り越えた魔術師は強い。俺はそう思う」

「なるほど……」

「……兄さんは、本当に強いと思う。身体が弱い代わりに魔力をもらったみたいに」

「へぇ……」


「俺は、悠莉に出会って、やるべきことを見つけた。兄さんへの罪滅ぼしとか、そういうのじゃなくて、単純に悠莉に追いつきたい。悠莉よりも強くなりたい。そう思うようになった。ほんとにすごいよ、悠莉は」


 夏唯は、自分の想いを吐露した。


「確かに、悠莉はすごいと思う。俺をここに来させたのも、悠莉だし」

「そう……なんだ」

「うん」


 夏唯は「さすが悠莉だなぁ……」と呟きながら伸びをした。


 凛空も夏唯も、悠莉に影響を受けていた。

 このことからも、本当に悠莉は最強の魔術師という名前に相応しい人だと、凛空は思った。


「あ、さっき教えたこと、覚えといてね」

「うん」

「覚えてれば、思い出して、とっさにでも使えるようになるかもしれないし」

「なるほど……わかった」


 火事場の馬鹿力みたいな感じだ。有り得なくはなさそうだが、そこまでしょっちゅう起こるようなものでもない。

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