09 暗転、混迷、そして……
そして、百日目。
事態はさらなる展開を見せる。
その日、パルテルミット・シギディンは、
彼女はプラチナブロンドの長い髪を物憂げにかき上げ、暗号文を機械的に解読していく。
最初は退屈そうにその作業をしていたが、読み進めていくうちに、次第にそのエメラルド色の瞳に、驚きが宿った。
彼女が立ち上がると同時に、副官のハリエット・ミュンスター中尉が飛んできた。
「て、提督!」
「どうした、まさかヴェスパー・ファン・シュミットが、この星に降りて来るとか言うんじゃないだろうな」
ハリエットは上官の冗談のセンスの無さにいつも溜め息をついていたのだが、今回ばかりはちがった。
「……よく分かりましたね」
「何?」
驚愕するパルテルミットだが、本国からの通信を再度見ると、さもありなんと呟いた。
「……何が、さもありなんなので?」
困惑する部下に、パルテルミットは本国からの暗号文を見せた。
ハリエットは解読しながら読み上げていく。
「国……王……崩……御? 国王、崩御!?」
王に子は無く、現在、臨時的に王妃が最高権力者として国王の執務を代行する運びとなったという。
「一大事じゃないですか!」
「そのとおりだ」
困惑する二人に、ピアチェンツァ
大胆にも、たった一人で。
*
さすがに旗艦マンネルハイムの中では、落ち着かないだろうということで、いわば「中立」の銀河鉄道のカルパチア駅の駅長室を借りることになった。
駅は無人のため、ヴェスパー・ファン・シュミットが車掌としてのキーコードを入力し(まだ車掌としての登録は解除していなかった)、駅のAIが駅長室のロックを解除した。
「しばらく二人きりにして欲しい」
上官たるパルテルミット・シギディンにそう言われ、ハリエット・ミュンスター中尉は駅長室の前にたたずむことにした。
さすがにヴェスパーの沈痛な面持ちから、彼が何か企んでいるとは思えないが、最近のパルテルミットはどこか捨て鉢なところがあるので、それが心配だったからだ。
ハリエットが駅長室の廊下の窓の
*
「――降伏しろ、シギディン提督」
「――きつい冗談だな、
シギディン艦隊は、惑星カルパチアの占領活動に備えて、ある程度の糧食、物資を保持している。籠城するのなら、まだまだ出来る程度は備蓄があった。
「大体だ――互いの本国が、同時に兵を退くということで、手打ちにしたんだろう?」
パルテルミットは、先ほどの本国からの重要秘匿通信をプリントした暗号文をひらひらとさせた。
それには、国王崩御と同時に、ピアチェンツァとの一時停戦と、そして速やかに帰国するよう求める命令が記されていた。
ヴェスパーはその暗号文を一瞥しただけで、特に表情を表さず、話をつづけた。
「――それで、本国へ帰って何とする?」
「何とする?」
パルテルミットは暗号文を握りつぶした。
「何もしない。ただ兵を解散して、復命して――」
「誰に復命するんだ?」
「誰って……」
パルテルミットはそこで絶句した。
ヴェスパーは、やっと気づいたのかと言いたげな視線を向けて来た。
「たしか、
「? 王妃は
「甘いんだよ!」
ヴェスパーが激昂しながら駅長の机をたたく。
パルテルミットは何を言っているんだか分からず、ただ立ち尽くすだけだ。
「パルテルミット・シギディン」
「……はい」
改めて姓名で呼ばれると、何故だか緊張してしまう。
というか呼び捨てなのだが、特に敵意は湧かなかった。
「……おい、シギディンという名乗りに問題があるって言ってるのが、分からないのか?」
ヴェスパーはため息をついた。
「シギディン家は、崩御した
今度はお前呼ばわりである。
だがパルテルミットに
「お前が……王位継承権を持っていることになるんだよ、
「何!?」
それは盲点であった。
あとで判明したことだが、
後日、王位継承権がパルテルミットにあるのを「由々しきこと」として、自らの
しかしそれは、王妃が「陛下の子が生まれれば問題はない」と、これまで拒んでいたのだ。
「……分かるか? 王妃は、お前がそれに気づいていないと思ってる。気づいていたところで、帰還命令は有効だ。きっと手ぐすね引いて、お前が宮中に参内するのを待っているぞ……始末するためにな」
「…………」
「だがこの時点で、お前がおれに降伏してしまえば、話がちがってくる。捕虜になってしまえば、本国に戻ることはできない。今さら、虜囚の辱めが、とか言うなよ?」
「……どうして」
パルテルミットは、いつの間にやらヴェスパーの目の前にまで、迫っていた。
「……どうして、そこまでする? 今も、たった一人で敵陣にやって来てまで」
ヴェスパーは、パルテルミットに迫られて赤面しながらも、だが口を開いた。
「今回の戦いはおれが招いた。航路図を奪った。そして、この惑星にお前を閉じ込めたのもおれだ。国王崩御は不可抗力としても、お前のこの状況を作ったのはおれだ。当初の計画通り、ピアチェンツァを
だからその代わりだ、銀河鉄道での非礼を詫びる意味も含めてな、とヴェスパーは結んだ。
だが。
そのヴェスパーの前で。
パルテルミットは笑った。
狂ったように。
「くっくっく……とんだ甘ちゃんだな、ヴェスパー・ファン・シュミット」
「……何が言いたい?」
「おや? 気づかぬか? 今度は
ヴェスパーが何を言っているか分からないと答えると、パルテルミットは端末にある画像を呼び出した。
惑星カルパチアの、一番寂れた墓の墓標を。
「……これは」
「分かったか? 気づいたか? さっき、パルテルミット・シギディンとか言ったな? だがその前の名乗りを、知っているのか、お前は?」
「い、いや……」
「だから甘ちゃんなんだ! 何故そこを調べない!」
パルテルミットは今、心の奥底から湧く、激情に突き動かされていた。
ヴェスパーの気持ちは分かる。
それはとてもありがたく、とてもとても嬉しいことだった。
しかし……。
「いいか、
いっそ嘲るように、パルテルミットは顎を突き出して、醜く笑ってみせた。
「…………」
一方のヴェスパーは、これ以上ないといった感じの、兇悪な面相をしていた。
「どうした? さっさと王妃にわたしを突き出したらどうだ? いや、いっそのこと、この場で殺してみないか? それともあれか? わたしを好きにしてみないか? こんな貧相な
「……やめろ!」
その怒鳴り声に、駅長室の外のハリエットが息を呑むが、その声から伝わるヴェスパーの迫力に、中に入るのは、ためらわれた。
「くだらんことを言う……くだらんことを言う……いいか、今さら過去のことを水に流してとか、綺麗事は言わない。王妃に突き出す? 殺す? 好きにする? ふざけるな! そんなことをしても、おれの気持ちは晴れない。第一、お前……」
ヴェスパーは、パルテルミットの肩を掴み、そのまま駅長の席の前まで連れて行った。
「悪ぶったところで……そんなぐしゃぐしゃな泣き顔してたら、意味が無いぞ」
その瞬間、パルテルミットは脱力し、駅長の席にそのまま座った。
「……それで? どうするんだ? 悪いが個人としての話し合いなら、今ので終わりだ。こっちが始めといて何だが……それより、提督としては、どうするつもりなんだ?」
下を向いて、すんすんと鼻を啜りながらも、パルテルミットは答えた。
「……いくら何でも、わが身かわいさに捕虜になるのは無いな……それに、兵たちは帰してやらねばならん……それぞれの家に……」
「……そうか」
かつて、惑星カルパチア上空にて発生した『衝突事故』により、その家を失う羽目になった、パルテルミットとヴェスパーならではの、共通の認識だった。
*
同日、ヴェスパー・ファン・シュミットとパルテルミット・シギディンは、それぞれ本国からの撤退命令を受諾した。
まず、ピアチェンツァ共和国のヴェスパーの方が、カルパチア上空の衛星の制御をシャットダウンさせた上で、ピアチェンツァ連合艦隊をピアチェンツァ側の隣の星――惑星カラトヴァ・ノヴァまで撤退した。
それを確認したあと、パルテルミット率いる
その後、後世に残されている資料を元に述べると、まず、ヴェスパーは再度カルパチアへと進出して同星を確保した上で連合艦隊を解散し、
一方で、パルテルミット・シギディンはクンロン到着後、兵を解散させたのちに、
以後、パルテルミット・シギディンの名は歴史に登場しない。
数日後、ピアチェンツァ共和国は惑星カルパチアを維持したという結果を勝利と報じ、
……こうして、ゼピュロス星域会戦は終わりを告げた。
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