第11話 先住物その2(クマ) 3
レティシアもベルナールも幼いころからのヒラピッヒ王家の婚約者だったが、ふたりが初めて会ったのは魔法学園中等部の入学式で、十二歳の時だった。
その魔法学園は、成績と家柄を考慮してクラスが決まるため、レティシアは中等部高等部の六年間、ベルナールと(マルティーヌも)同じクラスで過ごすこととなった。
クラスメイトだし今後は親戚になる予定だというのに、言葉を交わしたのは挨拶以外では数えられるほど。
テスト結果発表時にベルナールが「次は負けない!」と言う時が、唯一の交流だった。
レティシアは学生時代ずっと首席だったが、それは各魔法教科の成績だけで手にした栄光で、その他の教科はベルナールが上。
しかし、そこは魔法学園。魔法の成績が良いは正義だった。
そんな近いはずなのに遠い相手が、フェリシダーデ帝国の第二皇子ベルナール・ドゥ・フェリシダーデだった。
隣国であり大陸一の大国の皇子。
兄である第一皇子が立太子しているので、ベルナールは皇太子の補佐として、また代理も務められる者として、国に大事にされているはずだ。
それがこんなところにいるわけだから、行方不明だと帝国で騒ぎになっていてもおかしくはない。だがそんな情報はレティシアのところに入ってきてなかった。
「――――殿下。お国の方には何か伝えておいたのでしょうか? わたくしの方には、殿下が行方不明になって騒ぎになっているという話は入ってきていないのですが」
「実は、マルティーヌとあまりうまくいっていないという報告はしていたんだよね。父からは、もし破談になったとしても、納得できるまで勉強してきていいと許可はもらっているんだ」
「遊学ですか。素敵ですわね。ちなみに、なんの勉強を?」
「魔法だよ。魔法に関してはこちらの国の方が進んでいるからね」
「辺境には魔物が出ますから……必然的に魔法の技術は磨かれていきますわね」
「近隣諸国が魔物を食い止めていてくれるから、中央のうちの国は平和でいられるってわけだよね。だから何かできることがないか、前線を見て考えたいと思ったんだけど――――マルティーヌとの婚姻が成立したなら、もっとヒラピッヒ王国へ俺が貢献できることがあったと思うんだよね……」
「もったいないお言葉です……」
「まぁ、そんなわけで、うちの国の方は大丈夫。身分証の[門番の報]で、生きているのはわかっているだろうし」
[門番の報]は、身分証の持ち主から生体データが感知されなくなった時に知らせる魔法だ。身分証にかけられており、対になった魔水晶が光って知らせる。
もちろんレティシアの身分証にもその魔法がかけられている。
だからレティシアも家のことはあまり心配していなかった。
生きていることはわかっているだろうから、あとは祖父である先々代エーデルシュタイン公爵(先代は亡くなったレティシアの母)がどうにかしているだろうと。
ベルナールの実家の方はそれでいいとして、そうなるとますますヒラピッヒ王国のおかしなところが浮き上がる。
「……なぜ、うちの国の方で騒がれてないのかしら……こんな大変なことなのに」
ベルナールはそれに気付いていたらしく、まずいものでも食べたような顔をしてレティシアを見た。
「そうだね……。なんかいやな感じだ。表沙汰にならないように誰かが何かしたんだろうけど。でも、俺のことで大騒ぎになるよりはいいよ。戦争なんてことになったら大変だしさ」
レティシアを安心させるように軽い口調で言い、ベルナールは笑った。
(殿下は自分よりも国のことを心配するのね…………。世界のためにも、殿下をこんなところに閉じ込めておいてはいけないわ)
「護衛や従者が心配していますでしょうね……」
「マルティーヌの護衛を付けてもらっていたから、専属の護衛はいなかったんだ。従者は……ヒューゴが、俺をかばうようにしてあの魔法をいっしょに受けたのだけど、ここには来なかった。どこへ行ったんだろう……。無事でいてくれたらいいんだけど…………」
「……まぁ、なんということでしょう……ヒューゴ様が…………あら? ヒューゴ様? そういえば、わたくしヒューゴ様にお会いしました」
ヒューゴも魔法学園でずっと同じクラスだった。
帝国の伯爵令息と聞いている。そういえば彼はベルナールの従者であった。
主人も従者も学園ではわりと自由にしていたから、レティシアはつい忘れていた。
「え?! そうなの?! いつ?!」
「いつだったかしら……半年前くらいでしたでしょうか。うちの領都ザフィーアでお会いしました。エーデルシュタインは帝国とは隣接しておりますから不思議に思わず、皆で楽しいお茶の時間を過ごさせていただきましたわ」
「…………なんだか悔しい気がするけど。でも、無事ならよかった……」
「ああ、それと、卒業後まもなくのころにもお会いしました。あの時はワールズエンド自治領でしたわね」
「――――ワールズエンド自治領へ行くことを許可した覚えはないな……ということは、あの魔法を使われた後ということか……」
「そうかもしれません。ヒューゴ様がそんな大変なことに巻き込まれていたとは知らず、皆で楽しいお酒を飲ませていただきましたの……」
「……くっ……。従者の無事を喜ぶべきなのに、喜べないのはなぜだ…………!」
「ベルナール殿下もワインをいただけば、すこしは気も晴れるかと思いますわ。わたくしの好みのものしか用意していないのですが、よかったらいかがですか? 赤、白、発泡、いろいろありますのよ」
レティシアが空間箱からワインボトルを取り出すと、ベルナールは目を見開いた。
「空間箱にワインなんて入れているの?!」
「もちろんです。殿下は入れないのですか?」
「いやいやいや、空間箱の中は有限なんだし。価値が高いものとか、もっと必要不可欠なもの優先じゃない? 食べ物飲み物は最低限だと思ってたよ」
「わたくしも、最低限しか入れていませんのよ! ワインがなければ、わたくしはしかばねと同様ですわ! 大事なことなのでお教えしますが、ワインは空間箱に蔵ひとつ分しかないのです…………。早くワインを手に入れる方法を考えないと、10年ほどで飲み終わってしまいますの! ああっ……どうしましょう…………」
「――――しかばね……蔵ひとつ分……何から言えばいいのかわからないけど、空間魔法の試験で勝てなかった理由はわかったよ」
「とりあえず飲んでから考えましょう……。グラスを出しますので、注いでいただけますか?」
場に男がいる場合、ワインをグラスに注ぐのは男の仕事とされている。
淑女はワインボトルなど重たくて持てないからだ。
その場に淑女しかいない場合にボトルを軽々と持てるようになるのは、ワインの精霊バッコスが持つのを手伝ってくれるためだと言われている。
精霊が手伝ってくれるのだ。ワインがすすんでしまうのも仕方がない。
「ちょっと待って。その……身だしなみを整えてきてもいいかな?」
「ええ、どうぞ。お待ちしていますので、ゆっくりなさってきてください」
「ありがとう」
ベルナールはそう言うと、扉から出ていった。
すらりとした、でも服の上からでもわかるほど鍛えられた背中をレティシアは見送った。
隣国から来ている大事な客人。大国の第二皇子。
「……殿下だけでも、地上に帰すことはできないかしら……」
ひとりつぶやくレティシアの横で、ケサランパサランたちがくるーりくるーりと回った。
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