第12話 裏切られた時はクマではなかった 1
ベルナールは久しぶりにひげのなくなった顔で、小さな手鏡を覗き込んだ。
魔法学園では寄宿舎に住んでいたため、だいたいのことは自分でできる。ひげももちろん剃れる。
しかし、鏡がないというのが案外負担だった。
ベルナールの空間箱はあまり大きくないけれども、外に出たなら自立する大きめな鏡を入れておこうと心に決めた。
(それにしても、レティシア・エーデルシュタインがこんなところに来るとは……)
義弟の妻になるはずだった人。
彼女は魔法学園に入学した時にはすでに、将来は強力な魔法使いになるだろうと言われていた。
ベルナールは魔法の話などできたらいいと思っていたのだが、状況がそれを許さなかった。
他国の者と婚約をした場合、年が近ければ留学という形で同じ学校に通わせることはよくあった。在籍するのは、今後ふたりが住む方の国の学校であることが多い。
ベルナールの場合、王女マルティーヌがフェリシダーデ帝国に輿入れすることが決まっていた。
だが、帝国の貴族学校へ入学することをマルティーヌが拒否。
ベルナールも魔法の勉強がしたかった。
両者の思惑が一致したため、ふたりはヒラピッヒ王国の魔法学園へ入学することとなったのだ。
ふたを開けてみれば、マルティーヌが帝国に来たがらなかった理由はすぐにわかった。
マルティーヌには麗しのとりまき軍団がいたのだ。
美しい男子学生から役者や美形芸術家まで、学校の内外で連れ歩くお気に入りたち。
ベルナールも見目が悪いわけではないのだが、その中に加わるには少し野性味も自我も強かった。ようするに、マルティーヌのアクセサリー枠からは外れていた。
あれは従者や護衛だとマルティーヌの周囲の人々から言われて、ベルナールはこの国ではそういうものなのかと思っていた。
しかし、他の令嬢たちはそんなことはしていない。
そしてマルティーヌは自分が他の男をはべらせているというのに、ベルナールが令嬢とちょっとでも話をすれば、いやみを言い、いやがらせをした。
そんな状況だったら、令嬢と交流などできない。
でもかなうなら、一番話をしてみたかったのがレティシアだった。
魔法が好きで魔法の勉強をしたかったベルナールとしては、古代魔法陣についての考察をしたり、なんならダンジョンでパーティを組んでみたかった。
そんな相手が、今、同じ場所にいる。
少しだけ浮ついてしまっても、仕方がないことだと思う。
ベルナールはひげを剃り着替えてから、レティシアのいる部屋の扉まで戻った。
ノックをして中から開けてもらう。
数日前まではベルナールもその扉を開けることができたのだが、ケサランパサランたちが『あたらしいマスターきた!』と騒ぎ出した後から、開けられなくなったのだ。
大きな情報晶があるこの部屋は、マスターという立場の者のための部屋ということなのだろう。
扉を開けてくれたレティシアも着替えをしたらしく、ワインレッドのローブを着ていた。
(――――気を遣わせてしまったかな。革の装備姿も美しかったけど)
「待たせてごめんね」
「大丈夫ですわ。わたくしも支度をしておりましたから。――――どうぞおかけくださいませ」
「ありがとう」
部屋の中央には小さなテーブルとイスが出されており、ご丁寧に真っ白なテーブルクロスまでかけられている。
カトラリーもきちんとセットされ、ワインやグラスの他に、肉と野菜なども載せられていた。
空間箱というのは、大事な貴重品と何かあった時のための非常時に必要なものを入れておくものだ。
ダンジョン攻略や遠征などをする者ならば、野営の道具なども入れておくだろうから、携帯用のテーブルとイスはあっておかしくはない。食器も入れてもいいだろう。しかし、決してカトラリーレストやフラワーベースやキャンドルスタンドは入れない。
料理だって、上品に盛り付けられたローストビーフのとなりに素朴な見た目のシチューが出ている。鍋ごと保管していたに違いない。
ベルナールはそれらに一瞬目をむいたが、すぐにいつもの引き締めた顔に戻した。
ワインをグラスへ注ぐと、レティシアはうれしそうな顔をした。
「ありがとうございます。殿下のお口に合うといいのですが」
「俺の方がお礼をするべきだよ。ありがとう」
ふたりで食事の前の祈りを捧げてから、グラスを目線の高さに上げた。
「レティシア・エーデルシュタインとの再会に、乾杯」
「ベルナール・フェリシダーデ殿下と再びお会いできましたことに、乾杯」
一口含むと、重くはあるが果実の香りも広がる華やかな赤ワインだった。
ベルナールには、なじみのある味だ。
「――――これは、帝国のシャンディ地方のものかな」
「ええ。今日お出した食事に合うかと思いまして」
レティシアはそう言ったものの、ベルナールに気を遣って選んだのだろうと思う。
次期公爵ともあれば、ホスト側の心得も身についているだろう。
相手や料理によってワインを変えるということは、さきほど聞いた蔵ひとつ分のワインはなんの誇張もないのかもしれない。
テーブルの上に準備された花やキャンドルといい、相当大きな空間箱なのだろう。
この便利な空間箱というのは、使用者本人しか使えない目に見えない収納庫のことだ。収納魔法とも呼ばれている。
空間魔法の一種で、実際に暮らしている空間とは違う空間を、自らの魔力で囲って使う魔法だ。その大きさは、空間魔法の能力と比例していると言われている。
生き物は、体内に光と闇の性質を、同時に持っている。
そのふたつの性質に偏りがない方が、空間魔法を楽に操ることができるということが、最近の研究でわかった。
扱いがたやすいと、簡単にどんどん使う。魔法は使えば使うほど能力が上がる。結果、空間魔法が得意になるということ。
ようするに、元々持つ先天的な性質で、空間魔法能力のほとんどが決まる。
世界に昼があり夜があるように、光と闇のどちらの性質もちょうどよく持っている者こそが、空間魔法の覇者となれるわけだ。
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