第10話 先住物その2(クマ) 2


「――――ところで殿下。こちらには他にどなたかいらっしゃるのでしょうか? 従者の方ですとか」


「いや……従者は、いない。人は他に見たことがないな」


「そうなのですね。ということは……殿下はおひとりで…………」


 ずっとここに――――――――。

 その後に言葉は続けられなかった。

 婚約破棄されたのは学園を卒業してすぐだという。

 一年半以上前のことだ。決して短い時間ではない。


(それからずっと、ここにひとりでいたなんて――――……)


 大陸一の大国フェリシダーデ帝国の皇子が、頼る人も話せる人もいない場所でひとり。食事などはどうしていたのだろうか。

 ふと、ダンジョンのただただ広い草原エリアに、ぽつりとたたずむベルナールの姿が思い浮かんだ。


「……申し訳ございません……殿下……。我が国の王家がとんでもないことを…………」


「……なぜ君が謝るの。レティシア・エーデルシュタイン。――――君だって被害者なのに。その……君に泣かれると、俺がつらいんだけど……」


 泣いてはいけない。

 レティシアに泣く権利はない。

 なのに、ほろほろと涙がこぼれた。

 レティシアが慌てて涙を手の甲でこすると、ベルナールがハンカチを差し出した。


「……ひげは剃ってなかったけど、ハンカチは綺麗だから」


「ありがとうございます……」


 素直に受け取った。

 ベルナールが言う通り、ハンカチは真っ白でとても綺麗だった。



 ◇



 そのまま立ち話を続けているのもなんだということで、ベルナールを部屋へ招き入れた。


「どうぞ――――と言っても、わたしのお部屋ではないのですけれども……」


『マスターのおへやなのー』『もとマスターのおへやじゃないのー』


「……くっ……。先日までマスターマスターと言っていたくせに……。まぁ、彼らもそう言ってることだし、君の部屋でいいんじゃない?」


 納得はしてないが、言い合っていても仕方がないのでベルナールを招き入れた。

 ベルナールは立ち止まり「ちょっと失礼」と言って、覆っていた前と横の髪をうしろで束ねた。

 形のいい眉や涼し気な目元が現れる。


「見苦しくてごめんね。――――ちゃんと剃っておくんだったな……」


「気になりませんわ」


 口元を手で隠して恥ずかしそうにしたベルナールに、レティシアは首を振った。

 魔法学園にいた時の彼は、もちろんひげのひの字も感じさせず、いつも爽やかなたたずまいだった。

 そして身分などは気にしないらしく、大勢の男子生徒たちと交流していた。

 ただ女子生徒にはずいぶんそっけなかったので、女嫌いの噂もあったのだ。


「ベルナール殿下と、こんなふうにお話しができるなんて思っていませんでしたわ」


「あー、うん。俺、お嬢さんたちとあんまり話しなかったからね。でも、本当はマルティーヌ以外の令嬢と話したりしたかったんだよ。――――いや、その、変な意味じゃなくて、例えば君とも魔法の話をしたかった」


「光栄です」


「けどそんなことしたら、あの人、君をいじめそうじゃない? 授業のことを二言三言話しただけでも、いやみ言うし。俺のことなんて別に好きじゃないくせにさ。あたる相手を探しているふうだったから、口実を与えたくなかったんだ」


 ベルナールと話などしようものなら、間違いなく嫌がらせのひとつでもしただろう。

 マルティーヌとは良い関係ではなかったが一応幼なじみなので、付き合い方はわかっている。礼を失しない程度に近づかないのが正解。彼女は、レティシアが何をしても気に入らないのだから。


 ベルナールが婚約者のマルティーヌには笑顔で話しかけていたから、実は女嫌いではなく、義理立てする誠実な人柄なのだという声の方が多かった。

 実際にこうして話してみて、周りの令嬢たちのことを考えてふるまっていたのを知り、やはり思いやりがある優しい人だとレティシアは思った。


「君だって、ほとんど令息と話してなかったよね? レティシア・エーデルシュタイン」


 レティシアは苦笑するしかなかった。

 そう、あそこの王家の姉弟に付き合うというのなら、そういう態度をしかないのだ。


 貴族の令嬢としては、醜聞に気を付けるのは当然のことだし、異性とは軽い世間話をするくらいの距離でちょうどいい。

 レティシアはそれ以上に距離をおき、挨拶以外はほとんどしなかった。

 ストーリッシュもマルティーヌと同じように、何かと理由をつけてはレティシアに文句を言ったから。

 夜会で他の令息とちょっと世間話でもしようものなら、「王族と婚姻を結ぶ女がたしなみのない! 自覚が足りない!」などと騒ぎたてる。

 レティシアからすると、世間話もできない社交性のない夫人でいいわけないだろうと思ったものだが。

 ヒラピッヒ王国の姉弟は、容姿も性格もよく似ている。

 お互いの婚約者がこれでは、交流はむずかしいに決まっていた。





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